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朝の光(聖書の言葉)

6.生きる (ぶどうの木)

6.生きる (ぶどうの木)
                         
マルコ10:17-31
(金持ちの男)
 
 
「善い先生,
永遠の命を受け継ぐには,
何をすればよいでしょうか。」
(マルコ10:17)
 
 
「はっきり言っておく。
わたしのためまた福音のために,
家,兄弟,姉妹,母,父,子供,
畑を捨てた者はだれでも,
今この世で,迫害も受けるが,
家,兄弟,姉妹,母,子供,
畑も百倍受け,
後の世では永遠の命を受ける。」
(マルコ10:29,30) 
 
 
 
 

(マルコ9:30-32)

(再び自分の死と復活を予告する)

 
イエスさまと弟子たちの一行は,

ガリラヤを通って

エルサレムへの旅に出ました。

 
イエスさまは,

エルサレムへの旅の途中でした。


救い主としての働きを完成させる旅でした。
 

その旅の果てには,エルサレムで

「人々の手に引き渡され,殺される。

殺されて3日の後に復活する」

(マルコ9:31)

という出来事が待っています。

 
それは死に直面することであり,

人としての終わりを

迎えることでありました。

 
しかし,

この旅は神様の御心を成就させました。
 
 
 

 
(マルコ10:17-31)

(金持ちの男)
 

エルサレムに向かわれるイエスさまの前に,

走りより,ひざまずいて

「善い先生,永遠の命を受け継ぐには,
何をすればよいでしょうか。」
(マルコ10:17)

と尋ねた人がいました。

 
この出来事は,

マタイによる福音書にも

ルカによる福音書にも書かれています。
 

それら3つの福音書を総合することが

許されるなら,

この人は大変な金持ちであり,

議員でもある青年です。

 
この人には,

何も欠けたところがないようです。

 
前途には輝かしい希望があり,

その希望を実現するだけの資産と

社会的な環境が整っているようです。

 
しかし,

この青年は物質では手に入れることが

できないものを知っていました。

 
物の豊かさで買うことのできないものは,

「永遠の命」でした。
 

「永遠の命を受け継ぐには,

何をすればよいでしょうか」

(マルコ10:17),
 

その問いをもって

イエスさまの前にひざまづきました。

 
「永遠の命」も

自分の力で手に入れることが

できると思っていました。 

 
彼には豊かな資産がありました。

 
この青年にイエスさまは,

まず次のように言われました。

 
「なぜ,わたしを『善い』と言うのか。

神おひとりのほかに,

善い者はだれもいない。」

(マルコ10:18)

 
イエスさまが,ご自分が何者であるかを,

この青年に知らせようとする言葉です。
 

この青年の前に立っておられる方は,

人となられた神御自身です。

 
次にイエスさまは,

神様が人間に与えられた

次の掟(おきて)といいます。

「『殺すな,姦淫するな,盗むな,
偽証するな,奪い取るな,父母を敬え』
という掟をあなたは知っているはずだ。」
(マルコ10:19)

 
青年は

「先生,そういうことはみな,

子供の時から守ってきました」

(マルコ10:20)

と答えました。

 
それは素晴らしい答えで,

素晴らしい生き方です。

 
この素晴らしい生き方ができる環境に育ち,

その環境の中で,

「先生,そういうことはみな,
子供の時から守ってきました」
(マルコ10:20)

と答えたところに,

この青年に欠けたところがあります。

 
この青年は,その律法をお与えになった神様,

「神おひとりのほかに,善い方はおられない」

(マルコ10:18),

その神様を見失っていました。

 
自分は何でもできる,

何かをすれば永遠の命をも得ることが

できると考え,

何かを捜していました。

 
この捜している青年を慈(いつく)しんで,

何でもできると思っている青年に,

人となられた神様であるイエスさまは,

言われました。

 
「あなたに欠けたものが一つある。

行って持っている物を売り払い,

貧しい人々に施しなさい。

そうすれば,天に富を積むことになる。

それから,わたしに従いなさい。」

(マルコ10:21)

 
何でもできると思っていた青年に,

出来ないものがありました。

 
それは自分の持っている物を売り払い,

貧しい人々に施すことでした。

 
彼の素晴らしい生き方は,

その豊かな資産に支えられていました。

 
しかし,その豊かな資産をお与えくださった

神様との生きたかかわりを

欠いた生活をしていました。

 
それゆえに,ただおひとりの善い方である,

神御自身が前に立っておられるのに,


この青年は,

「神おひとりのほかに,

善い者はだれもいない」

(マルコ10:18)

と言われる神御自身を

認めることができませんでした。

 
そして,イエスさまのもとから,

悲しみながら立ち去りました。 
 
すべては神様の御手のうちにあります。

 
命も,富も神様の御手のうちにあります。


すべてが神様の御手のうちにあることを,

心の底から受け入れるとき,

すべてを神様に献げることができます。

 
そのとき,心置きなく生き生きと,

生きられるようになります。


 
(2003年10月18日)

松隈 貞雄 牧師



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