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卯月の「介護なんて大嫌い」

85歳実父の介護ブログ
(アルツハイマー型認知症)

最近の介護

2019年09月14日 19時32分49秒 | 娘から見た父

 

少し時間が空いてしまいました。
現状、在宅介護を続けています。
といっても、デイサービスを週に三回、ショートステイを月に二回。
これらを利用しながらの在宅介護です。

85歳の父は、昔から若々しく見えるタイプでした。
身だしなみにも気を配り、服装も人一倍お洒落にする人間でした。
それが今年の入院(薬の調整)をきっかけとして、抜け落ちてしまったような気がします。

普段着はローテーションで着用してもらい、それをその都度洗濯する。
娘として出来る事はそれくらいで、クリーニング系のおしゃれ着などは封印。
家でじゃぶじゃぶ洗える洋服に超したことはありませんから。

しかしながら、ジャージのようなものは基本、絶対に着たがらない。
己のこだわりが強いのでしょうね。
ショートステイの時もルームウェアじゃなく、パジャマオンリーにしております。
パジャマへの違和感はないようなので。

デイサービスは心底有り難い。
それでも夕方送り届けてもらう時間になると、胃がキリキリします。
ハッキリ言って私は父との時間を嫌悪するようになっているのです。

果たしてこれで介護していると言えるのでしょうか。
疑問は常に頭を駆け巡り、そんな私の苛立ちが父にも伝わっている気がします。

つい最近、軽い肺炎になった父は入院中、やたら「娘」のことを看護師さんに尋ねたらしいのですが、
その報告を受けた私は「吐き気」がするほどムカつきました。
父に対してではなく、看護師さんに対して。

「それを私に伝えたところで、一体何がどうなるというんだ」
「こっちがそんな報告を聞いて、気分がよくなるとでも思うのか?」

デイサービスやショートステイでも「連絡帳」があり、いつもそんな事が記述されています。
ストレスの蓄積はこんな些細なことから。
そしてそれを読む度に、泣けてくるのです。
私のストレスを他人が理解出来るかどうかなど、もはやどうでもいいことです。

今現在、果てしなくしんどい。
早くこの重荷から解放されたい。
死ぬのなら父よりも先に死んだ方がよいのかもしれない。
この先何年も介護に悩むのは現実的ではない。

介護申請(再)の結果が「要介護2」だったことも・・・・重石となっています。

今の選択肢としては「老健」に短期入所してもらうこと。
それも三ヶ月が限度ですけどね。
悩んでいます。






気が狂いそうになるとき

2018年10月29日 14時50分03秒 | 娘から見た父


認知症の父と暮らしていて、気が狂いそうになる時



※伯父叔母の死に際について話しているはずなのに、いつの間にか祖父の話にすり替わっている時(祖父他界したのは38年前)

※「僕は(義父と違って)認知症じゃないんやろ?」と都合良く無かったことにする時。

※92.3歳(今84)で穏やかに枯れるように死ねると思うねん、と理想論をぶちかましてくる時。(絶対無理)

※車が車庫に一台しかないと、「廃車にしたんか?」と何度も聞いてくる時。

※他の人より健康であることを自慢する時。

これらのコンボが重なると、私自身がこの世から消えたくなります。

久々の更新

2018年08月03日 07時08分42秒 | 娘から見た父

 

現在、父に与えられた薬は「アリセプト」+「漢方」+「めまい止め」+「血流をよくする薬」です。
全部で6種類ほどになりますが、文句も言わず服用しています。

ここのところ「めまい」が酷いせいで、活動的に動く事も出来ず、もやもやしている感じが伝わってくるのですが、
こればかりはどうしようもないので放置。

老人(特に80を過ぎたあたり)は昔と違い運動量が減ってしまうせいもあって、めまいが引き起こされたりするそうです。
身体全体が衰えてくる・・・といえばなるほどと納得出来ます。

認知症の症状は・・・じわじわと進行していってるような気もしますが、義父の時と違う点も多々。
まあ、それは人それぞれなのでしょう。
程ほどのところで落ち着いているといった感じでしょうか。
同じ質問、同じ話は出来るだけスルーすることにしています。
(後は体調が悪いと言って逃げる)

私も昔ほど激情し、怒ったりはしていません。
もちろん心の中では罵詈雑言のオンパレードですけど。

食欲に関しては、外食すれば多く、家では少なくなってきている気がします。
暑さでバテている感じではなく、ただ自然と少なくなっている。

誰が見ても84歳という年齢は高齢者中の高齢者ですからね。
私もその辺りを自覚しながら、接していかなくてはと思ってます。

はは・・・・今回は珍しくイイコちゃんな記事で締めくくれたな。(笑)


「性格が合わない」

2017年09月13日 14時10分18秒 | 娘から見た父

ま、正直なところ・・・・父と私は性格が合わない。
というか、父と付き合える人は少ないように思う。
その数少ない人間が亡き母であったり、父の末妹であったりするのだが・・・。

前回も書いたように無駄にプライドが高い為、指摘すればするほどムッと機嫌を悪くし、あまつさえ「偉そうに言われる筋合いはない」と宣う。
穏やかな介護など出来るはずも無いのだ。

最近よくあることは「携帯電話を無くしてしまう」こと。
自分の電話番号を覚えていない所為か、家電から架けるということもなく、私の部屋まで来て、鳴らして欲しいと訴えてくる。

