会計ニュース・コレクター(小石川経理研究所)

(書籍の紹介)財務報告の再検討―基準・規範・制度― シャム サンダー 著

 

近所の図書館で見かけたので読んでみました。米国の有名な会計学者の本です。

本文は120ページほどの薄めの本ですが、米国の財務会計や会計監査の歴史をよく知らないので、なかなか難しく感じられました。

断片的にしか理解できていませんが、財務会計に関して「社会規範」(GAAPの元の意味にある一般に認められたものという意味)を重視しているようです。

会計監査に関連する部分が多くなりますが、気になった部分を引用させてもらうと...(強調は引用者)

「企業における財務報告の重要な機能は資本コストの低減に役立つことであるとしばしば主張されてきた。この主張には2つの異論がある。第1にある企業にとってのコストは、資本を拠出する投資家にとっては利益である。 財務報告は資本コストを減少させるために選択されるべきであると主張することは、財務報告は投資家へのリターンを減少させるために選択されるべきであると主張することと同じである。第2に、資本コストは生産要素のもう1つの価格 (another price)に過ぎず (つまり交換比率),取引の相手側の人々の利益が無関連とみなされない限り、資本(あるいは自動車や食料やその他すべて)の価格を下げることが社会厚生を改善することは、これまで示されていない。」(18ページ)

「医師が新しく発見された病気の治療法を直ちに見つけることや、エンジニアが設計上の弱点を一夜にして克服することが期待できないように、新しいタイプのビジネス取引のための効率的な会計基準がすぐに策定されると期待するのは妥当ではない。 我々の知識は不完全なので、新しい問題に対する様々な解決策を実際 にテストしてみる必要がある。このプロセスを強制的に短縮すれば、金融市場において過ちを犯し、変化を引き起こし、その結果として混乱を招くといった大きなコストがもたらされることになる。SECが新しい問題に対してゆっくりとしたペースでの対応を受け入れないのではないかと心配する会計人たちは、1970年代に SEC がよく考えずに介入し、そして結局は失敗に終わった石油・ ガス埋蔵量認識会計の基準化の帰結を想起するだけでよい。」(36ページ)

FASBの最初の8年間は、迅速な基準設定、それまで試されたことのない新しい会計方法を唯一の基準として積極的に推奨する姿勢、および利害関係者からの支持の低下などによって特徴づけられよう。 FASBにとって、FASBに対 して提起された会計問題に関する基準の発行を拒否することは困難であった。基準への非準拠に対しては AICPAの懲罰メカニズムがFASBをサポートすることが保証されていたので、FASB はその基準が利害関係者に受け入れられることに段々と関心を払わなくなっていったのかもしれない。 FASB が多くのスタッフを雇用することは、新ルールを大量に発行することによって正当化されなければならなかった。 これはまた、そうしたスタッフの雇用を支える出版物の販売収入をもたらした。 FASBの年次報告書は、成果の尺度として完了したプロジェクトと発行した基準刊行物のリストで構成されていた。活動量を偏重する雰囲気は、1977年の議決要件の変更、すなわち、7人のボード・メン バーのうち5人の賛同を得ることから、4人の賛同を得ればよいという単純多数決へと条件を緩めることにつながった。 FASBはそれまで当該領域で試されてこなかったような複雑で新しい会計方法の適用を勧告した。」(49ページ)

会計の権威ある基準が存在しなかったということは、21世紀初頭の会計の世界よりも20世紀初頭のそれの方がより無秩序であったということを意味するものではない。その当時の会計士が専門職としての規範を確認するために使用した可能性のある複数の有効な仕組みについて Zeff は論じている。 ます。 Journal of Accountancy の誌面や、おそらく CPA Journal の誌面も、会計や監 査に関する活発な議論の場として,さらには論争の場として役立っていた。 これは、権威ある基準が規範を排除していくにつれて、会計雑誌で大部分は放棄されていった機能である。 1922年から29年にかけて, AIA の出版部門は、会 員から問い合わせのあった会計問題に関して33の 「特別公報」を発刊したが、 それらはAIA本部の正式な承認を経たものではなかった。」(58ページ)

