2コリント 2022.12.2 まとめ
○
神は,私たちを慰めてくださいます
(2コリント1:4)
「神は,
どのような苦しみのときにも,
私たちを慰めてくださいます。
こうして,私たちも,
自分自身が
「神は,
どのような苦しみのときにも,
私たちを慰めてくださいます。
こうして,私たちも,
自分自身が
神から受ける慰めによって,
どのような苦しみの中にいる人をも
慰めることができるのです。」
私たちがした苦しいとき,
どのような苦しみの中にいる人をも
慰めることができるのです。」
私たちがした苦しいとき,
神が慰めてくださいます。
その体験が,
苦しみの中にいる人を
慰めることが出来ます。
神様は,わたしたちが弱さ,
苦しみ,
失敗に意味のあるものとして,
わたしたちに臨んでくださいます。
失敗に意味のあるものとして,
わたしたちに臨んでくださいます。
○
神に頼む者
(2コリント1:9)
「ほんとうに,
自分の心の中で死を覚悟しました。
これは,
もはや自分自身を頼まず,
死者をよみがえらせてくださる神に
より頼む者となるためでした。」
神は死者を
復活させてくださる方です。
神の真理を学ぶには,
わたしたちは
御言葉を聞くだけでなく,
従うことが必要です。
パウロは,
自分の力は頼れないことをとおして,
神に希望を見出しました。
パウロの言葉はイエスの生涯,
聖霊の働きを
自分の体験で確認しました。
(2コリント1:8-10)
「兄弟たちよ。
私たちがアジヤで会った
苦しみについて,
ぜひ知っておいてください。
私たちは,非常に激しい,
耐えられないほどの圧迫を受け,
ついにいのちさえも危くなり,
ほんとうに,
自分の心の中で死を覚悟しました。
これは,もはや自分自身を頼まず,
死者をよみがえらせてくださる
神により頼む者となるためでした。
ところが神は,
これほどの大きな死の危険から,
私たちを
救い出してくださいました。
また将来も
救い出してくださいます。
なおも
救い出してくださるという望みを,
私たちは
この神に置いているのです。」
○
キリストのかおり
(2コリント2:14)
「神はいつでも,
私たちを導いて
キリストによる勝利の行列に加え,
至る所で私たちを通して,
キリストを知る知識のかおりを
放ってくださいます。」
当時,征服者は捕虜をつれて,
勝利の行進をして帰ってきます。
この例を取り上げて,
自分がキリストと共に
行進していくのだといいます。
そして,
福音を宣べる者と
されるといいます。
「キリストを知る知識のかおり」
とは,福音のことです。
☆彡
キリストの栄光を現わす勤め
(2コリント2:14-16)
「しかし,神に感謝します。
神はいつでも,
私たちを導いて
キリストによる勝利の行列に加え,
至る所で私たちを通して,
キリストを知る知識のかおりを
放ってくださいます。
私たちは,
救われる人々の中でも,
滅びる人々の中でも,
神の前にかぐわしい
キリストのかおりなのです。
ある人たちにとっては,
死から出て
死に至らせるかおりであり,
ある人たちにとっては,
いのちから出て
いのちに至らせるかおりです。
このような務めにふさわしい者は,
いったいだれでしょう。」
○
御霊によって歩む
(2コリント3:17,18)
口語訳
「主は霊である。
そして,
主の霊のあるところには,
自由がある。
わたしたちはみな,
顔おおいなしに,
主の栄光を鏡に映すように見つつ,
栄光から栄光へと,
主と同じ姿に変えられていく。
これは霊なる
主の働きによるのである。」
イエス・キリストを信じると
聖霊を受け取ります。
そして聖霊によって,
自由にされます。
○
御霊によって歩きなさい
(ガラテヤ5:16,17) 口語訳
「わたしは命じる,
御霊によって歩きなさい。
そうすれば,
決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら,
肉の欲するところは御霊に反し,
また御霊の欲するところは
肉に反するからである。
こうして,
二つのものは互に相さからい,
その結果,
あなたがたは
自分でしようと思うことを,
することができないようになる。」
○
内なる人
(2コリント4:16)
「だから,
わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は
滅びても,
内なる人は
日ごとに新しくされていく。」
イエスは聖霊を送る約束をしていました。
わたしたちの心に聖霊が入ってくださり,
「アバ父よ」というのです。
わたしたちが主の前に静まるなら,
内なる人を感じることが出来ます。
この内なる人は,
わたしたちを新しくしてくださいます。
○
新しく生きる
(2コリント5:17)
「だれでも
キリストのうちにあるなら,
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って,
見よ,
すべてが新しくなりました。」
わたしたちは
イエス・キリストを信じたときから,
新しい人生があたえられます。
キリストによって新しく生きることは,
神が与えてくださった
最も素晴らしいものです。
☆彡
新しく生きる
(2コリント5:11-17)
「こういうわけで,
私たちは,
