不登校児だった、みみか。
久しぶりに過去のアルバムを引っ張り出してきた。
不登校児歴はこちらのとおり。
学校での写真に映ったみみかに笑顔はほとんどない。
不登校になり、学校に行かない状態になったとたん、アルバムの写真のみみかは満面の笑み。
幼稚園や学校へ通っている間のみみかに、私も違和感を感じていたんだよな。
帰って来ると「みみからしくない」顔になってる。
帰って来ると「みみからしくない」異 . . . 本文を読む
みみかの不登校児歴をまとめてみた。
◎幼稚園時代(3年保育/年中の6月に退園)
年少の1年間は通園。
しかし当初から、あまり楽しそうには見えなかった。
健康だったみみか、幼稚園へ通う間に熱や咳が続くことがあり、精神的な要素の強い咳をしているように感じた。
年中になって間もなく、「幼稚園へ行かない!」そう言うみみかとの毎日のバトルが勃発。
大人の論法で「行きたくない理由」をしつこく聞くも、『あの . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
ある時期、みみかが「馬鹿!馬鹿!馬鹿!」「みみかは馬鹿だ!」と自分に対して癇癪を起こす。
やりかけの事柄が上手くいかないのか、「なんにも上手に出来ない!みみかは馬鹿だ!」と自分を卑下して悲観的な感情が止まらない。
ブルーに陥ってしまったみみかに、「そんなこと無いよ!」「みみかはいろんことが出来て賢くていい子だよ!」と、私は励ます。
すると、その言葉を聞いた彼女「みみかはい . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
ある日、みみかがブンブンとうるさく付きまとう蚊に刺され腹を立てていた。
「もうー!蚊なんかいなくなっちゃえ!」
そんなみみかに、
「みみかも昔は蚊に生まれて、人間の血を吸っていたのかも知れないよ。」
と言う私に、
「みみか、蚊になんか生まれない!」とお怒り。
「でもね、生命はなんにでもなれるんだよ。」
ふいに私の口から出た言葉。
そうっかあ~!『生命はなんにでも成り . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
『自分』についての絶対的価値はどこにある?
子供なら、学校や学校にいる先生?はたまた親や周りにいるお友達?
大人なら、社会や会社や社長や上司?はたまた配偶者や恋人や周囲のご近所さん?
人によって大事な宝物は違う。
人から見ればくだらないものでも、その人自身にとっては、とても大切な価値のある大事な宝物。
見る人の数だけ様々な価値があり、絶対的な価値基準や価値判断は自分の中 . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
神子屋教育の場である我が家では「生命礼拝・尊重・祝福」の「生命教育」、そして「神の御心のままに(大いなる自然の力に)」全托の姿勢が基本です。
・全ての人間は、神の子であり仏の子であり、神性たるもの仏性たるものが宿る霊的な生命的な存在である。
・この世界は愛や光や善のみの素晴らしい実在であって、愛を知るため・愛を表現するため・愛を体験するために全ては存在している。
. . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
■認知症の父
私には認知症の父がおります(みみかにとって祖父です)。
彼の症状から、私たち家族は彼にとって最もいい方法として、実家の母を中心に施設などは利用せず、自分たちで看ております。
予想のつかない彼の症状や行動により、突然の実家訪問や計画や予定の変更など余儀なくされることが多々あります。
この件を含め、校長先生をはじめ担任して下さる先生には、ご心配やご迷惑お手数を . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
子供たちの心は素晴らしく純粋で素直で直感的です。何が大事で何が大切で何が尊重されるべきものなのか、大人の本音と建前の区別ない世界が子供にはあると思います。
生命(子)殺しをするような母親を、子供は本当に心から信頼し愛せるでしょうか。
自分はこの世に生まれたとしても、自分の兄弟にあたる子供たちの生命が殺されていたとすれば、「果たして自分の生命とは?」「母の愛とは?」と疑問を . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
2.≪子供と母親との信頼関係≫
先に述べましたと同様に、子供と母親との関係においても、子供たちが安心して頼れる「生命を大切にする大人」との関係を構築することが大事なポイントであり、≪学校に行きたくない!学校は怖いところ!学校へ行ったら自分は死んでしまう!帰って来られなくなる!学校怖い、人間も怖い!!≫そう泣き叫ぶ彼女の訴えは、母親である私に(母)親の「生命に対する姿勢」を . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
私は過去に、鬱になった経験があります。
鬱になり死ぬほどの苦しみを体験した私は、そんな風になってしまうような私を育てた常識枠や刷り込み的価値観を教えた学校教育システムをとても憎みました。
もっと自由に個性のまま、ありのままの私を出させてくれなかった、型にはまった従来の教育現場のあり方、そういった現存の学校システムや社会を嫌いました。
私はある意味では“いい子”でした。
そ . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
学校へ行きたがらない子供たち(登校拒否・ひきこもり等)や昨今のいじめや自殺、今なお止む事のない子供たちの生命に関わるあらゆる事件事故、そういった社会的問題現象の奥底には、私たち大人のそして社会全体の「生命に対する姿勢」が問われているのではないかと感じています。
大袈裟ではなく、砂が指の隙間からどんどんこぼれ落ちてしまうような、今日の生命に対する扱われ方の現状に、「生命を大 . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
「学校へ行きたくない」そう思う最大の理由について。
彼女が見せてくれたさまざまな表現と実体験から、「学校へ行きたくない」そう思う最大の理由は2つあると、私は考えるに至りました。
それは≪子供と学校との信頼関係≫と、≪子供と母親との信頼関係≫です。
1.≪子供と学校との信頼関係≫
子供への教育は「子供に内在する生命力(個性的無限の能力)を、如何に引き出すか」ということが本 . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
■みみかに起きた登校拒否に関する経緯と現状
2006.9
毎日元気に楽しく登校していたが、突然9月に入ってから普通に学校へ行けなくなる。
朝目を覚ますと開口一番「学校行かない!」、「お母さんがいい!」そう言って号泣。
無理やり切り離そうとすればするほど彼女の号泣は激しさを増し、離されまいと泣き叫びながら私に抱きつこうとする。
保育所や幼稚園などで母子が離れる瞬間の風景によ . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
■流産児・・・水子。自然に流れる場合を自然流産児、堕胎中絶によって殺められる場合を人工流産児と言う。
私はこの世に生まれ出ることの出来なかった流産児のためにずっと祈りを捧げていました。特に、中絶児に関しては親の代表として懺悔の心で供養をしています。
私自身には流産児はおりませんが、何故だか私は流産児たちの思いを強く感じ、何かしらの深いご縁を思うのです。
彼らの思いは、社 . . . 本文を読む
※「神子屋教育の礎」※
■不殺生菜食(給食について)
我が家では牛・豚・鶏・魚介類・タマゴを食べない「不殺生菜食」をしており、私は「不殺生菜食者」です。
だしやルーなども動物性が入っているものは一切使いません。
彼女には強制してはいませんが、家庭で食べるものは必然的に「不殺生菜食」となります。
学校給食もいっそのこと、お弁当を持たせようかとも思いましたが、彼女自身が私の姿勢を見て自然と肉食をや . . . 本文を読む