「1970年代までは、監査人の側で利益相反が生じていたが、公認会計士の間で のオープンなビジネス競争を和らげる内部の自主規制や倫理規定といった専門職としての特権を与えることによって, それはコントロールされていた。他の多くのビジネスとは異なり、会計士は他の事務所の顧客や従業員を勧誘することが禁じられていた。 競争と規制の経済理論の台頭に伴い、1979年に公認会計士はこうした競争に対する障壁を取り除かなければならなくなった。監査サービスの品質は、事前も事後も、本質的に観察できないものであるため、自由競争の導入は価格と収益性の低下をもたらし、その結果、監査サービスの品質を低下させる圧力が生じた

監査事務所は、顧客にアドバイザリーサービスを販売することでその収益性を回復しようとしたため、監査サービスはコンサルティング部門のパート ナーが顧客にアクセスするための採算度外視の目玉商品となった。 監査サービ ス市場における競争の促進は、監査人の既存の利益相反―それは顧客からの収 入に依存している監査人に固有の利益相反である一を悪化させるという意図しない帰結をもたらした。このように利益相反が増幅される環境の中でもはや監査人は経営者自身と同様に、会計の社会規範に基づいて偏りなく判断を下すことはできなくなった。 業績ベースの経営者報酬が多く使われるようになると 自らの報酬に直接影響を与える会計方法に対する経営者の関心の度合いは強まる。その結果、経営者は自らの思い通りに監査人が動くよう、以前にもまして強く求めるようになる。 同様に、監査サービスの市場における競争もまた、顧客を繋ぎとめようとする圧力を監査人に与える。 特に、言いなりになる監査人 を経営者が探そうとしているとき、その圧力はより大きくなる。自らの経済的動機を隠したまま会計サービスを提供し続けるよう迫られた監査人は、「ソフトな」 社会規範に代わって「ハードな」 財務報告基準を要求する方が簡単であることを理解している。」(66~67ページ)

「ここ数十年にわたる会計の 基準化(standardization of accounting) は、 前述のように、明文化された会計基準の背後にある執行力が強くなればなるほど予想される遵守度が高まるという信念によって牽引されてきたように思われる。しかし、この信念を支持する明確な証拠はない。」(76ページ)

「財務報告の領域では、公開会社の外部監査を法的要件としたことが、監査 サービス市場が効率的に機能するのを妨げてしまっているようである。 外部監査が法的要件でない場合には、会計報告書および将来の見通しに自信がある企業は、当該企業の透明性や良好な見通しについて株主を納得させるために、評判の良い独立監査人を雇うべく資金を使うだろう。一方で、会計報告書および 将来の見通しに自信がない企業は、監査によってその弱点が明らかになるだけなので、評判の良い監査人を雇うことに価値があるとは思わないであろう。監査証明書の有無にかかわらず、会計報告書を提示された投資家は、それぞれ独自にリスクを評価し、それに応じて証券の価格づけを行わなければならない。 政府の規制がなければ、電子商取引における米国のウェブサービス市場と同様に証明や監査サービスの市場が発展するであろう。 Jamal et al. [2003] は、プライバシー認証のためのウェブ証明市場が存在しているという証拠を提示している。」(81~82ページ)

AICPAとビッグ4会計事務所は、電子商取引プライバシー認証市場に参入することに失敗し、TRUSTe と BBB Online が市場を支配するようになった。 AICPA は、プライバシー保護ではなく、ビジネス実務(内部統制)や安全性に関する保証の販売にオン ライン上のサイトシール (WEBTRUST) 業務を集中したが、高い価格で彼らが提供 するものに対する需要がほとんどないことが分かった。」(85ページ)

