ガラテヤ人への手紙 解説 4
口語訳聖書引用
この手紙は,パウロがガラテヤに
紀元50年ごろに送っています。
イエス・キリストの十字架,復活,
聖霊の降臨,再臨について,
信じる者の罪の赦し,義,十字架の体験,
聖霊を受け,聖霊の実,永遠のいのち,
新しい創造が宣べています。
○
ガラテヤ1章
恵みと平安
(ガラテヤ1:1-5)
「人々からでもなく,
人によってでもなく,
イエス・キリストと
彼を死人の中からよみがえらせた
父なる神とによって
立てられた使徒パウロ,
ならびにわたしと共にいる
兄弟たち一同から,
ガラテヤ諸教会へ。
わたしたちの父なる神と
主イエス・キリストから,
恵みと平安とが,
あなたがたにあるように。
キリストは,
わたしたちの父なる神の御旨に従い,
わたしたちを今の悪の世から
救い出そうとして,
ご自身をわたしたちの罪のために
ささげられたのである。
栄光が世々限りなく神にあるように,
アァメン。」
手紙のはじめの挨拶です。
ここで福音を宣べています。
イエス・キリストは,
わたしたちの罪のために,
十字架にかかり,
復活しました。
わたしたちが
イエス・キリストを信じるなら,
罪から救い出され,
罪がを赦され,
恵みと平安が与えられます。
○
イエス・キリストの啓示
(ガラテヤ1:11,12)
「兄弟たちよ。
私はあなたがたに知らせましょう。
私が宣べ伝えた福音は,
人間によるものではありません。
私はそれを人間からは受けなかったし,
また教えられもしませんでした。
ただイエス・キリストの啓示によって
受けたのです。」
パウロの宣べ伝えた言葉は,
神の啓示によるものです。
わたしたちが,
パウロの手紙を神の言葉として
受け入れるのは,
ここにあります。
福音は人間によるものでは,ありません。
福音とは
イエス・キリスト御自身のことです。
●
義認
(ガラテヤ2:16)
「人は律法の行ないによっては
義と認められず,
ただキリスト・イエスを信じる
信仰によって義と認められる,
ということを知ったからこそ,
私たちも
キリスト・イエスを信じたのです。
これは,律法の行ないによってではなく,
キリストを信じる信仰によって
義と認められるためです。
なぜなら,律法の行ないによって
義と認められる者は,
ひとりもいないからです。」
神は,わたしたちを罪から救い,
義としてくださっています。
わたしたちは,
信仰によって受け取ることができます。
「義と認められる」とは,
神の前に義であると宣言され,
神の律法を守れないに罪を
犯したとされる場合にも,
キリストの贖いのゆえに,
「義と認められます」。
法廷用語であって,
「義と認める」の主体は
裁判官としての神です。
神が人を義と認めるのは,
その無罪を宣言することです。
「信仰」は,
キリストにすべてを委ねることで,
神の恵みに根拠をおいています。
「知った」とは,
人が神の恵みを
人生全体で受け入れることです。
神の義については,
ローマ書には次のように書かれています。
(ローマ3:21-24)
「しかし,今は,律法とは別に,
しかも律法と預言者によって
あかしされて,
神の義が示されました。
すなわち,イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
それはすべての信じる人に与えられ,
何の差別もありません。
すべての人は,罪を犯したので,
神からの栄誉を受けることができず,
ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」
○
ガラテヤ2章
「キリストと共に生きる」
(十字架と復活)
(ガラテヤ2:19,20)
「私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が肉にあって
生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった
神の御子を信じる
信仰によっているのです。」
イエス・キリストは,
十字架につけられ復活しました。
わたしたちの内に,
このキリストが生きています。
御自身をささげられた
神の御子を信じる信仰によって,
生きています。
(ローマ6:4,5)
「わたしたちは,
その死にあずかるバプテスマによって,
彼と共に葬られたのである。
それは,キリストが父の栄光によって,
死人の中からよみがえらされたように,
わたしたちもまた,
新しいいのちに生きるためである。
もしわたしたちが,
彼に結びついて
その死の様にひとしくなるなら,
さらに,彼の復活の様にも
ひとしくなるであろう。」
○
ガラテヤ3章
御霊を受ける 「大きな経験」
(ガラテヤ3:2)
「わたしは,ただこの一つの事を,
あなたがたに聞いてみたい。
あなたがたが御霊を受けたのは,
律法を行ったからか,
それとも,聞いて信じたからか。」
ガラテヤの信徒は,
聖霊を受けた体験は,
ペンテコステの日の体験と
同じものであったと思われます。
(使徒2:4,10:46,19:6)
ここでは,つぎのように述べています。
信仰(3:2)→霊を受ける(3:2)
→義とされる(3:6)→祝福(3:9)
(ガラテヤ3:1-6)
