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朝の光(聖書の言葉)

ローマ人への手紙 解説3   2016.6.5

 ローマ人への手紙 解説3

 

ローマ書は,使徒のパウロが

ローマの教会の信徒に

宛てた手紙です。


神が何をしてくださったか,

私たちは,何を信じ,

どう生きるかの

大切なことが書かれています。

 

 

 

 







造り主


(ローマ1:20)


「神の,目に見えない本性,

すなわち神の永遠の力と神性は,

世界の創造された時からこのかた,

被造物によって知られ,

はっきりと認められるのであって,

彼らに弁解の余地はないのです。」



パウロは,

創造主の存在を

自明のこととしています。


わたしたちの先祖アダムが

罪を犯し,

堕落したため,

わたしたちは神の創造が

わからなくなっているといいます。


(ローマ1:25b)


「造り主こそ,

とこしえに

ほめたたえられる方です。

アーメン」








アダムの罪



(ローマ5:12)


「そういうわけで,

ちょうどひとりの人によって

罪が世界にはいり,

罪によって死がはいり,

こうして

死が全人類に広がったのと同様に,

・・それというのも全人類が

罪を犯したからです。」



初めに造られたアダムが

罪を犯したことによって,

人類に死がもたらされました。



(ローマ5:19)


「すなわち,

ちょうどひとりの人の不従順によって

多くの人が罪人とされたのと同様に,

ひとりの従順によって

多くの人が義人とされるのです。」



アダムの罪は,

神に対する不従順であるといいます。








キリストの愛


(ローマ5:8)


「しかし

私たちがまだ罪人であったとき,

キリストが

私たちのために

死んでくださったことにより,

神は私たちに対するご自身の愛を

明らかにしておられます。」


キリストは私たちを愛して下さり,

わたしたちのために,

死んでくださいました。


それは,

わたしたちの

身代わりの死だったのです。











キリストの贖い


(ローマ3:24)


「ただ,神の恵みにより,

キリスト・イエスによる

贖いのゆえに,

価なしに義と認められるのです。」




「贖い」とは,

元来は代価を払って

買い取るという意味です。


キリストは,

ご自身の血によって,

身代金を払ってくださいました。

血は,いのちをあらわしています。



「価なしに」とは,

わたしたちの行い,

功績によらないでということです。


イエス・キリストの

十字架の死によって,

わたしたちを

救ってくださったのです。


わたしたちが

罪の奴隷であったところから,

贖いの代価,

すなわち,イエス・kリストが

いのちを払って

くださることによって,

わたしたちの罪を赦し,

罪から解放して下さったのです。


(ローマ3:24)

フランシスコ会訳


「キリスト・イエスの

あがないの業を通して,

神の恵みにより

無償で正しい者とされるのです。」










信仰による義


(ローマ3:22)


「すなわち,

イエス・キリストを信じる

信仰による神の義であって,

それは

すべての信じる人に与えられ,

何の差別もありません。」



わたしたちが

神の前に正しいとされるためには,

ただイエス・キリストを

信じるだけでよいのです。


聖書の最も大切な教えの一つです。


(ローマ10:9,10)


「もしあなたの口で

イエスを主と告白し,

あなたの心で

神はイエスを死者の中から

よみがえらせて

くださったと信じるなら,

あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ,

口で告白して救われるのです。」








 

キリストと一つとなる


(ローマ6:5)

「もし私たちが,
キリストにつぎ合わされて,
キリストの死と
同じようになっているのなら,
必ずキリストの復活とも
同じようになるからです。」


イエス・キリストを信じる者は

キリストと霊的に一つとなります。


イエスは

弟子たちに次のように言いました。


(ヨハネ15:5)

「わたしはぶどうの木で,
あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり,
わたしもその人の中に
とどまっているなら,
そういう人は
多くの実を結びます。
わたしを離れては,
あなたがたは
何もすることが
できないからです。」


(ガラテヤ2:20)

「私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が
肉にあって生きているのは,
私を愛し私のためにご自身を
お捨てになった神の御子を信じる
信仰によっているのです。」




神の子の受肉


(ローマ8:3,4)


「律法が肉により

無力になっているために

なし得なかった事を,

神はなし遂げて下さった。

すなわち,御子を,

罪の肉の様で罪のためにつかわし,

肉において

罪を罰せられたのである。

これは律法の要求が,

肉によらず霊によって

歩くわたしたちにおいて,

満たされるためである。」 



イエス・キリストは神の受肉です。


 神の子は,

人の身代わりとなるため,

人と同じ姿を取られました。


イエス・キリストは

律法を成し遂げました。


人の罪を裁くため,

神は独り子のイエス・キリストを

裁きました。


イエス・キリストは

私たちの罪の身代わりとして,

十字架の上で死にました。


私たちの罪を

赦してくださいました。


イエス・キリストの

律法の成就による

神の義は、信仰によって

わたしたちのものになりました。




キリストの復活


(ローマ8:11)


