自由市場は月曜火曜は開かれない、ということが昼食の長い待ち時間にガイドブックをよく読んでみてわかったので、駅を目指して旧市街をジグザク斜めに歩いていくことに。観光地として整備したあたりと違って、あふれかえったゴミコンテナが置いてあったり、建物は崩れてたりと、一見ちょっとアブナイ感じのところにさしかかり多少身構えるが、ぱったり人気が途絶えるようなこともなく心配はいらなかった。
向かいの建物と行き来するためかと思いきや、どうやらつっかい棒のようだ。ファサード以外なくなってしまっている建物や、改装しようとしているのかスケルトンだけ残してとりこわし中のように見える建物も。
路上でボンネットを開けて駐まっている車の助手席には、工具を手に奮闘中の男がいた。その横を自転車や小学生くらいの制服の女の子が通り過ぎる。バルコニーには洗濯物を干す人影。生活の場と廃墟が入り組んでいる。
大通りに出て、もうそろそろ駅かなと思ったところで突如、錆び錆びの蒸気機関車が何両も打ち捨てられた場に出くわした。フェンス越しに写真を撮ると、爺さんがニコニコ手招きしている。門を開けてくれた。それぞれの機関車がてんでバラバラの方を向いて、中には釜からテンダーを引きちぎってあるのまであってスクラップ置場のように見えたが、どうやら保存展示されているものらしい。バタくさい風情のSLにさほどの感慨はないのだが、それでもテツのニオイに驚喜して、間近でペチペチ写真を撮って回り、爺さんと記念写真まで撮って、チップに1兌換ペソ渡して去ろうとしたら、片手を開いて首を横に振る。いらない、ということではなく、5兌換ペソらしい。このうちいくらが爺さんの懐にはいるのかは謎だが、帰国後トラベルボデギータ現地駐在員のブログで知ったところでは、鉄道博物館建設に備えてSLを保存してある場所がカピトーリオ付近にもあるらしい。5兌換ペソは案外、博物館準備施設の正規料金かも知れない。ちなみに爺さんにも写真を撮ってもらったが、デジカメを知らなかったらしく、銀塩コンパクトならファインダーがあろう場所にしきりに眼を当てていた。案の定、ぜんぜんあさってのアングルだった。
この仮設鉄道博物館のとなりが、もう駅だった。エスタシオンセントラル。壮麗な駅舎である。正面から入ると、3階まで吹き抜けのホールがあり、出札所があって、大勢の人が汽車待つベンチの列があって、フェンスの向こうに、鉄骨の上屋の載った櫛形のホームがあって、大きなサイズの客車がお尻を向けて停まっていた。社会主義国では鉄道施設をむやみに撮影してはいけないかもと思って、写真は恐る恐る。意外なことに、駅舎内にはゲームコーナーもあった。
歩き疲れたので、SL置場の脇の建物1階にあったカフェでモヒートを一杯。トイレが目的だったのだが、かみさんにはちょっと無理かなという代物だった。ここの店員の少年Dayron君、ヒマだったらしく、しばし歓談。といっても、例の日西イラスト単語帳を持ち出して。野球選手の話をしていたみたいだったが、残念ながら当方の知識が足りず。
旧市街の南西の端っこまで来たので、バスを降りた北東の端っこまで、こんどは大通りを歩いてまず北の方に戻る。初日真っ暗でよく見えなかったカピトーリオの前を通る。ピカピカに手入れされた古いアメ車のタクシーが何台も停まっていた。観光名所前には外国人も乗れるタクシーがこのように停まっているので、道行くタクシーをひろう心配はいらなかったのがやっとわかった。
消防博物館の前を通りがかった。当たり前だが四ツ谷のそれとはだいぶ趣が違う。旧市街には大小いろんな博物館が目に付く。街全体が博物館みたいなところだ。廃墟の有効活用策のひとつなのかも。自動車博物館の自動車は、街中を走っているのとたいして変わらないような気がした。
通りがかりのホテルでトイレを借りようと試みるもなんだか入りづらく、結局アンボスムンドまで戻って屋上のカフェへ。
ブカネロを一杯やって、帰りのバスの時間まであと1時間半ほど。オビスポ通りで土産物を物色するがめぼしいものは見あたらず、子供らが路上で遊ぶ裏通りを撮り歩いて、ホテルサンミゲル前に戻った。早々にバスが行ってしまうとイヤなので、最後はやや駆け足気味に。
発車時刻間際、薄暗くなってきたのにバスが現れずやきもきしたが、無事ホテルに戻って一安心。中国製の新車でバス会社だかレンタカー会社だかの派手な塗装なので路線バスとは見分けが付くが、何しろミラマール行きとも何とも書いていない。停まっていた同じ塗装の一台に尋ねてみたら別のホテル行きだった。ほぼ時間通りバスが来ることだけでも御の字だが、気が利かないよな。カピトーリオ前もピックアップ地点になっていたことも乗ってからわかった。もう一日あれば、アメ車タクシーにでも乗ってみたかったところ。旧市街はまだまだ歩き足りなかったし。