「ああ,物わかりのわるいガラテヤ人よ。
十字架につけられたイエス・キリストが,
あなたがたの目の前に
描き出されたのに,
いったい,
だれがあなたがたを惑わしたのか。」
(3:1)
「わたしは,ただこの一つの事を,
あなたがたに聞いてみたい。
あなたがたが御霊を受けたのは,
律法を行ったからか,
それとも,聞いて信じたからか。」
(3:2)
「あなたがたは,
そんなに物わかりがわるいのか。
御霊で始めたのに,
今になって肉で仕上げるというのか。」
(3:3)
「あれほどの大きな経験をしたことは,
むだであったのか。
まさか,むだではあるまい。」
(3:4)
「すると,あなたがたに御霊を賜い,
力あるわざを
あなたがたの間でなされたのは,
律法を行ったからか,
それとも,聞いて信じたからか。」
(3:5)
「このように,アブラハムは
『神を信じた。
それによって,彼は義と認められた』
のである。」
(3:6)
○
アブラハムの祝福,聖霊を受ける
(ガラテヤ3:14)
「それは,アブラハムの受けた祝福が,
イエス・キリストにあって
異邦人に及ぶためであり,
約束された御霊を,
わたしたちが信仰によって
受けるためである。」
キリストの贖いの業によって,
信じる者はアブラハムの祝福(義認など)と
聖霊を受けます。
●
キリストの贖い
(のろいからの解放)
(ガラテヤ3:13)
「キリストは,
私たちのためにのろわれたものとなって,
私たちを律法ののろいから
贖い出してくださいました。
なぜなら,
『木にかけられる者は
すべてのろわれたものである。』
と書いてあるからです。」
旧約聖書には,罪を犯すものは,
のろわれるとあります。
(申命記28:20)
「主はあなたが
手をくだすすべての働きにのろいと,
混乱と,懲らしめとを送られ,
あなたはついに滅び,
すみやかにうせ果てるであろう。
これはあなたが悪をおこなって
わたしを捨てたからである。」
(申命記21:23)
「翌朝までその死体を木の上に
留めておいてはならない。
必ずそれをその日のうちに
埋めなければならない。
木にかけられた者は
神にのろわれた者だからである。
あなたの神,
主が嗣業として賜わる地を
汚してはならない。」
イエス・キリストが,
わたしたちのために
のろいとなってくださいました。
わたしたちはのろいから自由にされ,
解放され,神の祝福が与えられます。
「贖い出す」とは,代価を払って,
ある人を奴隷の身分から
解放することを言います。
「私たちのために
のろわれたものとなって」とは,
キリストの十字架での死を意味します。
「木にかけられる者」とは,
十字架につけられる者のことです。
キリストが十字架につけられ,
われわれの律法ののろいを
身代わりに受けててくださったので,
わたしたちは律法ののろいから
贖い出されました。
(ローマ3:24)
「ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」
○
ガラテヤ4章
御子の霊
(ガラテヤ4:6)
「このように,
あなたがたは子であるのだから,
神はわたしたちの心の中に,
『アバ,父よ」と呼ぶ御子の霊を
送って下さったのである。 』」
聖霊のバプテスマの体験によって,
聖霊を心に受けます。
神は私たちの心に聖霊を送ってくださり,
「アバ 父よ」と叫ぶ,
子の身分を授けます。
この体験は,
わたしたちに,律法の奴隷でなく,
神の子である確信を与えてくださいます。
「父なる神」との
親しい交わりが与えられます。
(ローマ8:15)
「あなたがたは
再び恐れをいだかせる奴隷の霊を
受けたのではなく,
子たる身分を授ける霊を受けたのである。
その霊によって,
わたしたちは『アバ,父よ』と
呼ぶのである。」
○
イエスの降誕
(ガラテヤ4:4)
「時の満ちるに及んで,
神は御子を女から生れさせ,
律法の下に生れさせて,
おつかわしになった。」
イエス・キリストは
人として来られた神です。
○
「神に知られている」
(ガラテヤ4:9)
「今では神を知っているのに,
否,むしろ神に知られているのに,
どうして,あの無力で貧弱な,
もろもろの霊力に逆もどりして,
またもや,
新たにその奴隷になろうとするのか。」
私たちは,この世の力,
悪の力からの奴隷となってはいけません。
イエス・キリストの
僕となっているからです。
○
キリストを形造る
(ガラテヤ4:19)
「私の子どもたちよ。
あなたがたのうちに
キリストが形造られるまで,
私は再びあなたがたのために
産みの苦しみをしています。」
イエス・キリストを信じる者は,
キリストと一つとなり,
キリストが心のうちに形造られます。
○
ガラテヤ5章
希望の実現,愛による働く信仰だけ
(ガラテヤ5:5,6)
「わたしたちは,
義とされた者の希望が実現することを,
“霊”により,
信仰に基づいて
切に待ち望んでいるのです。
キリスト・イエスに結ばれていれば,
割礼の有無は問題ではなく,
愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」
「義とされた者の希望が実現」とは,
イエスの再臨のときに与えられる
わたしたちの「栄化」です。
