ローマ人への手紙 解説3
神が何をしてくださったか,
私たちは,何を信じ,
どう生きるかの
造り主
(ローマ1:20)
「神の,目に見えない本性,
すなわち神の永遠の力と神性は,
世界の創造された時からこのかた,
被造物によって知られ,
はっきりと認められるのであって,
彼らに弁解の余地はないのです。」
パウロは,
創造主の存在を
自明のこととしています。
わたしたちの先祖アダムが
罪を犯し,
堕落したため,
わたしたちは神の創造が
わからなくなっているといいます。
(ローマ1:25b)
「造り主こそ,
とこしえに
ほめたたえられる方です。
アーメン」
アダムの罪
(ローマ5:12)
「そういうわけで,
ちょうどひとりの人によって
罪が世界にはいり,
罪によって死がはいり,
こうして
死が全人類に広がったのと同様に,
・・それというのも全人類が
罪を犯したからです。」
初めに造られたアダムが
罪を犯したことによって,
人類に死がもたらされました。
(ローマ5:19)
「すなわち,
ちょうどひとりの人の不従順によって
多くの人が罪人とされたのと同様に,
ひとりの従順によって
多くの人が義人とされるのです。」
アダムの罪は,
神に対する不従順であるといいます。
キリストの愛
(ローマ5:8)
「しかし
私たちがまだ罪人であったとき,
キリストが
私たちのために
死んでくださったことにより,
神は私たちに対するご自身の愛を
明らかにしておられます。」
キリストは私たちを愛して下さり,
わたしたちのために,
死んでくださいました。
それは,
わたしたちの
身代わりの死だったのです。
キリストの贖い
(ローマ3:24)
「ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる
贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」
「贖い」とは,
元来は代価を払って
買い取るという意味です。
キリストは,
ご自身の血によって,
身代金を払ってくださいました。
血は,いのちをあらわしています。
「価なしに」とは,
わたしたちの行い,
功績によらないでということです。
イエス・キリストの
十字架の死によって,
わたしたちを
救ってくださったのです。
わたしたちが
罪の奴隷であったところから,
贖いの代価,
すなわち,イエス・kリストが
いのちを払って
くださることによって,
わたしたちの罪を赦し,
罪から解放して下さったのです。
信仰による義
(ローマ3:22)
「すなわち,
イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
それは
すべての信じる人に与えられ,
何の差別もありません。」
わたしたちが
神の前に正しいとされるためには,
ただイエス・キリストを
信じるだけでよいのです。
聖書の最も大切な教えの一つです。
(ローマ10:9,10)
「もしあなたの口で
イエスを主と告白し,
あなたの心で
神はイエスを死者の中から
よみがえらせて
くださったと信じるなら,
あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ,
口で告白して救われるのです。」
キリストの復活
(ローマ8:11)
「もしイエスを死者の中から
よみがえらせた方の御霊が,
あなたがたのうちに
住んでおられるなら,
キリスト・イエスを死者の中から
よみがえらせた方は,
あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。」
イエス・キリストが
復活したように,
イエス・キリストを信じる者も
復活の恵みに与(あずか)ります。
それは、霊,こころだけでなく,
からだにも及ぶというのです。
(ローマ8:32)口語訳
「ご自身の御子をさえ
惜しまないで,
わたしたちすべての者のために
死に渡されたかたが,
どうして,
御子のみならず万物をも
賜わらないことがあろうか。」
○
神の右の座に着くキリスト・イエス
(ローマ8:34,35)
「罪に定めようとするのは
だれですか。
死んでくださった方,
いや,よみがえられた方である
キリスト・イエスが,
神の右の座に着き,
私たちのために
とりなしていてくださるのです。
私たちをキリストの愛から
引き離すのはだれですか。
患難ですか,
苦しみですか,
迫害ですか,
飢えですか,
裸ですか,
危険ですか,
剣ですか。」
イエス・キリストは復活ののち,
天に昇り,
神の右に座っていらっしゃいます。
そこでイエス・キリストは,
わたしたちのために
祈って下さっています。
そして,イエス・キリストの愛は,
わたしたちから
離れることはないのです。
神の子の霊
(ローマ8:15)
「あなたがたは,
人を再び恐怖に陥れるような,
奴隷の霊を受けたのではなく,
子としてくださる御霊を
受けたのです。
私たちは御霊によって,
『アバ,父。』と呼びます。」
イエス・キリストを信じる者は,
うちに聖霊を受け,
神の子になります。
「アバ」とは,
お父さんという意味です。
接ぎ木
(ローマ11:17,18)
「もしも,
枝の中のあるものが折られて,
野生種のオリーブであるあなたが
その枝に混じってつがれ,
そしてオリーブの根の豊かな養分を
ともに受けているのだとしたら,
あなたはその枝に対して
誇ってはいけません。
誇ったとしても,
あなたが根を
ささえているのではなく,
根があなたを
ささえているのです。」
イエス・キリストを信じる者は,
イエス・キリストに結びつく者と
なっているのです。
イエス・キリストご自身は
次のように言っています。
(ヨハネ15:5a)
「わたしはぶどうの木で,
あなたがたは枝です。」
将来の栄光
(ローマ8:18,19)
「今の時のいろいろの苦しみは,
将来私たちに
啓示されようとしている
栄光に比べれば,
取るに足りないものと
私は考えます。
被造物も,
切実な思いで神の子どもたちの
現われを待ち望んでいるのです。」
イエス・キリストは
もう一度来られます。
再臨と言われます。
そのとき,被造物は回復し,
神の栄光を現すものとなります。
イエス・キリストを信じる者は,
からだが神に造られた者に回復し,
すくいは,完成します。
(ローマ8:23)
「そればかりでなく,
御霊の初穂をいただいている
私たち自身も,
心の中でうめきながら,
子にしていただくこと,
すなわち,
私たちのからだの贖われることを
待ち望んでいます。」
賜物
(ローマ12:6)
「私たちは,
与えられた恵みに従って,
異なった賜物を持っているので,
もしそれが預言であれば,
その信仰に応じて預言しなさい。」
信じる者は,キリストに結ばれ,
奉仕が出来るように
賜物が与えられていると言います。
賜物は,
聖霊によって与えられます。
隣人愛
(ローマ13:8)
「だれに対しても,
何の借りもあってはいけません。
ただし,
互いに愛し合うことについては
別です。
他の人を愛する者は,
律法を完全に守っているのです。」
まず,イエス・キリストが
私たちを愛してくださいました。
つぎに私たちは
互いに愛するようにと
言われています。
礼拝
(ローマ12:1)
「そういうわけですから,
兄弟たち。
私は,神のあわれみのゆえに,
あなたがたにお願いします。
あなたがたのからだを,
神に受け入れられる,
聖い,生きた供え物として
ささげなさい。
それこそ,
あなたがたの霊的な礼拝です。」
イエス・キリストを信じる者は,
神に献げられた,
生きた供え物なのです。
神の栄光
(ローマ16:27)
「知恵に富む唯一の神に,
イエス・キリストによって,
御栄えが
とこしえまでありますように。
アーメン。」
イエス・キリストを信じる者の
生涯の目標は,
神の栄光を
あらわすことだといいます。
2016.6.5