若い頃に海外と言っても、欧米の英語圏で暮らしてみたい20代の中頃から関心を持ち、出掛けたし、チャンスが有れば働くのも一つのチャンスかなと思いつつ暮らした時期が有りました。 半世紀前だから昔話です、その半世紀があっという間に過ぎ去ってしまって、今は東京で暮らしている、正直に言えば若い頃なら海外でも良いが、高齢者となると、これは断然住み慣れた日本が良い、残り少ない人生と思ってるから尚更日本から遠く離れるつもりはない、この間はお金持ちの時期が有ったかどうかですが、残念ながら普通レベルで資金運用は色々考えたが、先ずはその国が何処かは大事な要素です、そして都市も重要です、何より20代で有れば大学で学ぶとかが出来たならベストで有った。自前で出掛けたから親の援助はない、アルバイトは基本出来ないから学ぶか、個人行動の中でやれる事を見付けるしかない、ここで第一の失敗をする、行く国を間違えたし、住んだ街も英国内でも知らない人が居る位で、一応ロンドンまでは直通の列車で1時間で行けた。何より気候がよろしくない、1日に四季が有る程に変わる、夏でもそうだから何でこんな国に来てしまったのかと悔やんだ、何も良い事はなかったが1人の英国人女性と親しくはなった、その気になれば欧州、特に東側から来ている人も多いので知り会えるチャンスは有ったが英語力に問題有りだから、これはパスする。大抵の場合には、日本人のメリットはない、パキスタンやバングラ出の人に負ける、彼らのアタック力はすばらしいし、彼らの方が欧州よりと感じる、国としては劣だが、気力は十分だから、これが最後に勝る。
この失敗を取り消す為に帰国後軍資金を得る為に東京で稼ぐつもりでいたがそんなには給料は高くない、一応最低1年は暮らせる資金稼ぎだ、訪れる街はバッチリ調べたので、そこはシスコの南に広がるシリコンバレーとする、アメリカへは3度目だから一応幾つかの街の情報等は得ていた、但し街の名前は知っていても行ったこと無い人だから当てにはならない。 がしかし、この街の選択が間違っていても近くに探せばよいと気楽に考えた。街としては小さいがスタンフォード大学が有り、何より緑豊かな街に魅了される、部屋探しはスムーズに行き、200坪位の土地に平屋が建っていた、その家のシャワー付きの部屋に入居する、アメリカ映画で見る、前庭が有り真ん中にはパテイオと洗濯物を干す、バックヤードが広々としていた。周辺の街よりランクが上だから、暮らしている人々もアッパーレベルで有っただろう、車は買えないが天気が良いので自転車を買う、これで3つ位先の街まで出掛ける、目的は会社の仕事内容を聞いて、資金獲得や仕事の拡大に日本を考えているか等を聞き出す、目的が市場調査で来ていると言ってアポ取って有るから、社長クラスにも会えた。
100社位は尋ねたが、その中で伸びた会社はない、ベンチャーの卵程度から資金が十分に付いた会社も有ったが、成功者へ登り切れないで、途中で下野する人が断然多い、数万社の中から抜け出すのは簡単でない、数十人程度の技術者を抱えて得居ても、アップルに吸収されてしまう事などは有る話で有った、結局は小さな会社が資金力で大きな組織に飲み込まれる社会が、シリコンバレーの会社流儀で有る、日本企業は富士通とNEC位しか無かった、日系企業の参入が多くなったのは、この地を離れて10年後位からで有ろう、よって日本企業の話など余り聞く機会はなかった。
結局はアメリカ時代に知り合った会社関係の、東京オフィス勤務が有り、そこでしばらく世話になるが、外資からの寄り合い世帯の感じで、体質的に合わないので独立する、自力で切り開く以外に無いので、幾つかの事業を試みて、その中の一つを10年位行った、時代により波が有るから順風ではなかったが、他にもやりたい事業案が有ったので他者にやってもらう、先に開始するか資金を投入出来るかの両方がその時にマッチしていたかで差が出た、同じ事を価格差でやって、3年後に業界3位以内にいないと難しい部分は有った、狭い範囲での競争だから目立つ広告が打てた人は成功者の1ッ歩手前までは行けるが1位になる事は簡単でない。
そんな時代を過ごしたが、残りの人生に限りが有る、体力減を感じるし身体のパーツに異変が出るのは分る、50代以降はスキルがないとビジネス社会では生き残れない、地方の街で小さいがニーズの有る事を見付けてそれを数人で行う方策を 考える、それを都会で暮らしている内に見付けることは大事ですよ。