暖かくなってきたら九州で乗りつぶしでもともくろんでいたところ、例年、年度末はだんだんとヒマになっていくはずが今年は様子が違っていて、とても有休がとれそうになくて中止。代案として先週末の土日、昨冬から考えていた雪の只見線を18きっぷで乗ってきた。
たしか昨年は、新宿発のスペーシアから野岩鉄道・会津鉄道に乗り継いで若松で泊まり、只見線・上越線で帰ってくるルートを考えたのだが、スペーシアが満席で断念した。今年こそと思いきややはりスペーシアは午後発の便しか空きがなく、ただでさえ一日に直通が2本しかない只見線のダイヤのせいで帰りが新幹線になるのに、往路まで私鉄で旅費を高騰させることもあるまいと、JRの普通で行くことにした。
会津若松までのルートはいろいろ考えられる。かみさんがまだ乗っていない線だらけなので。水郡線でもいいし、磐越東線でもいい。が、水郡線は朝家を出る時間がが早そう、磐越東線はどうせなら東西線を通しで乗ってみる機会に残しておきたい。で、日光線と烏山線の寄り道付きで東北本線で郡山まで行って泊まることにした。
以前、日光線に乗ったのは1989年4月10日のこと。20年以上前だ。余った18きっぷで鹿島線、鹿島臨海鉄道、水郡線支線、日立電鉄、水戸線と併せて乗っていた。当時住んでいた大塚を早朝5:15分発に乗っているのに、たしかサイクリング同好会の同期が一緒だったはず。たしかに、起終点で駅名標とともに撮る写真には三脚を立てた形跡がない。
烏山線の方は1988年8月30日。北海道でのサイクリング合宿で5日間走ってからチャリを宅配便で送り、その後3日間道東を乗りつぶし、まる一日かかって急行大雪と特急北斗と新幹線で帰ってきたのがその前日。そして3日後には、写真部の合宿先の気仙沼から新潟で一泊して小諸でのゼミの合宿に参加していた。われながらアホである。しかし体力あるなあ。
こんな乗り方だったせいか両線の車窓の記憶が全くない。20年以上前のこととは言え、当然だろう。
そんなわけで初めて乗るような気分で宇都宮に降り立った。国際的な観光地NIKKO詣での路線として、車両も駅名標もレトロな雰囲気で飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/01/2210945722b5c4d89a87e67be38698cd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/17/8e47acf1f21e45c8c429ab8f85735c36.jpg)
ロングシート4両編成の車内は座席の三分の二が埋まる程度。外国人率が高い。車窓風景はといえば、たしかにあまり特徴ないかも。やたらと駅間が長い気がした。片道40分余りの間の途中駅が5つしかない。日光駅の背後にこんな一丁前な雪山がそびえ立っているとは思わなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/01/408c20d80ebbb8504c1d4f472e062879.jpg)
帰りの車内はうとうとと過ごし、宇都宮では12分で烏山行きに乗り換え。ほどなくやってきたキハ40の2両編成、停まってからもブロブロと大きな音でエンジンが鳴りっぱなし。いいねえ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a6/dac05a9ea25f6bfa6992405dd4a0c243.jpg)
七福神のステッカーが貼ってあったが、もしかして烏山線用のキハは7両きりなのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/d3/f749b20bfe9230b350081bfa75d01116.jpg)
車内は、ロングシートの半分ほどが埋まる混み具合。東北本線を二駅快走した後、にわかに揺れが増す。大半の人がうとうと。車窓は畑、畑、山。時折、満開の梅が。
20年ぶりに見た烏山駅舎は、事前に見てきた写真に対して変わってない様子。帰宅後じっくり見比べると、細かいところがいろいろ違っていた。屋根の色が茶色なのは、写真が変色しているのか、アグファのセピアゆえか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/06/bc7fb7574067390597b7727525fb6875.jpg)
20分ほど駅前をぶらついて、乗ってきた汽車で戻る。宝積寺で降りて東北本線に乗り換え。向かいに座った熟年夫婦をふと見ると、おじさんの足元にはキャスターバッグと肩掛け鞄。おばさんの膝の上には鞄が2つ。なのに網棚にはショルダーバッグが3つと大きめの紙袋がひとつ。どうなるのかと終点まで楽しみにしていたら、一人4つずつ持って降りていった。私なら一個なくすな。
黒磯乗換で18時過ぎに郡山に到着。朝、東京はポカポカの春だったのに、寒風が吹き荒れていた。舐めた格好をしてこなくてよかった。駅から5分ほどのドーミーインは新築ピカピカ、大浴場もくつろげて格安。なかなかよかった。
たしか昨年は、新宿発のスペーシアから野岩鉄道・会津鉄道に乗り継いで若松で泊まり、只見線・上越線で帰ってくるルートを考えたのだが、スペーシアが満席で断念した。今年こそと思いきややはりスペーシアは午後発の便しか空きがなく、ただでさえ一日に直通が2本しかない只見線のダイヤのせいで帰りが新幹線になるのに、往路まで私鉄で旅費を高騰させることもあるまいと、JRの普通で行くことにした。
