今日を31日で日曜と思って居た生活態度を改めないと行けない、今年は何度か曜日を間違えた日が有った。 これは確実に体のリズムが狂いだしたのだろうと気になる兆候だ、人間誰かと会ったり話する機会は必要だと年の瀬に感じた事だ、スケジュール表に予定がない日が増えている事もリズムを狂わす原因の様だ。
高齢化社会の落とし穴は、予定がない日が多くなる事も原因で、社会生活の営みに支障をきたすと思われる、個人だけではどうにもならない事だと思いつつ暮らしている、実は福祉という言葉が有るから、これは身体に起こっているで有ろうハンディーだけでなく、生活圏での邪魔者扱いを受ける原因にもなるかもしれない、東京には戸建てで暮らしている人は少なくなる傾向だ、特に都心部に暮らすと多くなる。
東京都は高齢者にお風呂の入浴券が貰える、月に4回だが目の前に有るから利用はする、若者より中高年世代以上が利用するが、明らかに有る時期の数年は良く見かけた人を、見掛けなくなる、死亡したよりも何処かに引っ越した人が多いだろうと感じてはいるが、人の入れ替えが多いのが都会だから、見かけなくなっても不思議ではない。町内会の行事には参加しないが、同じ集合住宅にも自治会が有り月に一度は周りの清掃行事が有る、罰則が有ったり個人名を書いた表にチェックを入れるから一応参加はする、共同生活を維持するためには必要な事だろう、身体の不自由な高齢者は参加しないが、特に年齢制限はない。名前まで知らなくても挨拶位はするから、無意識での仲間づくりかもしれない、と思いつつ参加している。社会構成の最小単位だから自分でこの関係性を壊すつもりはない。
認知症が普通の言葉として使われている、高齢者になる程多くなり、特に子供が居なくなったり、相方が亡くなったりすれば、コミュニケーションの機会が無くなる、区内には高齢者が集れる場所と講座の様な事が企画されている、無料が多いので、区が補助している、区民は何処にでも参加できる、しかし内容的には軽かったり、内容にマッチしないから、これには参加しない。低料金だが有料のは有る、これは内容次第だ。
実は身体を動かす運動的な事は一人でも出来るから、相手が必要な話せる機会の有る講座が有れば参加したいが、これはない、市民大学と言って半年間の講座は有るが、これは内容が様々で参加したくない講座も有る、以前は興味が有るのだけに参加できたが、参加に上下が有るから、半年での料金となったので半分は興味ない内容だから参加しなくなった。数か月前までは仕事で出社していた人に対する講座はない、仕事の延長での講座が有ればと思うが、市民講座としてはない、それを期待するには大学が行う講座となる、しかしリタイヤーした人には高額となる、最近はリスキリングとか言って教育事業を盛んに行っているが、内容と料金がマッチしてない、実務に使える講座は集中的に行うか3か月以上で無いと無意味だと思って居る。