主を恐れることを知っているので,
人々を説得しようとするのです。
私たちのことは,
神の御前に明らかです。
しかし,
あなたがたの良心にも
明らかになることが,
私の望みです。
私たちはまたも自分自身を
あなたがたに
推薦しようとするのでは
ありません。
ただ,
私たちのことを誇る機会を
あなたがたに与えて,
心においてではなく,
うわべのことで誇る人たちに
答えることができるように
させたいのです。
もし私たちが気が狂っているとすれば,
それはただ神のためであり,
もし正気であるとすれば,
それはただあなたがたのためです。
というのは,キリストの愛が
私たちを取り囲んでいるからです。
私たちはこう考えました。
ひとりの人が
すべての人のために死んだ以上,
すべての人が死んだのです。
また,
キリストがすべての人のために
死なれたのは,
生きている人々が,
もはや自分のためにではなく,
自分のために死んで
よみがえった方のために
生きるためなのです。
ですから,私たちは今後,
人間的な標準で
人を知ろうとはしません。
かつては
人間的な標準で
キリストを知っていたとしても,
今はもう
そのような知り方はしません。
だれでも
キリストのうちにあるなら,
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って,
見よ,
すべてが新しくなりました。」
○
パウロの体験
(2コリント6:8-10)
「また,ほめられたり,
そしられたり,悪評を受けたり,
好評を博したりすることによって,
自分を神のしもべとして
推薦しているのです。
私たちは
人をだます者のように見えても,
真実であり,
人に知られないようでも,
よく知られ,
死にそうでも,
見よ,生きており,
罰せられているようであっても,
殺されず,
悲しんでいるようでも,
いつも喜んでおり,
貧しいようでも,
多くの人を富ませ,
何も持たないようでも,
すべてのものを持っています。」
パウロは死,病気の問題があり,
迫害を受け貧乏をしました。
しかし,パウロは信仰によって,
富む者となることを教えています。
イエスを信じる者は,
福音の豊かさを持つことができます。
この世が
与えるもの以上のものです。
わたしたちは,所有する土地,
財産以上のものです。
主を信じるものには全宇宙が与えられ,
神御自身が聖霊として
心の内にやどってくださいます。
○
みこころに添った悔い
(2コリント7:10)
「神のみこころに添った悲しみは,
悔いのない,
救いに至る
悔い改めを生じさせますが,
世の悲しみは死をもたらします。
ご覧なさい。
神のみこころに
添ったその悲しみが,
あなたがたのうちに,
どれほどの熱心を
起こさせたことでしょう。
また,弁明,憤り,恐れ,慕う心,
熱意を起こさせ,
処罰を断行させたことでしょう。
あの問題について,
あなたがたは,
自分たちがすべての点で
潔白であることを
証明したのです。」
パウロは以前,
「ある問題」について,
コリントの教会のある人に
批判しました。
それを悔い改め,
教会は熱心を起こさせました。
○
キリストの富み
(2コリント8:9)
「主は富んでおられたのに,
あなたがたのために
貧しくなられました。
それは,
あなたがたが,
キリストの貧しさによって
富む者となるためです。」
イエス・キリストは,
父なる神から
すべてを与えられたお方でした。
しかし,イエス・キリストは
すべてを放棄して,
十字架に架かって下さいました。
それは私たちが,
心の内が富むものとなるためでした。
(マタイ20:28)
「人の子が,
仕えられるためではなく
仕えるために,
また,多くの人の身代金として
自分の命を献げるために
来たのと同じように。」
☆彡
キリストの富み
(2コリント8:7-9)
「あなたがたは,すべてのことに,
すなわち,信仰にも,ことばにも,
知識にも,あらゆる熱心にも,
私たちから出て
あなたがたの間にある
愛にも富んでいるように,
この恵みのわざにも
富むようになってください。
こうは言っても,
私は命令するのではありません。
ただ,
他の人々の熱心さをもって,
あなたがた自身の愛の真実を
確かめたいのです。
あなたがたは,
私たちの
主イエス・キリストの恵みを
知っています。
すなわち,
主は富んでおられたのに,
あなたがたのために
貧しくなられました。
それは,あなたがたが,
キリストの貧しさによって
富む者となるためです。」
○
あらゆる恵み
(2コリント9:8)
「神は,あなたがたを,
常にすべてのことに満ちたりて,
すべての良いわざに
あふれる者とするために,
あらゆる恵みを
あふれるばかり
与えることのできる方です。」
「恵み」の原語は「カリス」です。
「カリス」(恵み)とは,
受けるに値しない罪人に
注がれた神の愛です。
価値のない者にあたえられる
神の愛顧です。
○
人は罪人ですから,
神の恵みを受けることが出来ません。
イエス・キリストの
十字架の贖いの業によってのみ,
信じる者に恵みを与えてくださいます。
○
従順
(2コリント10:3-6)
「わたしたちは,
肉にあって歩いてはいるが,
肉に従って戦っているのではない。
わたしたちの戦いの武器は,
