隠し里

聖書の言葉。
イタリア語と日本語を記載しました。

年間第11主日 コリントの信徒への手紙二5.6-10

2021-06-13 16:20:18 | 典礼

Noi siamo dunque sempre pieni di fiducia, e sappiamo che mentre abitiamo nel corpo, siamo assenti dal Signore


(poiché camminiamo per fede e non per visione);


ma siamo pieni di fiducia e abbiamo molto più caro di partire dal corpo e d’abitare col Signore.


Ed è perciò che ci studiamo d’essergli grati, sia che abitiamo nel corpo, sia che ne partiamo.


Poiché dobbiamo tutti comparire davanti al tribunale di Cristo, affinché ciascuno riceva la retribuzione della cose fatte quand’era nel corpo, secondo quel che avrà operato, o bene, o male.

 

 

だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。

わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。

それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。

そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。

なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。
 


コメントを投稿