向かいの建物と行き来するためかと思いきや、どうやらつっかい棒のようだ。ファサード以外なくなってしまっている建物や、改装しようとしているのかスケルトンだけ残してとりこわし中のように見える建物も。
路上でボンネットを開けて駐まっている車の助手席には、工具を手に奮闘中の男がいた。その横を自転車や小学生くらいの制服の女の子が通り過ぎる。バルコニーには洗濯物を干す人影。生活の場と廃墟が入り組んでいる。
大通りに出て、もうそろそろ駅かなと思ったところで突如、錆び錆びの蒸気機関車が何両も打ち捨てられた場に出くわした。フェンス越しに写真を撮ると、爺さんがニコニコ手招きしている。門を開けてくれた。それぞれの機関車がてんでバラバラの方を向いて、中には釜からテンダーを引きちぎってあるのまであってスクラップ置場のように見えたが、どうやら保存展示されているものらしい。バタくさい風情のSLにさほどの感慨はないのだが、それでもテツのニオイに驚喜して、間近でペチペチ写真を撮って回り、爺さんと記念写真まで撮って、チップに1兌換ペソ渡して去ろうとしたら、片手を開いて首を横に振る。いらない、ということではなく、5兌換ペソらしい。このうちいくらが爺さんの懐にはいるのかは謎だが、帰国後トラベルボデギータ現地駐在員のブログで知ったところでは、鉄道博物館建設に備えてSLを保存してある場所がカピトーリオ付近にもあるらしい。5兌換ペソは案外、博物館準備施設の正規料金かも知れない。ちなみに爺さんにも写真を撮ってもらったが、デジカメを知らなかったらしく、銀塩コンパクトならファインダーがあろう場所にしきりに眼を当てていた。案の定、ぜんぜんあさってのアングルだった。
この仮設鉄道博物館のとなりが、もう駅だった。エスタシオンセントラル。壮麗な駅舎である。正面から入ると、3階まで吹き抜けのホールがあり、出札所があって、大勢の人が汽車待つベンチの列があって、フェンスの向こうに、鉄骨の上屋の載った櫛形のホームがあって、大きなサイズの客車がお尻を向けて停まっていた。社会主義国では鉄道施設をむやみに撮影してはいけないかもと思って、写真は恐る恐る。意外なことに、駅舎内にはゲームコーナーもあった。
歩き疲れたので、SL置場の脇の建物1階にあったカフェでモヒートを一杯。トイレが目的だったのだが、かみさんにはちょっと無理かなという代物だった。ここの店員の少年Dayron君、ヒマだったらしく、しばし歓談。といっても、例の日西イラスト単語帳を持ち出して。野球選手の話をしていたみたいだったが、残念ながら当方の知識が足りず。
旧市街の南西の端っこまで来たので、バスを降りた北東の端っこまで、こんどは大通りを歩いてまず北の方に戻る。初日真っ暗でよく見えなかったカピトーリオの前を通る。ピカピカに手入れされた古いアメ車のタクシーが何台も停まっていた。観光名所前には外国人も乗れるタクシーがこのように停まっているので、道行くタクシーをひろう心配はいらなかったのがやっとわかった。
消防博物館の前を通りがかった。当たり前だが四ツ谷のそれとはだいぶ趣が違う。旧市街には大小いろんな博物館が目に付く。街全体が博物館みたいなところだ。廃墟の有効活用策のひとつなのかも。自動車博物館の自動車は、街中を走っているのとたいして変わらないような気がした。
通りがかりのホテルでトイレを借りようと試みるもなんだか入りづらく、結局アンボスムンドまで戻って屋上のカフェへ。
ブカネロを一杯やって、帰りのバスの時間まであと1時間半ほど。オビスポ通りで土産物を物色するがめぼしいものは見あたらず、子供らが路上で遊ぶ裏通りを撮り歩いて、ホテルサンミゲル前に戻った。早々にバスが行ってしまうとイヤなので、最後はやや駆け足気味に。
発車時刻間際、薄暗くなってきたのにバスが現れずやきもきしたが、無事ホテルに戻って一安心。中国製の新車でバス会社だかレンタカー会社だかの派手な塗装なので路線バスとは見分けが付くが、何しろミラマール行きとも何とも書いていない。停まっていた同じ塗装の一台に尋ねてみたら別のホテル行きだった。ほぼ時間通りバスが来ることだけでも御の字だが、気が利かないよな。カピトーリオ前もピックアップ地点になっていたことも乗ってからわかった。もう一日あれば、アメ車タクシーにでも乗ってみたかったところ。旧市街はまだまだ歩き足りなかったし。
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