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朝の光(聖書の言葉)

共にいる神 聖書の5か所の言葉 (H.M 姉)2020.6.14


共にいる神 聖書の5か所の言葉

H.M  2020.6.14 


(著作権の関係で,
口語約聖書を用いています。)



初めに,神は天と地を造りました。


次に,

神の子のイエスをわたしたちのところに

送ってくださいました。


そして,聖霊を送ってくださっています。


今,この父なる神,子なる神,聖霊は,

わたしたちと共に

いてくださっています。


あたらしい天と地が造られても,

いつも神が共にいてくださいます。


共にいる神は,「栄光の神」です。








(1)

わたしたちは主に帰ろう


(ホセア6:1-3口語訳)

「さあ,わたしたちは主に帰ろう。
主はわたしたちをかき裂かれたが,
またいやし,
わたしたちを打たれたが,
また包んでくださるからだ。
主は,ふつかの後,
わたしたちを生かし,
三日目にわたしたちを立たせられる。
わたしたちはみ前で生きる。
わたしたちは主を知ろう,
せつに主を知ることを求めよう。
主はあしたの光のように必ず現れいで,
冬の雨のように,
わたしたちに臨み,
春の雨のように地を潤される」。


ホセアは,

ユダの王ウジヤ,

ヨタム,アハズ,ヒゼキヤの時代,

イスラエルの王ヤロブアム2世の時代から

北王国の滅亡(前722年)

の少し前まで,

3,40年にわたって

北イスラエルで活躍した預言者です。



「主に帰る」なら,

「いやし」,

「生かし」,

「地を潤される」

と言います。


そして,主は「かき裂く」方です。


主御自身が,かき裂かれ,

十字架にかかりました。


そこで,わたしたちを

「いやし」てくださいます。


主は,「生かし」「立たせる」方です。

主自身が,「生か」された方です。


主は十字架にかかり死にますが,

復活し,生きているのです。







(ホセア6:3)

「冬の雨のように,

わたしたちに臨み,

春の雨のように地を潤される」



この「雨」は,聖霊を象徴しています。


イエスを信じる者には,

聖霊が降ります。

そして,聖霊はわたしたちの心に宿り,

あたしたちを「潤して」くださいます。








(2)

火の城壁

(ゼカリヤ2:4,5口語訳)

(み使いが)言った,
「走って行って,
あの若い人に言いなさい,
『エルサレムはその中に,
人と家畜が多くなるので,
城壁のない村里のように,
人の住む所となるでしょう。
主は仰せられます,
わたしはその周囲で火の城壁となり,
その中で栄光となる』と」。


ゼカリヤの預言です。


神は,わたしたちを守る

「火の城壁」(2:5)

となってくださいます。


そして,神は臨在して,

「神の栄光」(2:5)となっています。


☆彡


イエス・キリストは,

神の栄光を現わしました。


(ヨハネ 2:11)
「イエスはこのことを最初のしるしとして
ガリラヤのカナで行い,
ご自分の栄光を現された。
それで,弟子たちはイエスを信じた。」


イエス・キリストご自身は,

「神の栄光」の現われです。








(3)


へりくだって神と共に歩む

(ミカ6:8口語訳)
「人よ,
彼はさきによい事のなんであるかを
あなたに告げられた。
主のあなたに求められることは,
ただ公義をおこない,
いつくしみを愛し,
へりくだって
あなたの神と共に歩むことではないか。」



ミカは,

神が望んでいることを

3つ上げています。


1.

「広義」を行うこと


神は,わたしたちが人々に対して公平で,

公正であることを求めています。


イエスは次のように言います。

(マタイ7:12)
「だから,
何事でも人々からしてほしいと
望むことは,
人々にもそのとおりにせよ。
これが律法であり預言者である。」



2.

「いつくしみを愛」すること。

「いつくしみ」は,

「ヘセド(ヘブル語)」です。


「あわれみ,愛,誠実」などと

訳されています。


神の恵み,神の愛です。



3.



「へりくだって

あなたの神と共に歩むこと」



(ミカ6:8)

「へりくだって

あなたの神と共に歩むことではないか。」



ミカは,

神との関係では「広義」を行ない,

隣人との関係では

「いつくしみ」の実践すること,

自分自身には「へりくだる」こと,

を教えています。




イエスは,

つぎのように言います。


(マタイ28:20)
「あなたがたに命じておいた
いっさいのことを守るように教えよ。
見よ,わたしは世の終りまで,
いつもあなたがたと共にいるのである」。



今も,

神がわたしたちに望んでいることです。









(4)

わたしたちは主のもの

(ローマ14:8口語訳)
「わたしたちは,
生きるのも主のために生き,
死ぬのも主のために死ぬ。
だから,生きるにしても死ぬにしても,
わたしたちは主のものなのである。」



この言葉は,

つぎのイエスの生き方でした。


(ローマ14:9口語訳)
「なぜなら,キリストは,
死者と生者との主となるために,
死んで生き返られたからである。」


わたしたちが,主のものとして

生きることを

パウロは次のようにも言っています。

(ガラテヤ2;19,20)
「わたしは,神に生きるために,
律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に
十字架につけられた。
生きているのは,もはや,
わたしではない。
キリストが,
わたしのうちに生きておられるのである。
しかし,
わたしがいま肉にあって生きているのは,
わたしを愛し,
わたしのためにご自身をささげられた
神の御子を信じる信仰によって,
生きているのである。」








(5)


新しい天と新しい地

(黙示21:1-4口語訳)
「わたしはまた,
新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り,
海もなくなってしまった。
また,聖なる都,新しいエルサレムが,
夫のために着飾った
花嫁のように用意をととのえて,
神のもとを出て,
天から下って来るのを見た。
また,御座から大きな声が
叫ぶのを聞いた,
『見よ,神の幕屋が人と共にあり,
神が人と共に住み,人は神の民となり,
神自ら人と共にいまして,
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや,死もなく,悲しみも,
叫びも,痛みもない。
先のものが,
すでに過ぎ去ったからである』」。



神の与えてくださる,

信じるわたしたちと

天と地の

最終の姿です。


神の造った古い天と地は,

アダムとイブの罪によって,

壊されました。


この古い天と地は,

イエス・キリストの十字架の死によって,

なされます。


イエス・キリストがもう一度来られて,

神の国は,完全に回復し,完成します。


「神の幕屋」(黙示21:3)は,

「神の栄光」の現れるところです。

(出エジプト40:34)




イエス・キリストは「神の幕屋」であり,

「神の栄光」です。


(ヨハネ1:14)
「そして言は肉体となり,
わたしたちのうちに宿った。
わたしたちはその栄光を見た。
それは
父のひとり子としての栄光であって,
めぐみとまこととに満ちていた。」


「言葉」であるイエス・キリストは,

「神の栄光」です。




新しい天と地は,

「死もなく,悲しみも,

叫びも,痛みもない。」

(黙示21:4)


そこは「神が人と共にすむところです。」

(黙示21:3)



イエス・キリストを信じる者は,

永遠のいのちが与えられます。


(ヨハネ6:40口語訳)
「わたしの父のみこころは,
子を見て信じる者が,
ことごとく永遠の命を
得ることなのである。
そして,わたしはその人々を
終りの日によみがえらせるであろう」。


そして,この新しい天と地に入り,

神と共に住みます。











2020-06-17




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