舞鶴港で初めて本土に第一歩を踏み入れたとき、私にはバズカー砲のような筒を背中から服の中に突っ込まれものすごい白煙に包まれた。病原菌を持った蚤などの退治するために消毒されたのでした。髪の毛の頭にもやられ顔中真っ白にした人ばかり・・色々な手続きを得て、舞鶴には何日いたのか私には覚えがない。いよいよ母の在所である愛知県西尾市へ・・汽車に乗って・・アジアの国で日本でお盆のようなとき、労働者が故郷に帰るのにものすごい混雑した電車のような酷いものでした。(私が過ごした満州の汽車は世界一の大型車で日本の電車の小さいのに驚きました)・・・戦後の日本は本土は大都市は戦災にあい焼け野原・・戦地から引き揚げてきたボロボロ服を着てリュックを背負った兵隊さんが、親兄弟を探してさまよっていた。親兄弟を探す紙のビラがあちこちにたくさん貼られていた。日本も敗戦によりあらゆる政府機関が・制度が崩壊していて日本が混乱の時代であった。街には親をなくした浮浪児が多数・・・食うに困り・家族を食べさせるために売春婦の女性があちこちにたくさん・・・食べ物を確保するのが大変なときでした・・食べ物がお金で買えない時代でもあった・・都会人は全国の都道府県の農家へ押しかけ物々交換で・・・闇列車と呼ばれたときでした。日本中が大混乱の時代でした。撫順にいた頃のほうが物々交換できる物があれば食料品はたくさんあった、(日本の国の倉庫から持ち出したもの)例えばうどんを食べたいと思ったら小麦を持っていかないと生うどんが手に入らない時代です。現代は遊ぶために小・中・高生たちが売春を・・生き死を強制的に味わった私には
・・・人間性を疑ってしまいます。戦争のときは死んでも貞操を守れと・・・もしかまた戦争になったら・・
今のあなたは生きていけるだろうか・・小学生から体力・気力を鍛えていないとあまりにも悲惨さに耐えきれないだろう・・と・・・戦争を知らないあなた達・・・ぜひ戦争経験者から話を・・・これも年寄りのたわごとか・・・
・・・人間性を疑ってしまいます。戦争のときは死んでも貞操を守れと・・・もしかまた戦争になったら・・
今のあなたは生きていけるだろうか・・小学生から体力・気力を鍛えていないとあまりにも悲惨さに耐えきれないだろう・・と・・・戦争を知らないあなた達・・・ぜひ戦争経験者から話を・・・これも年寄りのたわごとか・・・