(口語訳聖書)
○
選び
(エペソ1:3-5)
「ほむべきかな,
わたしたちの
主イエス・キリストの父なる神。
神はキリストにあって,
天上で霊のもろもろの祝福をもって,
わたしたちを祝福し,
みまえにきよく
傷のない者となるようにと,
天地の造られる前から,
キリストにあってわたしたちを選び,
わたしたちに,
イエス・キリストによって
神の子たる身分を授けるようにと,
御旨のよしとするところに従い,
愛のうちに
あらかじめ定めて下さったのである。」
わたしたちが主を信じるはるか以前,
天地が造られる前から,
神の愛と選びがありました。
私たちが
イエス・キリストを
選び信じたのではなく,
ただ,主の恵みによって,
神がわたしたちを愛し,
選んでくださいました。
私ではなく,
イエス・キリストが先に,
わたしを選び,愛し,
わたしたちに
信仰を与えてくださったのです。
○
陶器師
(ローマ9:21 口語訳)
「陶器を造る者は,
同じ土くれから,一つを尊い器に,
他を卑しい器に造りあげる
権能がないのであろうか。」
陶器師が土くれから
思いのままに器を創り出すように,
神は誰からも強制されない力をもって
人を救い出されます。
神は,自由に,主権的に,
一方的に救いのみわざをなされます。
こういう神の働きかけを
「恵み」といいます。
恵みは,わたしたちの生まれ,
功績,行いでなく与えてくださいます。
わたしたちが行いによって得るものは,
「報酬」と言います。
○
十字架の言は神の力
(1コリント1:18 口語訳)
「十字架の言は,
滅び行く者には愚かであるが,
救にあずかるわたしたちには,
神の力である。」
神の言葉は,神の力です。
○
キリストこそすべてのすべて
(2テモテ2:8 口語訳)
「ダビデの子孫として生れ,
死人のうちからよみがえった
イエス・キリストを,
いつも思っていなさい。
これがわたしの福音である。」
福音とは,
とこしえに変わることのないお方,
イエス・キリストご自身です。
○
イエスによる解放
(へブル2:14,15 口語訳)
「このように,
子たちは血と肉とに
共にあずかっているので,
イエスもまた同様に,
それらをそなえておられる。
それは,死の力を持つ者,
すなわち悪魔を,
ご自分の死によって滅ぼし,
死の恐怖のために一生涯,
奴隷となっていた者たちを,
解き放つためである。」
イエス・キリストは,
死と地獄を支配する権威があります。
イエス・キリストは,
死の力を持つ者である悪魔を
ご自分の死によって滅ぼしました。
○
アブラハムは神を信じた
(ローマ4:1-5 口語訳)
「それでは,
肉によるわたしたちの先祖
アブラハムの場合については,
なんと言ったらよいか。
もしアブラハムが,
その行いによって
義とされたのであれば,
彼は誇ることができよう。
しかし,神のみまえでは,できない。
なぜなら,聖書はなんと言っているか,
『アブラハムは神を信じた。
それによって,
彼は義と認められた』
とある。
いったい,働く人に対する報酬は,
恩恵としてではなく,
当然の支払いとして認められる。
しかし,働きはなくても,
不信心な者を義とするかたを
信じる人は,
その信仰が義と認められるのである。」
「アブラハムは神を信じた。
それによって,彼は義と認められた」
とあるように,
わたしたちはイエス・キリストを
信じることによって,
神によって義と認められます。
☆
(創世記15:1-6 口語訳)
「これらの事の後,
主の言葉が
幻のうちにアブラムに臨んだ,
「アブラムよ恐れてはならない,
わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは,
はなはだ大きいであろう」。
アブラムは言った,
「主なる神よ,わたしには子がなく,
わたしの家を継ぐ者は
ダマスコのエリエゼルであるのに,
あなたはわたしに
何をくださろうとするのですか」。
アブラムはまた言った,
「あなたは
わたしに子を賜わらないので,
わたしの家に生れたしもべが,
あとつぎとなるでしょう」。
この時,主の言葉が彼に臨んだ,
「この者はあなたのあとつぎと