将来の栄光,体の贖われることです。
(ローマ8:18,19)
「現在の苦しみは,
将来わたしたちに現されるはずの
栄光に比べると,
取るに足りないとわたしは思います。
被造物は,
神の子たちの現れるのを
切に待ち望んでいます。」
そして,
「愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」
と言います。
(ヤコブ2:14)
「わたしの兄弟たち,
自分は信仰を持っていると
言う者がいても,
行いが伴わなければ,
何の役に立つでしょうか。
そのような信仰が,
彼を救うことができるでしょうか。」
○
「キリスト者の自由」
(ガラテヤ5:13)
「兄弟たちよ。
あなたがたが召されたのは,
実に,自由を得るためである。
ただ,その自由を,
肉の働く機会としないで,
愛をもって互に仕えなさい。」
私たちは,聖霊により,
信仰により自由にされます。
この自由によって,人に仕え,
愛することを勧められています。
○
御霊によって歩く
(ガラテヤ5:16)
「わたしは命じる,
御霊によって歩きなさい。」
わたしたちが御霊によって歩くために,
御霊の実を与えてくださっています。
ガラテヤ人の書かれた当時は,
イエス・キリストを信じた人は,
水のバプテスマを受けました。
その時,聖霊が下り,
聖霊のバプテスマを受け,
異言を語りました。
そのため,御霊の働きがあらわれました。
○
御霊の実
(ガラテヤ5:25)
「御霊の実は,
愛,喜び,平和,
寛容,慈愛,善意,
忠実,柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は,
キリスト・イエスに属する者は,
自分の肉を,
その情と欲と共に
十字架につけてしまったのである。
もしわたしたちが
もしわたしたちが
御霊によって生きるのなら,
また御霊によって進もうではないか。」
イエス・キリストを信じる者は,
神から内に聖霊が与えられます。
そして,聖霊によって,
「御霊の実」が与えられます。
「御霊の実」とは,次のとおりです。
「愛」は,自分の利益よりも
ほかの人々の利益を求める愛である。
「喜び」は,
状況によらない神に与えらます。
「平安」は,神の正しい関係による
心の平静さと喜びです。
「寛容」とは,耐え,がまんすること
「親切」は,心から思いやること
「善意」は正しいこと
「誠実」は,約束を固く守ること
「柔和」は,人に対し友好的で,
温和で寛容なことです。
「自制」は,
自分の感情を抑制して
正しい行動をすることです。
○
6章
永遠の命
(ガラテヤ6:8)
「自分の肉のために蒔く者は,
肉から滅びを刈り取り,
御霊のために蒔く者は,
御霊から永遠のいのちを
肉から滅びを刈り取り,
御霊のために蒔く者は,
御霊から永遠のいのちを
刈り取るのです。」
御霊(聖霊)によって歩むものは,
御霊(聖霊)によって歩むものは,
聖霊によって,
永遠のいのちを受け取ります。
イエス・キリストを信じるものには,
イエス・キリストを信じるものには,
約束してくださった
永遠のいのちを受けます。
(ヨハネ3:16)
「神は,実に,
そのひとり子をお与えになったほどに,
世を愛された。
それは御子を信じる者が,
ひとりとして滅びることなく,
永遠のいのちを持つためである。」
○
新しい創造
そのひとり子をお与えになったほどに,
世を愛された。
それは御子を信じる者が,
ひとりとして滅びることなく,
永遠のいのちを持つためである。」
○
新しい創造
(ガラテヤ6:15)
「割礼の有無は問題ではなく,
大切なのは,
新しく創造されることです。」
イエス・キリストを信じる者は,
新しく生まれます。
新しく生まれます。
「新しく創造される」のです。
初めの神の創造は,
アダムとイブの罪のために,
堕落したものとなりました。
イエス・キリストの
十字架の贖いによって,
「新しく創造」されるのです。
その完成は,再臨のときです。
そのとき,
わたしたちは「復活の体」が与えられます。
(1コリント15:51,52口語訳)
「ここで,
あなたがたに奥義を告げよう。
わたしたちすべては,
眠り続けるのではない。
終りのラッパの響きと共に,
またたく間に,一瞬にして変えられる。
というのは,ラッパが響いて,
死人は朽ちない者によみがえらされ,
わたしたちは変えられるのである。」
(ヨハネ3:3)
「イエスは答えて言われた。
『まことに,まことに,
あなたに告げます。
人は,新しく生まれなければ,
神の国を見ることはできません。』」
『まことに,まことに,
あなたに告げます。
人は,新しく生まれなければ,
神の国を見ることはできません。』」
○
イエスの焼き印
(ガラテヤ6:17)
「だれも今後は,
わたしに煩いをかけないでほしい。
わたしは,
イエスの焼き印を
身に帯びているのだから。」
「イエスの焼き印」とは,
パウロがキリストの福音を
宣べ伝えるために受けた迫害の傷跡です。
また「イエスの焼き印」とは,
わたしたちの内なる聖霊でもあります。
(2コリント1:22)
「神はまた,
確認の印を私たちに押し,
保証として,
御霊を私たちの心に
与えてくださいました。」
2019-09-09