肉のものではなく,
神のためには要塞をも
破壊するほどの
力あるものである。
わたしたちは
さまざまな議論を破り,
神の知恵に逆らって立てられた
あらゆる障害物を打ちこわし,
すべての思いをとりこにして
キリストに服従させ,
そして,
あなたがたが完全に服従した時,
すべて不従順な者を処罰しようと,
用意しているのである。」
従順はイエス・キリストへの信仰を,
積極的に行うことです。
○
愚かな自慢話
(2コリント11:30)
「もしどうしても
誇る必要があるなら,
私は自分の弱さを誇ります。」
コリントの教会は,
パウロに敵対する偽預言者によって,
動揺しました。
偽預言者は,
パウロは使徒の資格はないといいます。
そこで,パウロは自分の行動,
霊的な体験で,
自分自身がイエス・キリストの
使徒であると答弁します。
迫害の体験,
第三の天にまで引き上げられた霊の体験,
一つのとげについて語り,
自分が使徒であることを話します。
○
主から示されたこと
(2コリント12:1-10)
「無益なことですが,
誇るのもやむをえないことです。
私は主の幻と啓示のことを
話しましょう。
私はキリストにある
ひとりの人を知っています。
この人は十四年前に・・
肉体のままであったか,
私は知りません。
肉体を離れてであったか,
それも知りません。
神はご存じです。
・・第三の天にまで
引き上げられました。
私はこの人が,
・・それが肉体のままであったか,
肉体を離れてであったかは
知りません。
神はご存じです。・・
パラダイスに引き上げられて,
人間には語ることを許されていない,
口に出すことのできないことばを
聞いたことを知っています。
このような人について私は
誇るのです。
しかし,私自身については,
自分の弱さ以外には誇りません。
たとい
私が誇りたいと思ったとしても,
愚か者にはなりません。
真実のことを話すのだからです。
しかし,
誇ることは控えましょう。
私について見ること,
私から聞くこと以上に,
人が私を過大に評価すると
いけないからです。
また,その啓示が
あまりにもすばらしいからです。
そのために私は,
高ぶることのないようにと,
肉体に一つのとげを
与えられました。
それは
私が高ぶることのないように,
私を打つための,
サタンの使いです。
このことについては,
これを
私から去らせてくださるようにと,
三度も主に願いました。
しかし,主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,わたしの力は,
弱さのうちに
完全に現われるからである。』
と言われたのです。
ですから,
私は,
キリストの力が私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。
ですから,
私は,キリストのために,
弱さ,侮辱,苦痛,迫害,
困難に甘んじています。
なぜなら,私が弱いときにこそ,
私は強いからです。」
○
第三の天
(2コリント12:1-4)
「わたしは誇らざるを得ないので,
無益ではあろうが,
主のまぼろしと
啓示とについて語ろう。
わたしはキリストにある
ひとりの人を知っている。
この人は十四年前に
第三の天にまで引き上げられた
―それが,
からだのままであったか,
わたしは知らない。
からだを離れてであったか,
それも知らない。
神がご存じである。
この人が
―それが,
からだのままであったか,
からだを離れてであったか,
わたしは知らない。
神がご存じである―
パラダイスに引き上げられ,
そして口に言い表わせない,
人間が語ってはならない
言葉を聞いたのを,
わたしは知っている。」
この体験は,
パウロ自身の
体験であるように思えます。
使徒行伝にあるパウロの
回心の時ではないかと思えます。
単なる思い過ごしでなく,
この体験の後,
人生が変わり,
不思議な才能を
生涯持ち続けました。
パウロは回心の時,
聖霊に満たされています。
パウロの人生と手紙が
この体験によっていると考えると,
わかりやすいと思われます。
○
弱さの内に現れる主
(2コリント12:9)
「しかし,主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,
わたしの力は,
弱さのうちに
「しかし,主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,
わたしの力は,
弱さのうちに
完全に現われるからである。』
と言われたのです。
ですから,私は,
キリストの力が私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。」
パウロは「肉体に一つのとげ」
と言われたのです。
ですから,私は,
キリストの力が私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。」
パウロは「肉体に一つのとげ」
(2コリント12:7)が
与えられました。
それは,視力が弱かったこととか,
顔形が見苦しかったのでは
ないかと言われています。
パウロは,
この「弱さのうち」にこそ
主があらわれるのだといいます。
♪「幸い薄く見ゆる日に」
(新聖歌330)
1.