なるべきではありません。
あなたの身から出る者が
あとつぎとなるべきです」。
そして主は
彼を外に連れ出して言われた,
「天を仰いで,
星を数えることができるなら,
数えてみなさい」。
また彼に言われた,
「あなたの子孫は
あのようになるでしょう」。
アブラムは主を信じた。
主はこれを彼の義と認められた。
○
(ローマ10:9)
「もしあなたの口で
イエスを主と告白し,
あなたの心で神は
イエスを死者の中から
よみがえらせてくださった
と信じるなら,
あなたは救われるからです。」
○
福音の中心
(1コリント15:3-6)
「わたしが最も大事なこととして
あなたがたに伝えたのは,
わたし自身も受けたことであった。
すなわちキリストが,
聖書に書いてあるとおり,
わたしたちの罪のために死んだこと,
そして葬られたこと,
聖書に書いてあるとおり,
三日目によみがえったこと,
ケパに現れ,次に,
十二人に現れたことである。
そののち,五百人以上の兄弟たちに,
同時に現れた。
その中には
すでに眠った者たちもいるが,
大多数はいまなお生存している。」
福音の中心は,
わたしたちの
罪の身代わりとなって死に,
三日目に死より復活された
イエス・キリストです。
○
十字架の主を仰ぎ見る
(エペソ3:19)
「また人知をはるかに越えた
キリストの愛を知って,
神に満ちているもののすべてをもって,
あなたがたが満たされるように,
と祈る。」
苦しみの中で,
十字架の主を
仰ぎ見ようではありませんか。
そうすると,
人知をはるかに超えた
キリストの愛を知って,
神はわたしたちの必要のすべてを
満たしてくださいます。
○
十字架の救い
(ピリピ1:29)
「あなたがたはキリストのために,
ただ彼を信じることだけではなく,
彼のために
苦しむことをも賜わっている。」
十字架の救いは,
信じる者が罪の苦しみの
解放されることです。
イエス・キリストを信じることには,
イエス・キリストの苦しみを
共にすることも含まれています。
○
復活
(エペソ1:19-21)
「また,
神の力強い活動によって働く力が,
わたしたち信じる者にとって
いかに絶大なものであるかを,
あなたがたが知るに至るように,
と祈っている。
神はその力を
キリストのうちに働かせて,
彼を死人の中からよみがえらせ,
天上においてご自分の右に座せしめ,
彼を,すべての支配,
権威,権力,権勢の上におき,
また,この世ばかりでなく
きたるべき世においても唱えられる,
あらゆる名の上におかれたのである。」
神の力が
キリストを死からよみがえらせました。
神は,
その力を私たちの上に置かれます。
それは,
わたしたちには
キリストを復活の命にあずかり,
病気をいやし,悪霊を追い出し,
サタンを撃墜し,
すべてのものに勝利していく力を
与えてくださっています。
この力は,
使えば使うほどますます与えられます。
○
再臨
(1コリント15:51,52)
「ここで,
あなたがたに奥義を告げよう。
わたしたちすべては,
眠り続けるのではない。
終りのラッパの響きと共に,
またたく間に,一瞬にして変えられる。
というのは,ラッパが響いて,
死人は朽ちない者によみがえらされ,
わたしたちは変えられるのである。」
「奥義」は,
ギリシャ語のミュステリオン,
英語のミステリーにあたる言葉です。
イエス・キリストによって,
わたしたちが
知ることのできた知恵です。
ここでは,
イエス・キリストによる再臨の時に,
わたしたちが
受ける恵みを示しています。
○
主の霊によって生きる
(エペソ2:5,6)
「罪過によって
死んでいたわたしたちを,
キリストと共に生かし
―あなたがたの救われたのは,
恵みによるのである―
キリスト・イエスにあって,
共によみがえらせ,
共に天上で座につかせて
下さったのである。」
主の霊によって,
わたしたちは
新しく生きる者となります。
(エゼキエル37:9,10)
「そのとき,主は仰せられた。
『息に預言せよ。人の子よ。
預言してその息に言え。
神である主はこう仰せられる。
息よ。四方から吹いて来い。
この殺された者たちに吹きつけて,
彼らを生き返らせよ。』
