久しぶりに、父のことを書いたブログ「愉快な認知症」の一部を読んだ。
2011年7月22日に、ショートステイ中の介護施設から救急搬送された父。
診断の結果は「急性硬膜化血腫」。
それから291日目、2012年5月7日、父は逝った。
その間に書いた、私の心模様を含む文章がブログには綴ってある。
2011年8月7日に書いた文章。
「なぜ?なぜ?どうして?」
この記事の最後に書いてた文章を、下記に . . . 本文を読む
あれから1週間。
壁にかかっている、我が家の日めくりカレンダーは「22日」のままである。
7月22日、午後3時、我が家の電話が鳴った。
母からである。
父がショートステイ中に救急車で搬送された。
意識は無い・・・。
これから3時間の手術、病名は「急性硬膜下血腫」、症状は「意識障害」。
~さてさて、愉快な認知症の父に何があったのか?~
私が得た情報の記録を元に、ありのままそのままを綴 . . . 本文を読む
昨年の暮から、再び我が家で愉快な認知症の父と脳天気な母との生活が始まった。
年を追うごと日を追うごとに、父の認知症の変化は加速の一途を辿っている。
父は今、週3日のデイサービスを利用し機嫌よく通っている。
そのお陰で、私たち家族の負担は随分と軽減されとてもありがたい。
しかし、それでも一日のうちに起きる多種多様で変化に富んだ父に関する出来事は、私たちの毎日を濃厚にし、私たちの時間を充実したものに . . . 本文を読む
≪私たち家族は“今”の父の姿をそのまま彼の個性として受け止め、光明思考・光明姿勢で接しています。≫
父の突然のマジック「不思議なポケット」から出てくるものは、飴やチョコレートなどのお菓子のほか、道で拾った壊れたキーホルダーや鍵などの金属物や、家の庭で拾った小石や昔のタイルだったり、『え!?』と思うような見覚えの無い時計やどこかのお店の領収書だったりとさまざまです。
どういう基準で拾い物をしている . . . 本文を読む
≪私たち家族は“今”の父の姿をそのまま彼の個性として受け止め、光明思考・光明姿勢で接しています。≫
地域にあるスポーツサークルをみみかが見学したいと言うので、父と3人で行った時の出来事。
体育館の片隅で、子供たちのスポーツする姿を3人座って見学していました。
ほんの短時間でも興味がないとソワソワする父でしたが、子供たちのサークルだということもあり(父は子供が好き・仲間だと思っているようなところ . . . 本文を読む
≪私たち家族は“今”の父の姿をそのまま彼の個性として受け止め、光明思考・光明姿勢で接しています。≫
みんなで一緒にいる体制を取ってから、みみかは再び「教室」へ通い始めました。
ジジババが自分たちと一緒にいることにみみかは安心出来るようになったのでしょう。
しかし、今度は父がソワソワとし始めました。
みみかが「教室」へ行かず父と一緒にいてくれたときには、みみかも父もお互いにあれこれとお世話をしてく . . . 本文を読む
父の認知症に対する、私の原点の文章です。
父の症状がポツリポツリと出だしたのが、かれこれ10年ほど前・・。
思い返すと、あの頃の私には変わっていく父を受け入れることが難しかった。
昔の父じゃない・・!
昔の父はあんなでこんなで・・と、頭の中で昔の父と比較しては悲しくて切なくて辛かった。
昔の父ではない、今ある現実の父の症状が出るたび、悲しくなって一人泣いていることが多かった。
この先父は . . . 本文を読む
金曜日、みみかの学校では遠足でした。
木曜日の朝、遠足の参加意志をみみかに確認すると、彼女は明日の遠足にも「教室」にも行かないと言い、「ジジのそばにいる、ジジのところへ行く」と言って、その日のうちに急遽実家へ行くことになりました。
仕事中の母に電話をかけ実家行きを伝えると、「そう、実は今朝お父さんが出かける出かけると言ってきかなかったの・・」「どこに行きたいのかは分からなかったんだけど・・」と言 . . . 本文を読む