会津若松までのルートはいろいろ考えられる。かみさんがまだ乗っていない線だらけなので。水郡線でもいいし、磐越東線でもいい。が、水郡線は朝家を出る時間がが早そう、磐越東線はどうせなら東西線を通しで乗ってみる機会に残しておきたい。で、日光線と烏山線の寄り道付きで東北本線で郡山まで行って泊まることにした。
以前、日光線に乗ったのは1989年4月10日のこと。20年以上前だ。余った18きっぷで鹿島線、鹿島臨海鉄道、水郡線支線、日立電鉄、水戸線と併せて乗っていた。当時住んでいた大塚を早朝5:15分発に乗っているのに、たしかサイクリング同好会の同期が一緒だったはず。たしかに、起終点で駅名標とともに撮る写真には三脚を立てた形跡がない。
烏山線の方は1988年8月30日。北海道でのサイクリング合宿で5日間走ってからチャリを宅配便で送り、その後3日間道東を乗りつぶし、まる一日かかって急行大雪と特急北斗と新幹線で帰ってきたのがその前日。そして3日後には、写真部の合宿先の気仙沼から新潟で一泊して小諸でのゼミの合宿に参加していた。われながらアホである。しかし体力あるなあ。
こんな乗り方だったせいか両線の車窓の記憶が全くない。20年以上前のこととは言え、当然だろう。
そんなわけで初めて乗るような気分で宇都宮に降り立った。国際的な観光地NIKKO詣での路線として、車両も駅名標もレトロな雰囲気で飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/01/2210945722b5c4d89a87e67be38698cd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/17/8e47acf1f21e45c8c429ab8f85735c36.jpg)
ロングシート4両編成の車内は座席の三分の二が埋まる程度。外国人率が高い。車窓風景はといえば、たしかにあまり特徴ないかも。やたらと駅間が長い気がした。片道40分余りの間の途中駅が5つしかない。日光駅の背後にこんな一丁前な雪山がそびえ立っているとは思わなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/01/408c20d80ebbb8504c1d4f472e062879.jpg)
帰りの車内はうとうとと過ごし、宇都宮では12分で烏山行きに乗り換え。ほどなくやってきたキハ40の2両編成、停まってからもブロブロと大きな音でエンジンが鳴りっぱなし。いいねえ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a6/dac05a9ea25f6bfa6992405dd4a0c243.jpg)
七福神のステッカーが貼ってあったが、もしかして烏山線用のキハは7両きりなのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2b/2efc948fd3ae00e87f9e263db9a8f420.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/d3/f749b20bfe9230b350081bfa75d01116.jpg)
車内は、ロングシートの半分ほどが埋まる混み具合。東北本線を二駅快走した後、にわかに揺れが増す。大半の人がうとうと。車窓は畑、畑、山。時折、満開の梅が。
20年ぶりに見た烏山駅舎は、事前に見てきた写真に対して変わってない様子。帰宅後じっくり見比べると、細かいところがいろいろ違っていた。屋根の色が茶色なのは、写真が変色しているのか、アグファのセピアゆえか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/06/bc7fb7574067390597b7727525fb6875.jpg)
20分ほど駅前をぶらついて、乗ってきた汽車で戻る。宝積寺で降りて東北本線に乗り換え。向かいに座った熟年夫婦をふと見ると、おじさんの足元にはキャスターバッグと肩掛け鞄。おばさんの膝の上には鞄が2つ。なのに網棚にはショルダーバッグが3つと大きめの紙袋がひとつ。どうなるのかと終点まで楽しみにしていたら、一人4つずつ持って降りていった。私なら一個なくすな。
黒磯乗換で18時過ぎに郡山に到着。朝、東京はポカポカの春だったのに、寒風が吹き荒れていた。舐めた格好をしてこなくてよかった。駅から5分ほどのドーミーインは新築ピカピカ、大浴場もくつろげて格安。なかなかよかった。
ですか。お見舞い申し上げます。
18旅の定番列車は、やはり混みますな。
まだ東京発着だと便数も多くて選ぶ余地もあると思いますが。
北海道上陸も、できるのでは?
こちらも消化試合がんばらなくては…
ちなみに北海道上陸は、黒磯で夜明かしして始発に乗り深夜の函館に上陸、そして快速ミッドナイトで翌朝札幌へ、というのが、学生時代の定番でした。私はやったことありませんでしたが。奮発して始発の新幹線に乗っても苫小牧止まりなんでしたね。道東は遠かった。
夫婦で2回、1泊2日の旅に行けますぞ。
11111円÷5×残り回数分ってことで、明朗会計ね。
とは言え、来週も再来週も日曜に用事があって泊まりは無理っぽいので、鉄道隊で伊勢うどんとか和歌山のクエとかにスクランブルする機会がありそうでしたら、どうぞご遠慮なく。