「もしイエスを死者の中から

よみがえらせた方の御霊が,

あなたがたのうちに

住んでおられるなら,

キリスト・イエスを死者の中から

よみがえらせた方は,

あなたがたのうちに

住んでおられる御霊によって,

あなたがたの死ぬべきからだをも

生かしてくださるのです。」



イエス・キリストが

復活したように,

イエス・キリストを信じる者も

復活の恵みに与(あずか)ります。


それは、霊,こころだけでなく,

からだにも及ぶというのです。









すべてのものを与えて下さる


(ローマ8:32)口語訳


「ご自身の御子をさえ

惜しまないで,

わたしたちすべての者のために

死に渡されたかたが,

どうして,

御子のみならず万物をも

賜わらないことがあろうか。」


イエス・キリストは

次のように言っています。


(ヨハネ15:7)

「あなたがたが

わたしにつながっており,

わたしの言葉が

あなたがたに

とどまっているならば,

なんでも望むものを求めるがよい。

そうすれば,

与えられるであろう。」



(ローマ8:32新共同訳)

「私たちすべてのために、

ご自分の御子をさえ惜しまずに

死に渡された方が,

どうして,

御子といっしょにすべてのものを,

私たちに恵んでくださらないことが

ありましょう。」





神の右の座に着くキリスト・イエス


(ローマ8:34,35)


「罪に定めようとするのは

だれですか。

死んでくださった方,

いや,よみがえられた方である

キリスト・イエスが,

神の右の座に着き,

私たちのために

とりなしていてくださるのです。

私たちをキリストの愛から

引き離すのはだれですか。

患難ですか,

苦しみですか,

迫害ですか,

飢えですか,

裸ですか,

危険ですか,

剣ですか。」


イエス・キリストは復活ののち,

天に昇り,

神の右に座っていらっしゃいます。


そこでイエス・キリストは,

わたしたちのために

祈って下さっています。


そして,イエス・キリストの愛は,

わたしたちから

離れることはないのです。








神の子の霊


(ローマ8:15)


「あなたがたは,

人を再び恐怖に陥れるような,

奴隷の霊を受けたのではなく,

子としてくださる御霊を

受けたのです。

私たちは御霊によって,

『アバ,父。』と呼びます。」




イエス・キリストを信じる者は,

うちに聖霊を受け,

神の子になります。


「アバ」とは,

お父さんという意味です。

 

イエス・キリストを信じる者は

聖霊を受けます。


使徒行伝によると,

この当時は

イエス・キリストを信じる者は,

水のバプテスマを受け,

同時に聖霊バプテスマを受け,

異言を語っていました。






接ぎ木


(ローマ11:17,18)


「もしも,

枝の中のあるものが折られて,

野生種のオリーブであるあなたが

その枝に混じってつがれ,

そしてオリーブの根の豊かな養分を

ともに受けているのだとしたら,

あなたはその枝に対して

誇ってはいけません。

誇ったとしても,

あなたが根を

ささえているのではなく,

根があなたを

ささえているのです。」


イエス・キリストを信じる者は,

イエス・キリストに結びつく者と

なっているのです。


イエス・キリストご自身は

次のように言っています。


(ヨハネ15:5a)

「わたしはぶどうの木で,

あなたがたは枝です。」









将来の栄光


(ローマ8:18,19)


「今の時のいろいろの苦しみは,

将来私たちに

啓示されようとしている

栄光に比べれば,

取るに足りないものと

私は考えます。

被造物も,

切実な思いで神の子どもたちの

現われを待ち望んでいるのです。」



イエス・キリストは

もう一度来られます。


再臨と言われます。


そのとき,被造物は回復し,

神の栄光を現すものとなります。


イエス・キリストを信じる者は,

からだが神に造られた者に回復し,

すくいは,完成します。


(ローマ8:23)


「そればかりでなく,

御霊の初穂をいただいている

私たち自身も,

心の中でうめきながら,

子にしていただくこと,

すなわち,

私たちのからだの贖われることを

待ち望んでいます。」










賜物


(ローマ12:6)


「私たちは,

与えられた恵みに従って,

異なった賜物を持っているので,

もしそれが預言であれば,

その信仰に応じて預言しなさい。」



信じる者は,キリストに結ばれ,

奉仕が出来るように

賜物が与えられていると言います。


賜物は,


聖霊によって与えられます。








隣人愛


(ローマ13:8)


「だれに対しても,

何の借りもあってはいけません。

ただし,

互いに愛し合うことについては

別です。

他の人を愛する者は,

律法を完全に守っているのです。」




まず,イエス・キリストが

私たちを愛してくださいました。

つぎに私たちは

互いに愛するようにと

言われています。






礼拝


(ローマ12:1) 


「そういうわけですから,

兄弟たち。

私は,神のあわれみのゆえに,

あなたがたにお願いします。

あなたがたのからだを,

神に受け入れられる,

聖い,生きた供え物として

ささげなさい。

それこそ,

あなたがたの霊的な礼拝です。」


イエス・キリストを信じる者は,

神に献げられた,

生きた供え物なのです。









神の栄光


(ローマ16:27)


「知恵に富む唯一の神に,

イエス・キリストによって,

御栄えが

とこしえまでありますように。

アーメン。」



イエス・キリストを信じる者の

生涯の目標は,

神の栄光を

あらわすことだといいます。





















2016.6.5 

  

 






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