気ちがい河馬さんの日記

精神病院に通院しつつ、障害年金ではとても食えないので、深夜に「ギャオ^スー」と雄叫びを発し河馬に変身し大和川の草食らう

河馬の遺影の前に飾ってあるのは、愛用の電腱(Key)とジーメンス社製火花発信器。愛飲の煙草。

2014-11-10 19:30:27 | 日記
訃報 人間河馬は日露戦争のバルチック艦隊との日本海海戦において旗艦三笠に通信兵として乗務中、敵彈の破片を頭に受け名誉の戦死を遂げたものである。
以来代々河馬家の長男は頭がおかしい。

しかし、かの有名な電文
「テキカン ミユトノ ホウニ セッシ テンキセイロウナレドモ ナミタカシ コウコクノコウハイ コノイッセンニアリ ソウイン イッソウフントウドリョクセヨ」の電文は三笠船上より広島大本営に発っせられたものであるが、この電文を送信した者こそ誰有ろう、河馬家のご先祖さま河馬河馬太郎である。

歴史にもしもと言う事はないが、もし日本海海戦に日本連合艦隊が当時世界一と歌われたバルチック艦隊に敗れていたら、日本近海の制海権をロシアに奪われ、東京湾にでも侵入され、皇居と言わず東京が砲撃にさらされるような事があれば為すすべがなかっただろう。
そして今頃河馬らはロシア語を話していただろう。

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