長年のマスク着用は、周りを気にする傾向の有る日本人は、即外した生活には戻らないとみる、この間多くのマスク論争は有った、スーパーコンピュータでのシュミレーションまで披露されていた、安くはない使用料でも話題性が勝るのが日本で、意味の有る実験ではない事は、実験前で分かっていた事だ、すなわちウイルスの大きさと黴菌とのサイズ差で決着が付いている。後は環境用件での差が有るが、それを加味してもウイルスのサイズは電子顕微鏡で見る事しか出来ない程に小さい、環境の違いは湿り気が有るか無いかで有る。 かろうじて繊維間の穴に引っかかるか、通してしまうかで有る、湿ったウイルスはサイズが大きくなるが、穴は簡単に通せる、医療用のマスクは性能は高いので、普段の生活では息苦しいので推奨はされていない。 不織布と普通の布でも大きさに差が有るので、カラフルな布製が市場に出回っているが、これは性能面では不合格品だから個人的には推奨はしない、おしゃれ感だけだ。 こうしたマスク論争は有ったが、通常のマスクでは防げない事は分かっていたので、筆者は常用していなかった、それよりも人との会話は避けたので、人との交流は積極的に遮断する。
日本人は皆と一緒の「同調」意識が優先するからマスクは簡単には外せないと、思っていたし、今後にも外せないと思って居る、よってどうでも良い事の一つと捉えている。 多くの人が忘れてしまった事柄が有ります、その頃に言われていた事でテレビからでも新聞からでも活字が乱舞していた、所謂専門用語だが普通に使われていた、その数は多い、世の中様々な事が流行るのでその時々で使えば良い、時代遅れの言葉も当然有るから、忘れて行けばよい、そんな事を知っていたからと自慢にはならないケースが殆どだ、何だったかコロナ禍です、ワクチンが効果を示したか、後遺症や死亡例も多いが、これらのフォローをしっかり行ってもらわないと、多くの実験台になった国民に申し訳ない、と多くの専門家や政治家は忘れないで欲しい、そして多額のお金も使われた、公的な病院が黒字になったり、お店によっては休みにしていた方が実入りが多かったりした、何なんだこの世の中はと疑問も必要だ。
クシャミをすれば1回当たり10万個のマイクロ飛沫が飛び交う、これが距離にしたら2m位と言われ、ソーシャルディスタンスとか言われていた、約3時間くらいは淀みとして空気中で生きているので、空気の入れ替えを行っている、こんな面倒なことが無くなるのではと思っている、手消毒なんかもなくなる、検温も必要ない、普通の生活が戻れば、楽な事だと気を緩めつつ、社会適応していけば良いだろう。