クレディ・スイスが救済合併される羽目に陥った背景を解説した記事。
「クレディ・スイスは1856年の創業だが、顧客の秘密保持で名高いスイスのプライベート・バンクの老舗であり、欧州型のユニバーサルバンクの代表格の一つでもあって、堅実経営の名門銀行のはずだった。同社は、どうしてこのような末路を迎えたのか。」
以前から外資系金融の中でも評判が悪かったそうです。
「かのリーマン・ブラザーズがまだ健在だった2000年代の初頭に、金融マンに向かって「悪い外資系金融を3社挙げよ」と問うた場合、答える人によって順番が変わったかもしれないが、おそらく、シティバンク、リーマン・ブラザーズ、クレディ・スイスの3社の名前が挙がっただろう。次点やその次の名前も出てこなくはないのだが、現在も営業中なので名指しはやめておこう。
つぶれてしまったリーマンの名前を挙げるに当たって今や気を遣う必要はないが、日本で三度にわたって業務停止命令を受けたシティバンクに加えて、クレディ・スイスが同格のワルに並ぶのはなぜか。その理由は、例えば逮捕者まで出た決算粉飾幇助(ほうじょ)の仕組み債販売に血道を上げるがごとく、もうけのために手段を選ばなかったことや、日本株の取り扱いをいきなりやめて撤退してしまうようなビジネスの荒っぽさが際立っていたからだ。」
「クレディ・スイスは、社員の扱いも手荒だった。端的に言って、クビになるまでの期間が短い。経験者が中途入社して、証券ビジネスなら早ければ半年、資産運用系の仕事でも1年で、成果が上がらなければクビになる。ある年には、株式部の部長が3回替わったことがあったと記憶している。確かに、同社に転職した筆者の知人が1年でクビになった事例が通算3回ある。」
「こうした所業を見ているので、近年の同社が、麻薬取引関係のマネーロンダリングへの関わり、顧客情報の漏洩、米国のファミリーオフィスとの取引での巨額損失などの不祥事続きであったことに関して何ら驚きはなかった。いずれについても「クレディ・スイスなら、いかにもあり得る」と思えた。
そして昨年後半から、ついに大規模な顧客資金の流出が始まった。いったん「信用」を失うと銀行という業態はもろい。」
クレディ・スイスには米国型の投資銀行(証券会社)の毒が回ったのだそうです。
「クレディ・スイスは、米国の投資銀行であったザ・ファースト・ボストンと1978年に提携して、88年には同社を買収しており、欧州銀行の米銀化の先頭ランナーの一つであった。
おそらく、このザ・ファースト・ボストンの買収が、クレディ・スイスに米国型の投資銀行の毒がしっかりと組み込まれた不可逆的な転機だったのだろう。徐々に米国流をまねするのではなく、毒は一気に全身に回った。毒と体質とが戦うのではなく、毒は体質の一部になって、体質自体を支配するようになった。」
投資銀行の毒とは、プレーヤー(「トレーダー、M&Aなどのディールメーカー、営業の担当者など主に「P/L(損益)を持った個人」および、その周辺の人々を指す」)を大きな成功報酬で働かせて、リスクは銀行(の株主)がとるという仕組みです。
「彼らの報酬が巨額なものになり得る仕掛けは、「成功報酬」と「リスクの拡大」の組み合わせにある。」
「プレーヤーは、いわば勝ったときに成功報酬をもらう約束でカジノのテーブルに着いたギャンブラーのような存在だが、クレディ・スイスのプレーヤーは銀行付きの潤沢な資金でプレイするのだから素晴らしい。」
「投資銀行の経営者は「代打ちギャンブラー組織の元締め」のような存在であって、彼(彼女)も主に子分を使ってだが、投資銀行の株主にリスクを取らせて、たっぷりと成功報酬を得ることを目指す大物プレーヤーなのだ。」
「クレディ・スイスも資産管理ビジネスでは大手だが、投資銀行的な毒を持ったプレーヤーが関わってビジネスが進行すると、危ない資金源の顧客と取引をしたり、富裕層向け取引でもリスクを取る仕掛けを忍び込ませたり、顧客情報を不正に使ったりといった「反則行為」に対する大きなインセンティブがそこかしこで働いていたことが想像できる。」
記事の筆者の仮説とのことですが、説得力があります。