雅歌2章
(雅歌2:1 新改訳)
(花嫁)
「私はシャロンのサフラン,
谷のゆりの花。」
(雅歌2:2 新改訳)
(花婿)
「わが愛する者が
娘たちの間にいるのは,
いばらの中のゆりの花のようだ。」
ソロモンがシュラムの娘を愛し,
エルサレムの宮廷に招いて
結婚式を挙げるという内容です。
雅歌は,男女の愛のすばらしさを語っています。
雅歌の中に,
キリストと教会の関係を見ることが出来ます。
☆
妻と夫
(エペソ5:21-33) 新改訳
「キリストを恐れ尊んで,
互いに従いなさい。
妻たちよ。あなたがたは,
主に従うように,
自分の夫に従いなさい。
なぜなら,
キリストは教会のかしらであって,
ご自身がそのからだの
救い主であられるように,
夫は妻のかしらであるからです。
教会がキリストに従うように,
妻も,すべてのことにおいて,
夫に従うべきです。
夫たちよ。
キリストが教会を愛し,
教会のために
ご自身をささげられたように,
あなたがたも,
自分の妻を愛しなさい。
キリストがそうされたのは,
みことばにより,
水の洗いをもって,
教会をきよめて
聖なるものとするためであり,
ご自身で,しみや,しわや,
そのようなものの何一つない,
聖く傷のないものとなった
栄光の教会を,
ご自分の前に立たせるためです。
そのように,
夫も自分の妻を
自分のからだのように
愛さなければなりません。
自分の妻を愛する者は
自分を愛しているのです。
だれも自分の身を
憎んだ者はいません。
かえって,
これを養い育てます。
それはキリストが
教会をそうされたのと同じです。
私たちはキリストのからだの
部分だからです。
「それゆえ,
人はその父と母を離れ,
妻と結ばれ,
ふたりは一心同体となる。」
この奥義は偉大です。
私は,キリストと教会とを
さして言っているのです。
それはそうとして,
あなたがたも,
おのおの自分の妻を
自分と同様に愛しなさい。
妻もまた自分の夫を敬いなさい。」
○
わが愛する者
(雅歌2:2,3)
「わが愛する者が娘たちの間にいるのは,
いばらの中のゆりの花のようだ。
私の愛する方が若者たちの間におられるのは,
林の木の中のりんごの木のようです。
私はその陰にすわりたいと切に望みました。
その実は私の口に甘いのです。」
「りんご」は愛,
または愛の歓喜の象徴として
用いられています。
男女の愛を「ゆりの花」,「りんごの木」
と表現しています。
(雅歌2:2,3口語訳)
「おとめたちのうちに
わが愛する者のあるのは,
いばらの中にゆりの花があるようだ。
わが愛する者の若人たちの中にあるのは,
林の木の中にりんごの木があるようです。
わたしは大きな喜びをもって,
彼の陰にすわった。
彼の与える実はわたしの口に甘かった。」
☆彡
おとめの歌
(雅歌2:3-6新共同訳)
「若者たちの中にいるわたしの恋しい人は
森の中に立つりんごの木。
わたしはその木陰を慕って座り
甘い実を口にふくみました。
その人はわたしを宴の家に伴い
わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
ぶどうのお菓子でわたしを養い
りんごで力づけてください。
わたしは恋に病んでいますから。
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ
右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。
エルサレムのおとめたちよ
野のかもしか,雌鹿にかけて誓ってください
愛がそれを望むまでは
愛を呼びさまさないと。」
○
旗じるしは愛
(雅歌2:4 新改訳)
「あの方は私を酒宴の席に伴われました。
私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。」
この書物は文字通り,
結婚について書かれた物として
理解されるべきですが,
教会とキリストの関係を表す部分が
無いわけでもありません。
雅歌2:4はキリストに求められて召された
キリスト者の経験を表しています。
私達は大きな霊的財産を与えられ,
キリストの愛に覆われているのです。
○
私の愛する方
(雅歌2:16 新改訳)
「私の愛する方は私のもの。
私はあの方のもの。
あの方はゆりの花の間で
群れを飼っています。」
これはキリストにある者達の
歩みの確かさ(ヨハネ10:28,29)と,
御自分の羊(キリスト者達)を知っていて,
羊のために命を捨てる
良い羊飼いの姿も描かれています
(ヨハネ10:11)。
(ヨハネ10:28,29新改訳)
「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。
彼らは決して滅びることがなく,
また,だれもわたしの手から
彼らを奪い去るようなことはありません。
わたしに彼らをお与えになった父は,
すべてにまさって偉大です。
だれもわたしの父の御手から
彼らを奪い去ることはできません。」
(ヨハネ10:11新改訳)
「わたしは,良い牧者です。
良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」