私が命じられたとおりに預言すると,
息が彼らの中に入った。
そして彼らは生き返り,
自分の足で立ち上がった。
非常に多くの集団であった。」
○
聖霊
(ガラテヤ5:16-25 口語訳)
「わたしは命じる,
御霊によって歩きなさい。
そうすれば,
決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら,
肉の欲するところは御霊に反し,
また御霊の欲するところは
肉に反するからである。
こうして,
二つのものは互に相さからい,
その結果,
あなたがたは
自分でしようと思うことを,
することができないようになる。
もしあなたがたが御霊に導かれるなら,
律法の下にはいない。
肉の働きは明白である。
すなわち,不品行,汚れ,好色,
偶像礼拝,まじない,敵意,
争い,そねみ,怒り,
党派心,分裂,分派,
ねたみ,泥酔,宴楽,
および,そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように,
今も前もって言っておく。
このようなことを行う者は,
神の国をつぐことがない。
しかし,御霊の実は,愛,喜び,平和,
寛容,慈愛,善意,忠実,
柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は,
自分の肉を,その情と欲と共に
十字架につけてしまったのである。
もしわたしたちが
御霊によって生きるのなら,
また御霊によって進もうではないか。」
御霊によって生きることが肉の欲と,
世の力と,サタンとに勝つ力です。
御霊によっていきることが,
私たちを不自由にする,
一切の力から
解放する勝利の力だからです。
御霊に従って生活すると,
イエスさまの品性と同じ実が,
わたしたちの中に実ってきます。
○
御霊によって歩む
(2コリント3:17,18 口語訳)
「主は霊である。
そして,主の霊のあるところには,
自由がある。
わたしたちはみな,顔おおいなしに,
主の栄光を鏡に映すように見つつ,
栄光から栄光へと,
主と同じ姿に変えられていく。
これは霊なる主の
働きによるのである。」
イエス・キリストを信じる者は,
主の霊(聖霊)に従って歩みます。
(ガラテヤ5:16,17 口語訳)
「わたしは命じる,
御霊によって歩きなさい。
そうすれば,
決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら,
肉の欲するところは御霊に反し,
また御霊の欲するところは
肉に反するからである。
こうして,
二つのものは互に相さからい,
その結果,
あなたがたは
自分でしようと思うことを,
することができないようになる。」
○
神の右の座
(コロサイ3:1-4 口語訳)
「このように,
あなたがたは
キリストと共によみがえらされたのだから,
上にあるものを求めなさい。
そこでは
キリストが神の右に
座しておられるのである。
あなたがたは
上にあるものを思うべきであって,
地上のものに心を引かれてはならない。
あなたがたはすでに死んだものであって,
あなたがたのいのちは,
キリストと共に
神のうちに隠されているのである。
わたしたちのいのちなるキリストが
現れる時には,
あなたがたも,
キリストと共に
栄光のうちに現れるであろう。」
パウロにとって,
復活のキリストは,
彼のうちにある現在の命そのものでした。
彼にとって,信仰とは,
復活のキリストと共に,
キリストのいのちに
満ちあふれて生きることでした。
○
再臨における復活
(1コリント15:51,52)
「ここで,あなたがたに奥義を告げよう。
わたしたちすべては,
眠り続けるのではない。
終りのラッパの響きと共に,
またたく間に,一瞬にして変えられる。
というのは,ラッパが響いて,
死人は朽ちない者によみがえらされ,
わたしたちは変えられるのである。」
死で終わるかに思っていた命は,
主の復活のからだに変えられます。
命の奥義は
キリストの復活によって明らかにされ,
信じるわたしたちも
その復活の勝利にあずかるのです。
ハレルヤ!
2021-06-03