Christmas Kettle クリスマスケトル 聞き覚えの無い名称かもしれん 邦題は社会鍋
拙者が東京在住の時には 池袋の東口や西武デパート前などで この時期救世軍は寄付を募る意味で社会鍋を出して募金活動をお願いしちょりました
考えて見たら東京では年末の風物詩として目にしたが 山口県でも行われちょるんかの? 拙者は見たことが無いが・・・・・・・・・
クリスマスケトルは今から百年有余年程前 1894年の不景気の最中 アメリカ・サンフランシスコで生まれた運動 その当時をふり返って見ると 貿易はふるわず
幾百の船員が失業をして その家族は非常に苦しい生活を送っちょりました ちょうどその頃 サンフランシスコの救世軍の小隊長(牧師)ジョセフ・マクフィー大尉
ちゅ~人がいて 以前は商船の船員ぢゃったが 当時の連隊長(教区長)ウイリアム・マッキンタイヤ中将からの命令で 恵まれない船員の家族にスープの給食を
する事になった そこでマクフィーは沿岸地域の資産家たちに寄付をもらいに行き 幾分か成功したが 予算通りには集まらなかった
クリスマスが近づいたある朝 船雑貨屋のショーウィンドーに 三脚につるした船員キャンプ用の黒壺が飾られていた これを見てマクフィーは
ハタとひざをたたき 早速それを二組買い求め オークランドとアラメダの繁華街の入り口にそれを立てて「救世軍のスープ接待にご協力ください」ちゅ~看板を
ぶら下げた 彼はその側に立って 通行人に「恵まれない船員にご同情下さい」と叫ぶと たちまち同情が集まり われもわれもと コインが黒壺の中に投げ入れられた
こうして世界最初の救世軍クリスマス・スープ接待が始められ 失業した船員の家族は思いがけない接待を受け 幸福なクリスマスを迎えることができた
それから誰言うとなくこの第1号の黒壺を’Christmas Kettle’と呼び 翌年の1895年の12月24日には ウイリアム・マッキンタイアーやN.J.ルイスらの尽力により
クリスマス・イブにはアメリカ東部でも第2号の’Christmas Kettle’が大量に出され たえずこの壺を煮立たせて下さいの札が立てられた
我が国では1906年(明治39年)に日露戦争直後で失業者が沢山でた年 師走を前にして 当時救世軍の日本の司令官ブラード大佐は「慰問かご」の計画と題し
救世軍公報紙ときのこえ紙上に大佐の書簡を発表しました
それによれば
私たちの周囲には恵まれない人々がおり 彼らにとっては 年末年始は最も暮らしにくいときであります 時候の寒い上に仕事が休みになって
その日暮らしの人々の困難は並大抵のことではありません お金もなく 食もなく 楽しみもない 貧しい人々のために ミカンかごのようなものにいっぱい入れ
何か食物でも 子供のおもちゃでもよいから買い求めて 救世軍本営に送って下さるか届けてもらえば 貧しい人々に配ることが出来ます
しかし次の三点に注意して下さい
●自分で「慰問かご」をととのえてこれを銀座2丁目の救世軍本営に届けていただく
●何か品物を本営に送っていただくと 救世軍でこれを用いて「慰問かご」を作りますので材料を提供していただく
●金銭を送っていただければ 本営で見計らい「慰問かご」を作らせていただく
ということぢゃった
この計画は成功し 当時三大貧民窟といわれていた下谷の万年町 芝の新網 四谷の鮫が橋等の困窮家庭に 正月用の餅 ミカン タビ 手ぬぐい 書物など を
ミカンかごに入れて配られた そしてこの運動は東京市中のみか 横浜・神戸・仙台・前橋・高崎・横須賀と拡大されていった
てな訳で本日はクリスマスケトル 社会鍋の日ぢゃ