9. 御言葉の力
(顕現節第3主日・宣教)
ルカ4:16-30
(ナザレでの宣教)
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために,
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは,
捕らわれている人に解放を,
目の見えない人に視力の回復を告げ,
圧迫されている人を自由にし,
主の恵みの年を告げるためである。」
(ルカ4:18-19)
1.
(ルカ4:16-21 ナザレでの宣教)
今日の福音書の中で語られる
イエスさまの言葉には,
力がありました。
イエスさまは,
お育ちになったナザレに帰られて,
会堂に入られます。
聖書を朗読しようとしてお立ちになると,
預言者イザヤの書が渡されます。
巻き物に書かれた聖書を開き,
イザヤ書の61章1節から
読み始められます。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために,
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは,
捕らわれている人に解放を,
目の見えない人に視力の回復を告げ,
圧迫されている人を自由にし,
主の恵みの年を告げるためである。」
(ルカ4:18-19)
イザヤ書61章1節以下は,
「貧しいものへの福音」
(新共同訳聖書)という題がつけられ,
福音は誰によって,
具体的には何が伝えられるかが
書かれています。
誰によってかは,
次のように告げています。
「主はわたしに油を注ぎ,
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして,
貧しい人に良い知らせを
伝えさせるために。」
(イザヤ61:1a)
この言葉によって,
「良い知らせ」(すなわち福音)
を伝えることは,
神様が「わたし」に油を注ぎ,
神様の霊が「わたし」
をとらえることによって
始まることが分かります。
次に福音の具体的な内容が,
次の言葉で示されました。
「捕らわれている人に解放を,
目の見えない人に視力の回復を告げ,
圧迫されている人を自由にし。」
(ルカ4:18b)
そして,
イザヤ書の「主が恵みをお与えになる年」
(イザヤ書61:2)へと続きます。
福音書では
「主の恵みの年を告げるためである」
(ルカ4:19)となっています。
このように,
イエスさまはイザヤ書61章1節,
2節を朗読されました。
「圧迫されている人を自由にし」
(ルカ4:18)という言葉は,
イザヤ書の「虐げられた人を解放し」
(イザヤ58:6)という言葉が
使われています。
イエスさまは,
この「圧迫されている人を自由にし」
という言葉を挿入されます。
それは,この言葉によって,
福音を伝えることの目標を
強調したいからではないでしょうか。
福音の目標は,
人を束縛(そくばく)しているものから
解放することです。
この「解放を告知させるために」
(イザヤ61:1),
すなわち,「主の恵みの年を告げるために」
(ルカ4:19),
主は「油を注がれた」
(ルカ4:18)のです。
そして,「良い知らせ」の目標が
「主の恵みの年を告げる」
ことであることがわかります。
聖書の示す福音を朗読されたイエスさまは,
預言者イザヤの巻き物を巻き,
係の者に返してから,
席に座られました。
すると,
会堂にいたすべての人々は,
イエスさまに注目します。
それは,
「主が油を注がれ,
お遣わしになったわたし」
であるイエスさまご自身が,
聖書の言葉を
力強く朗読されたからであります。
そして,この力強さを証明するために,
イエスさまは次のようにおっしゃいました。
「この聖書の言葉は,
今日,あなたがたが耳にしたとき,
実現した。」
(ルカ4:21)
人々を束縛(そくばく)から解放する
聖書の言葉が実現したとは,
具体的に
「捕らわれている人に解放を,
目の見えない人に視力の回復を告げ,
圧迫されている人を自由にする」
(ルカ4:18)
ということが実際に起きることです。
2.
(ルカ4:22-30)
(イエス,ナザレでは受け入れられない)
しかし,
この人々の解放の願いの実現は,
いつでも,
どこでも起きるのではありません。
それは恵みとして起きるのです。
そのことをイエスさまは,
会堂にいた人々に
エリヤの時とエリシャの時の例で
語られました。
エリヤの場合には,
イスラエルには
飢饉(ききん)で困っている,
たくさんのやもめが
いたにもかかわらず,
エリヤはイスラエルのやもめたちの
ところではなく,
異邦人のやもめのところに遣わされました。
エリシャによって
重い皮膚病がいやされたのは,
シリア人のナウマンという人でした。
なぜ,このようなことが起きるのか,
わたしたちには分かりません。
このことは,
神様のみ旨(むね)にゆだねるべき
ことであると思います。
イエスさまの言葉の力強さは
神様のみ旨を示し,
またその御旨が実現することを
お伝えになっているところから出ています。
神様の御旨は神様がお望みになり,
わたしたちの願いを
聞いてくださるところで起きるのです。
まだ,厳しい寒さは続きます。
しかし,梅の花は咲き始めています。
わたしたちもまた,
恵みから遠いような状況に
おかれているかもしれません。
しかし,イエスさまによって,
次の言葉の実現が宣言されています。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために,
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは,
捕らわれている人に解放を,
目の見えない人に視力の回復を告げ,
圧迫されている人を自由にし,
主の恵みの年を告げるためである。」
(ルカ4:18-19)
この御言葉に信頼して,
寒い中で春を待つように,
主の御恵みがわたしたちの上にも
実現することを待ちましよう。
御言葉を心に留めて春を待つ
(2007年1月21日 M教会)
松隈 貞雄 牧師