今を遡ること170年前の1854年(安政元年)11月4日5日の2回にわたって襲った南海の大地震に際し 偶然故郷の紀州・広村(現在の広川町)に戻っていた
濱口梧陵は 海水の干き方・井戸水の急退などにより 大津波が来ることを予期 梧陵は村民を避難させるため 田圃に積んであった収穫された稲束(稲むら)に
火を投じて急を知らせ村民の命を救ったという
この行為に感動した明治の文豪・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は 仏の畠の中の落穂拾いちゅ~う短編集の中で ‘A Living God(生ける神)として梧陵を
紹介している のちにこれをもとにして小学校教師であった中井常蔵氏が著した物語「稲むらの火」は 昭和12年から昭和22年まで国定の小学国語読本に
採用された
初代儀兵衛の後 2代教了 3代教寛 4代安六 5代灌圃 7代保平と続き 創業から約200年後の11853年(嘉永6年) 5代目灌圃の孫にあたる梧陵が
7代濱口儀兵衛を襲名 梧陵は1820年(文政3年)に生まれ 1853年(嘉永6年)に家督を相続し 幕末の風雲の中で家業を守った
彼はヤマサ醤油7代目という実業家としての活躍のみならず 私欲を顧みない社会福祉事業や政治活動に心血を注ぎ 近代日本の発展に大きな足跡を残している
濱口梧陵氏の功績に対し 広川町役場前の稲むらの火広場に銅像を建立した
そして本日は 2015年(平成27年)12月の国連総会により世界津波の日に制定 国際デーの一つになる 英語表記は「World Tsunami Awareness Day」