10. 信頼
(弟子の召命)
エレミヤ1:9-12
(エレミヤの召命)
1コリント12:12-26
(一つの体,多くの部分)
ルカ5:1-11
(漁師を弟子にする)
「シモンは,
『先生,わたしたちは,
夜通し苦労しましたが,
何もとれませんでした。
しかし,お言葉ですから,
網を降ろしてみましょう』
と答えた。」
(ルカ5:5)
1.
(エレミヤ1:9-12 エレミヤの召命)
梅が咲き始めました。
厳しい寒さの真っ直中ですが,
春を告げる営みが始まっています。
季節の推移を敏感に感じて,
歌を読み俳句を作ることは
日本の文化でもあります。
今日の日課にも,
季節の推移を敏感に捉(とら)えて,
真理を読み取っている
イスラエルが描かれています。
聖書の国イスラエルでの春を知らせる花は,
アーモンドです。
春の魁(さきがけ)として,
梅の花のように白い花を咲かせます。
エレミヤは,
庭のアーモンドの白い花を見ていた時に,
主なる神の御言葉を聞きます。
主は,
「エレミヤよ,何が見えるか」
(エレミヤ1:11)と言われます。
エレミヤが
「アーモンドの枝が見えます」
(エレミヤ1:11)と答えると,
主なる神はおっしゃいます。
「あなたの見るとおりだ。
わたしは,
わたしの言葉を成し遂げようと
見張っている。」
(エレミヤ1:12)
主なる神様は
アーモンドが咲く頃を捉(とら)えて,
エレミヤに
「わたしは,
わたしの言葉を成し遂げようと
見張っている」
(エレミヤ1:12)
と御心をお示しになりました。
エレミヤはこの白い花を見るたびに,
この御言葉を成し遂げようとされる
主のお言葉を思い起こして,
励まされたことでしょう。
○
(ヨハネ1:14)
神の言葉とは,何でしょうか。
ヨハネによる福音書では,
イエスさまを
「言は肉となって,
わたしたちの間に宿られた」
(ヨハネ1:14)
と記します。
イエスさまこそは,
神様の御言葉なのです。
2.
(ルカ5:1-11)
(漁師を弟子にする)
イエスさまが
ゲネサレト湖畔に立っておられた時には,
イエスさまが神の御言葉であることに
気づいていた人はいなかったでしょう。
しかし,
イエスさまの御言葉に
力があるということには,
たくさんの人が気づいていました。
今日の福音書の日課の箇所には,
「神の言葉を聞こうとして,
群衆が周(まわ)りに押し寄せて来た」
(ルカ5:1)
と書かれています。
群衆がイエスさまの周りに
押し寄せて来たので,
イエスさまは
シモンという漁師の持ち舟に乗り,
岸から少し漕(こ)ぎ出させます。
その舟から群衆に
神の国について教えられます。
そして,
話を終えるとシモンに2つのことを
命じられました。
それは,
「わたしの言葉を
成し遂げようと見張っている」
(エレミヤ1:2)
と言われた
神の御言葉が教えとしてではなく,
シモンに次のように語られます。
「沖に漕(こ)ぎ出して網を降ろし,
漁をしなさい。」
(ルカ5:4)
ここでは,
2つのことが命令されています。
一つは「沖に漕ぎ出すこと」,
もう一つは
「網を降ろし,漁をする」ことです。
漁はもう終わっていました。
その日,夜通し苦労して舟を漕ぎ,
網を降ろしていました。
けれども,
その苦労が何一つ
報いられなかったのです。
漁師(りょうし)として,なすべきことは,
なしてしまったのですが,
何の成果も上げることができなかったのです。
このなすべきことをなしたが,
何の成果も上げることのできない人に,
神様の次の御言葉が語られます。
「沖に漕(こ)ぎだせ。」(ルカ5:4)
そして,一緒にいる者と共に「網を降ろせ」
(ルカ5:4)と命じます。
「沖に漕ぎだせ。」これは,
シモンに命じられています。
「網を降ろし,漁をしなさい。」
このことは一人ではできませんので,
一緒に舟に乗り込んでいた人たちに
命じられた言葉です。
このことはギリシャ語の聖書は
複数形の命令文で伝えています。
すなわち,
「あなた方は漁のために,網を降ろしなさい」
(ルカ5:4)と命じられました。
神の御言葉は
シモンと一緒にいた他の人にも
語られています。
ですから,
イエスさまは次のようにおっしゃったのです。
「沖に漕ぎ出しなさい。
そして,あなた方は漁のために,
網を降ろしなさい。」
(ルカ5:4)
そこで,シモンは
「先生,わたしたちは,
夜通し苦労しましたが,
何もとれませんでした」
(ルカ5:5)
と言い,
続いて
「しかし,お言葉ですから,
網を降ろしてみましょう」
(ルカ5:5)と言います。
この言葉は,シモンの決断を示す言葉です。
この言葉は複数形の
「わたしたちは網を降ろしてみましょう」
と言っているのではなく,
単数形で「わたしは網を降ろしましょう」
と言っています。
ご自分の言葉を成し遂げようと
見張っておられる主の言葉はシモンに語られ,
シモンを沖へ漕ぎださせ,網を降ろさせました。
わたしたちの現状は夜通し苦労したが,
何もとれなかったシモンたちと
同じ状況であるかもしれません。
そのようなわたしたちにも,
「沖へ漕ぎだし,
網を降ろして,漁をしなさい」
と言う言葉は語られています。
その言葉を聞いて,
わたしたちもシモンと同じように
「お言葉ですから,網を降ろしてみましょう」
と答える者でありたいと思います。
シモンが網を降ろす決断をした時,
それは漁師たち一同の決断となり,
漁師たちは協力して網を降ろしました。
すると,
「おびただしい魚がかかり,
網が破れそうになった」
(ルカ5:6)ので,
他の舟の仲間まで駆り出されました。
3.
(1コリント12:12-26)
(一つの体,多くの部分)
一人の人の御言葉への信頼が,
他の人々をも
大きな収穫の恵みに与(あず)からせます。
ここに教会のあるべき姿があります。
パウロは次のように言っています。
「一つの部分が苦しめば,
すべての部分が共に苦しみ,
一つの部分が尊ばれれば,
すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストの体であり,
また,一人一人はその部分です。」
(1コリント12:26,27)
寒い中に,梅が咲き始めています。
わたしたちもまた,
恵みから遠いような状況に
おかれているのかも知れません。
しかし,わたしたちにも,
「沖に漕ぎだして,網を降ろしなさい」
との御言葉は語られています。
その御言葉に信頼して,
寒い中で春を待つように,
主の御恵みがわたしたちの上にも
実現することを待ちましよう。
主は,
「わたしは,
わたしの言葉を成し遂げようと見張っている」
(エレミヤ1:12)
と,おっしゃってくださっています。
目覚めよと眠りを覚ます梅開花
(2007年1月27日
(顕現節第4主日)
(F教会 松隈 貞雄牧師)
2014-02-23