隠し里

聖書の言葉。
イタリア語と日本語を記載しました。

9月2日のミサ コリント人への第一の手紙4.1-5

2022-09-02 15:28:32 | 典礼
Così ci stimi ognuno come dei ministri di Cristo e degli amministratori de’ misteri di Dio.

Del resto quel che si richiede dagli amministratori, è che ciascuno sia trovato fedele.

A me poi pochissimo importa d’esser giudicato da voi o da un tribunale umano; anzi, non mi giudico neppur da me stesso.

Poiché non ho coscienza di colpa alcuna; non per questo però sono giustificato; ma colui che mi giudica, è il Signore.

Cosicché non giudicate di nulla prima del tempo, finché sia venuto il Signore, il quale metterà in luce le cose occulte delle tenebre, e manifesterà i consigli de’ cuori; e allora ciascuno avrà la sua lode da Dio.


このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。

この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。

わたしはあなたがたにさばかれたり、人間の裁判にかけられたりしても、なんら意に介しない。いや、わたしは自分をさばくこともしない。

わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。

だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。