それはまあいいのだが、

「音が小さいからや」(最大音量)、
「鈴つけんなん」(付けていても置きっ放しだと意味が無い)


など、到底無駄であろう策を持ち出してくるからイライラする。

きっと当事者でないと解らない問題だと思う。

夕べも「ポストの鍵」を紛失。
でっかい鈴をつけていたにも関わらず、だ。

滅多に外出しない為、落とすとは考えにくい。
となると、ジャンパーのポケットか、どこかしまい込んでいるかの二択。

捜し物が得意な主人も半ば諦め気味な為、今は無くしたままにしたある。
(ポストの代わりに籠を置くなどして)


些細な事に感じるが、蓄積すればそれだけイライラも募る。
優しくしたくても、この人の憎たらしい性格に付き合ってあげる気にならない。

これが実の親と義理の親の違いか。
それともやはり性格?

昔は好きだった父が、この先、大嫌いになりそうで哀しい。

本気で憎む前に、あの世に旅立って欲しいと思うのは、おかしなことだろうか?














「きっかけは・・・・」

2017年09月11日 12時12分30秒 | 娘から見た父

もうかれこれ4年ほど前になるかもしれない。

その時の父は自分で朝ご飯の「お粥」を作っていて、朝は梅干しと共にそれを食べるだけが日課だった。
いつからか鍋を焦がすようになり、4個目の鍋を焦がした時「ガス警報システム」が作動したのか、管理会社から自宅へ電話が鳴った。

「煙出ていませんか?」
「火付けっぱなしじゃないですか?」

慌ててキッチンに行けばモクモクと煙が蔓延していて、既に父が気付いていたのか、焦げ付いた鍋はシンクで水浸しになっていた。
ちなみに父の鼻はほとんど利かない。
右耳もほとんど聞こえない。
そういう身体的リスクもあるのだ。

これはヤバい。
家が全焼なんて笑い話にもならん。

指摘すると、「ちょっと自室に用事があったから」とか「ちょっとトイレに行ってたから」と、何の慰めにもならない言い訳をする。
実際、鍋が真っ黒焦げになるまで相当目を離していたのだろう。
集中力が途切れると、ふらりと場所を移動し、すっかり忘れてしまうことはよくあった。

で、結局、隣町にあるKクリニックへ行くことに。
それが2014年3月。
脳神経外科のクリニックで認知症なども扱っていた。
MRIの結果、「認知症との境界線だろう」と伝えられ、それからアリセプト3mgを試しに飲むことにした。

「車の運転は大丈夫ですかね?」
「うーん・・・本来ならしないほうがいいけれど、かといって田舎で車がないのは不便でしょう?」
「そうですね。様子を見ます。」

それから暫く・・・2016年4月まではKクリニックに通い続け(ほぼ父一人で。たまに私も付き添う)、薬も服用し続けていたのだ。

しかし・・・父はいきなり飲むことを止めた。
理由は「胃が痛い」だったか「別に何も変わらない」だったか、よく覚えていない。

そのことで何回か喧嘩をしたけれど、私も面倒だった所為か、放置してしまった。
今から考えても私のミスである。

そしてどんどん症状は悪化していく。

今年の5月に免許証を返納した理由は、高齢者講習のテスト結果がほぼほぼアウトだったから。
それに加え父の車もそろそろガタがきていた。
「渡りに船とばかり」廃車処分に。
これに関してはすんなりと納得してくれたので助かった。


だが問題はここからだった。

記憶媒体がどんどんと衰えていく。

電話は一日約30回。
同じ質問、同じ疑問を繰り返し、時間を問わずのコール音に私はノイローゼになりかけた。
週に一度の囲碁・麻雀倶楽部へは送り迎えをし、それ以外の通院ももちろん私が面倒をみている。
麻雀や囲碁だけが楽しみだから、出来る限り意に沿うよう頑張っている。

行く道、帰る道での同じ話も正直聞き飽きていたが、これも年をとれば仕方の無いこと。

我慢=ストレスの蓄積
早々に胃はおかしくなり始めた。

一人になれば泣けてくる。
友人への愚痴もほどほどにしないと、相手を煩わせてしまうのは当然だし、ここは踏ん張りどころだと思った。
主人へぶつけても、彼も疲れている。
可哀想だ。

しんどいなあ。
今始まったばかりの介護がこんなにも苦痛なのは、実の親だからだろうか?

いや、何よりも、本人に自覚が無いということが1番苛立つのだ。

いつまでも元気。
いつまでも長生き出来る。
子供の面倒にならなくても大丈夫。

そんな父の自信があまりにも残酷で、イライラした。


義父の時、最初はこんなに疲れなかった。
義父はとても模範的な病人だったし、何よりも人に迷惑をかけることが大嫌いだったから。
穏やかな日々が続いていたように思う。

問題は性格なのかもしれない。
父の無駄に高いプライドが、私たちの負担を増やしている。
でも今更どうしようもない。

そんな苦悩が重くのし掛かってきたところで、もう一度助けを求め病院に向かったのだ。
今度は近場の「T総合病院」。
週に二度、専門医が診て下さる。

長谷川式の診断結果は20点。
間違いなく「認知症」と診断された。

現在アリセプト5mgを服用中。
胃薬も併用しているからか、特に不満はないようだ。

様子を見ながら徐々に増やしていく予定である。