今から66年前 南極にわが国初めての観測基地が出来た 昭和にできたもで昭和基地と命名 ご存じの通り南極はどこの国にも属さない
それが国際ルール
そして昨今南極の厚さ900メートルの氷の下で生物が発見されたちゅ~ニュースが飛び込んだ これまで そこには生命は存在できないと
考えられてきた 科学者はこれまで非常に低い温度と 光や食糧が不足していることから 生物が存在することは不可能だと考えてきた
発見者はイギリス南極観測隊のメンバー その生物は南極のフィルヒナー・ロンネ棚氷の下で氷に付着していたイギリス南極観測隊が
氷を約870メートルの深さまで削ったときに発見
「氷棚の下は おそらく地球上でほとんど知られていない生息環境のひとつだ」と この生物を発見した科学者の1人 ヒュー・グリフィス(H
は次のように動画で語った 「海綿動物のような生物が見つかるとは思っていなかった」
1950年代において 南極は未だ未知のフロンティア そこへの観測隊派遣は国家的な一大科学プロジェクトと位置づけられていた
特に敗戦から間も無い日本にとって初となる南極地域観測隊の派遣は 国家再建と科学技術の復興を世界にアピールする絶好の機会として
国内から高い関心が集まり その準備も入念に行なわれた
当時の外国の極地探検記では 隊員がノイローゼに陥り 自傷他害の惨事を引き起こす事例がしばしば報告されていた
原因として第一に考えられたのは 太陽が長期間出ない極地ならではの極夜という気象条件だが 長期間の性的禁欲生活が与えるストレス
も無視できない要因と考えられていた かくして南極での越冬隊を準備するにあたって医療部門の医師らは検討を重ね 特に若い男性隊員の
性的エネルギーを発散させる何らかの方策が必要との結論に達した
自らも越冬隊員となる医師の中野征紀の発案により 女体を模した性具人形を用意することになった とはいえ当時はダッチワイフのような
性具は薬事法などで厳しく取り締まられており 中野を中心とする医師らは全国を探し回った 東京浅草橋の人形問屋に 1体1体あたり
5万円で2体の人形制作を依頼した 当時の物価や給与で換算した
1957年 大卒初任給(公務員)9.200円 高卒初任給(公務員)6.300円 牛乳:14円 かけそば:32円 ラーメン:45円
喫茶店(コーヒー):50円 銭湯:16円 週刊誌:30円 新聞購読料:330円 映画館:140円
出来上がった人形は 備品としては報告されることのない曖昧な位置づけのまま 南極へ向かう観測船宗谷に人知れず積み込まれた
そして作られた1体を持ち込んだ 越冬隊長の西堀栄三郎は 人形の使い方について中野からレクチャーを受け その安置場所として
基地建物の裏手に雪小屋を自らの手でわざわざ造った それは基地建物内に人形を置くと風紀が乱れかねないという西堀の配慮だった
雪小屋の中で人形はケバケバしい着物を着せられ 布団のようなものの上に横たえられた そして傍らには西堀が手書きした取扱説明書
ラディウス(登山用携帯コンロ)コッヘル(登山用鍋)が置かれた イグルーの入口にはテントの布が垂らされた
越冬準備の屋外作業がおおむね完了したある日 西堀は朝食の席で唐突に 人形の存在を隊員らへ告げた
「今日から冬ごもりに入るが イグルー(雪小屋)の中にべんてん様がおいでになります みなさんお参りしてもろてよろしい
ただし お参りの順序は いつもの順序にしてもらいます」
「エッ べんてん様だって?」
「アッ そうか あのべんてん様か」
皆は一瞬けげんな顔をしたが すぐ意味を悟ってニヤリとした隊員らは「べんてん様」なる性具人形の存在を薄々聞いてはいたが 本当に基地まで持ち込まれたと知りどよめいた かくして一日につき
一人ずつ 越冬隊長の西堀を皮切りに年長者から順にイグルーのべんてん様へ「お参り」する運びとなった
しかし べんてん様を使用する者はついぞ現われなかった まず何より そのグロテスクな容姿は隊員の気持ちを萎えさせるに充分だった[
またイグルーの中は零下15度と 手袋がなければ人形に触るのも憚られる寒さで 性欲どころでなかった さらにイグルーの雪壁から
雪をナイフでこそぎ落としてラディウスとコッヘルで溶かし、 4リットルのお湯になるまで暖めるのは何十分と時間のかかる根気作業で
事後の後始末の手間まで考えると それだけでもう辟易してしまうのだった そこまでするほど性的に昂じている隊員は居なかったのである
20代の若い隊員の中にはそれなりに興味津々でイグルーに入っていく者もいたが 結局べんてん様の姿を拝んだだけで すごすご出て
きてしまった
昭和基地の緯度では極夜の期間がさほど長くないこともあってか 幸いにして精神に異常を来たす者が隊から出ることはなかった
かようにして越冬期間は終わり 基地の人形は 処女のまま日本へ帰ることになった 一方宗谷で一足早く帰路についた残された1体は
人目の無い倉庫で誰かがこっそり使用して後始末もしなかったため「局部が腐敗して くさくてくさくて困ったからぶん投げた」という
人形の発案者の中野は 後に「(使われもしない人形を作ったことは)わたくしの老婆心からの一つの失敗で 慙愧に耐えない」
と回顧している この種の人形が作られたのは この時の越冬隊が最初で最後である 刺激的な話題を好む諸々の下世話なメディアは
例の人形を「南極妻」「ミス南極」などと名付けて面白半分に虚実交えた話を報じ いつしか「南極1号」という名が広まっていった
南極でのセックス処理が世上の話題に上ったことで 結果的に「南極1号」は日本でダッチワイフ開発が進む契機を作り出した
ダッチワイフが公然と日本で流通し始めるのは1960年代も半ばになって以降である
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