東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

芥川紗織に感嘆する -【その2】 「メキシコへのまなざし」(埼玉県立近代美術館)

2025年02月08日 | 展覧会(日本美術)
メキシコへのまなざし
2025年2月1日〜5月11日
埼玉県立近代美術館
 
 
芥川紗織
《大木にハサマレタ若い神》
1956年、175.7×125.8cm、世田谷美術館
 画像では全く分からない。
 色彩の美しさ、画面の大きさ、場面のドラマティックさ。
 その素晴らしさに感嘆する。
 『古事記』の物語だが、キリストの物語の一場面を描いた祭壇画だと言われたら信じそう。
 
 
 
 芥川(間所)紗織(1924-66)は、1953年頃から41歳で亡くなるまで、前衛的な表現で活躍した女性アーティスト。
 
 昨年(2024年)は、芥川(間所)の生誕100年。生誕100年の回顧展は開催されなかったようであるが、全国の10美術館が、それぞれの所蔵作品により、常設展示(コレクション展)にて小企画を順次開催するプロジェクト「museum to museum 生誕100年記念 芥川(間所)紗織 軌跡を回顧する旅へ」を実施した。
 
・川崎市岡本太郎美術館(2024/4/18〜7/7)
・栃木県立美術館(4/20〜6/16)
・豊橋市美術博物館(6/8〜7/21)
・刈谷市美術館(6/20〜7/21)
・名古屋市美術館(6/29〜9/8)
・高松市美術館(7/13〜9/29)
・横須賀美術館(7/13〜10/20)
・東京都現代美術館(8/3〜11/10)
  →12/14〜2025/3/30も継続展示
・東京国立近代美術館(9/3〜12/22)
・国立国際美術館(11/2〜2025/1/26)
 
 関心を持ち始めたばかりの私は、近場の2館、東京都現代美術館で2点、東京国立近代美術館で6点を見ることができた。また、本プロジェクトには参加していないが、板橋区立美術館所蔵の2点をそのコレクション展にて、世田谷美術館所蔵の超大作1点を東京国立近代美術館の企画展「ハニワと土偶の近代」にて見ることができた。計11点の鑑賞実績。
 
 埼玉県立近代美術館の本企画展の開催を知り、芥川の出品があると期待し、実際に出品されているのだが、出品状況は私の想像以上。
 染色画・油彩画が9点、パステル画が10点。いずれも初見。関連資料や1955年の「メキシコ美術展」でその色彩に感嘆したルフィーノ・タマヨの展示もあって、この1展だけで昨年の鑑賞実績を上回る。
 
 
 
 本展の第2章と第3章の展示作品は、一部を除き撮影可。芥川については、冒頭の世田谷美術館所蔵作品を除き撮影可。
 以下、出品作の画像を掲載する。
 
 
 芥川は、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)で声楽を学ぶ。卒業の翌年、作曲家の芥川也寸志と結婚、同年長女を出産。「一つ屋根の下に二人の音楽家が暮らすのは不都合」「特に作曲家のかたわらでの歌声は遠慮しなければならなかった」と声楽を断念し、独学で絵画を学ぶ。やがて、ろうけつ染めによる染色画を制作の中心に据える。
 1953年に展覧会に初出品。1954年、「女」シリーズの発表開始。初個展を開催。
 
《顔》
1954年、90.5×64.5cm、川崎市岡本太郎美術館
 
《女B》
1954年、130.3×89.5cm、NUKAGA GALLERY
 
 
 この頃、夫とともにソ連、中国、東欧を数ヶ月間旅行する。この時のソ連訪問がきっかけとなって民話をテーマに作品を手がけるようになる。1955年、「メキシコ美術展」に感銘を受ける。ルフィーノ・タマヨの色彩に魅了され、また、国民的アイデンティティに関わるメキシコ壁画運動に共感する。同年に発表開始した神話・民話シリーズは、壁一面に展開する染色画の大作に発展する。
 
民芸品の部屋で
 前にタマヨの絵を美術雑誌の原色版で見てそのまか不思議な色彩にひどく惹かれました。
 それ以来私は何が何でもタマヨのファンになってしまいました。タマヨのよく使う発酵した様な異様な黄色や紫や桃色にひきつけられたのです。今度のメキシコ展で民芸品の部屋に足をふみ入れると私は“これだ。タマヨの色は”と思いました。民芸品の切り紙も人形も皆タマヨのあの魅力的な紫色や桃色なのでした。これはメキシコの現代絵画のすべてに云えることなのですが、何千年も昔の土偶の形態も民芸品のネンドの人形の色も皆現代絵画の中にそのまま生きていて彼等の激しい力と情熱を語る強力な言葉になって居るのです。
 全くメキシコの絵画は彼等の言葉で彼等の問題を精一杯に叫んで居ます。それ故にメキシコの絵画はメキシコの国の誇りとなりメキシコ人すべての誇りとなっているのだと思いました。私はメキシコの作家達が大きなビルの外側の巨大な壁面に思い切り腕をふるって壁画を描いていることを心からうらやましく思います。国と国民の生活と作家がこんなに密接につながっている国を素晴しいと思いました。日本の現代絵画は日本の国や日本の多くの人々とは何の関係もないところで描かれているということが、私には間違ったことに思えるのです。
(「美術批評」1955年10月)
 
《民話より》
1954年、133.0×92.0cm、豊橋市美術博物館
 
《天を突き上げるククノチ》
1955年、133.0×92.0cm、豊橋市美術博物館
 
《作品D》
1955年、130.0×89.0cm、豊橋市美術博物館
 
「無題」10点
オイルパステル、NUKAGA GALLERY
 
 
 1957年、離婚。1959年、渡米。油彩を本格的に学ぶ。1962年、帰国。油彩による抽象画の発表開始。1963年、建築家の間所幸雄と再婚。1966年、病により死去。
 
《スーツを着た男B》
1961-62年、88.3×58.1cm、NUKAGA GALLERY
 
《裸婦》
1961-62年、71.7×60.6cm、NUKAGA GALLERY
 
《黒い形(B)》
1962年、129.8×124.5cm、NUKAGA GALLERY
 
 
 冒頭の世田谷美術館所蔵作品に圧倒されたが、他の作品もよい。
 今後、芥川紗織作品の東京近辺での展示機会を逃さないようにしたい。
 また、回顧展の開催を期待したい。2009年に横須賀美術館で開催されたようだ。あれば遠征も考えたい。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。