「FASBは,、公表物を発行する前にその利害関係者から提案、コメント、およびアドバイスをもらうという念入りで誠実な協議プロセスを設定している。他方、FASBの公表物には初めから権威が付与されていることから、一般承認性 (それは現在実際に使われている言語の中に暗黙に存在するものである) に必要な「進化」という特徴が残念ながら失われてしまった

むしろFASBは、監査人が自らの判断に代えて、機械的に適用すれば済むルールの「クラリフィケーション」を要求するための装置と化してしまった。なお悪いことに、FASB の基準は、経営者とその財務エンジニアが共謀して銀行や監査事務所の目を欺くための 「道具」となってしまった」(98ページ)

「独立監査を法的要件にしてしまうと、優秀な経営者が、より能力の劣る同業者と自分自身とを投資家に区別させる道は閉ざされてしまう。 外部監査人を雇 うという決定は、より良い経営者だけがそれに支払う価値を見出す。 コストの かかるシグナルである。 能力の低い経営者にとっては、独立監査のコストはそ のベネフィットに見合うものではない。 自身の無能さが暴かれるのを恐れる経 営者は、独立監査を受けないであろう。 1933年証券法が制定される以前の時代にはより良く経営されている企業は、 外部監査人を雇用することによって投 資家に企業の状況に関するシグナルを送ることができた。それほどでもない他 この企業は、良い企業であるという偽のシグナルを発するにはコストがかかるの で、外部監査人を雇用することができなかった。 すべての上場会社がそうした 外部監査人を雇用しなければならないとする法的規制は、このようなシグナル を送れなくしてしまったし、その意味で、それは企業や経営者について投資家 が入手できる情報の量を減らしてしまったことになる。」(103ページ)

「監査の失敗は、監査顧客にコンサルティングサービスを提供することによってもたらされると言われることが多い。 確かに、監査顧客に提供されるコ ンサルティングサービスが急速に拡大することは、監査人が財務報告の公正性を検証するうえでの勤勉さに、どう考えても健全な影響を及ぼすはずがな かった。 しかしながら、監査業務の収益性が大きく低下した結果として、コンサルティングサービスの拡大が起こった。これは本末転倒である。つまり、政府が監査ビジネスの競争を煽った結果、監査の価格と収益性が大幅に下落したので、監査人は収益源をコンサルティングに求めたのである。したがって、コンサルティングの拡大は、監査市場の崩壊の原因ではなく、その結果であった。 残念なことに SOX 法制定のような解決策は、監査の崩壊に対処するものだとされてはいるが、コンサルティングという症状を監査の崩壊という病気の 原因だと誤診しており、したがって、そうした解決策は効果的であるとは思われない。」(109ページ)

「実証性テストは、現場での企業の財産と債務の直接的検証であり、企業の工場、棚卸資産、債権者、債務者をコストをかけてチェックしなければならない。1975年から2000年にかけて、これらのコストを削減すべく効率的なサンプリング方法を生み出すための洗練された統計的技法が監査人によって開発されたが、それでも実証性テストには巨額の監査予算を要した。そこで監査人は、競争の圧力の下で、その生産関数をシフトさせ、金のかかる実証性テストの割合を減らし、安上がりな分析的レビューの割合を増やした。こうして監査業務の大部分は、オフィスから離れることなく、より少ない時間、労力、費用でもって、実行できるようになったのである。」(110ページ)

「1970年代後半、政府の政策が、とりわけ監査サービス市場が「レモン市場」となりやすいことを考慮せずに、すべての専門職に関して競争を推進したことが、事態を悪くしていた。競争を追求するあまり、政府は監査人の独立性を損なわせただけでなく、競争自体も損なわせたのである。四半世紀にわたって競争を促進する努力が行われた後、大部分の株式公開会社を監査してきた大規模監査事務所の数は半減し、今では4事務所になってしまった。」(114ページ)

日本にそのまま当てはまるような議論ではないのでしょうが、現行制度(米国の影響を大きく受けている)を批判する材料が、たくさん含まれているようです。

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