幸(さいわ)い
(新聖歌330)
1.
幸(さいわ)い
薄(うす)く見ゆる日に
孤独(こどく)に悩む時に
わが恵み
孤独(こどく)に悩む時に
わが恵み
汝(な)れに足(た)れりと
静かな声を聞きぬ
さればわれわが目を上げて
十字架の
静かな声を聞きぬ
さればわれわが目を上げて
十字架の
イエスを仰(あお)がん
主よ汝(な)が愛を思えば
われに乏(とぼ)しきことなしと
2.
愛する者を失いて
望みの消ゆる時に
われ汝(なんじ)を
主よ汝(な)が愛を思えば
われに乏(とぼ)しきことなしと
2.
愛する者を失いて
望みの消ゆる時に
われ汝(なんじ)を
ひとりにせじと
優(やさ)しき声を聞きぬ
さればわれ笑みをたたえて
友なるイエスに応(こた)えん
主よ汝が愛に生くれば
われに乏しきことなしと
優(やさ)しき声を聞きぬ
さればわれ笑みをたたえて
友なるイエスに応(こた)えん
主よ汝が愛に生くれば
われに乏しきことなしと
○
肉体のとげ
(2コリント12:7-10)
「その啓示が
あまりにもすばらしいからです。
そのために私は,
高ぶることのないようにと,
肉体に一つのとげを
そのために私は,
高ぶることのないようにと,
肉体に一つのとげを
与えられました。
それは私が
それは私が
高ぶることのないように,
私を打つための,
サタンの使いです。
このことについては,
これを私から
私を打つための,
サタンの使いです。
このことについては,
これを私から
去らせてくださるようにと,
三度も主に願いました。
しかし,主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,
わたしの力は,
弱さのうちに
三度も主に願いました。
しかし,主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,
わたしの力は,
弱さのうちに
完全に現われるからである。』
と言われたのです。
ですから,
私は,
と言われたのです。
ですから,
私は,
キリストの力が私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。
ですから,
私は,キリストのために,
弱さ,侮辱,苦痛,迫害,
ですから,
私は,キリストのために,
弱さ,侮辱,苦痛,迫害,
困難に甘んじています。
なぜなら,
私が弱いときにこそ,
私は強いからです。」
なぜなら,
私が弱いときにこそ,
私は強いからです。」
○
三位一体の神
(2コリント13:13)
「主イエス・キリストの恵み,
神の愛,
聖霊の交わりが,
あなたがたすべてとともに
ありますように。」
三位一体の神は,
イエス・キリストを
信じる者の生活を
成り立たせる最も大切な方です。
イエス・キリストを信じるものは,
神との交わりに生きます。
神との交わりは
どのようになるのでしょうか。
神は,三位一体の神として,
唯一の神でありつつ,
父なる神,
子なる神,
聖霊なる神として
働きます。
その三位一体の神と
私たちは交わるのです。

(申命記4:39)
「きょう,
あなたは,
上は天,
下は地において,
主だけが神であり,
ほかに神はないことを知り,
心に留めなさい。」
父なる神としてわれわれの上にあります。
(1歴代誌29:11,12)
「主よ。
偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とは
あなたのものです。
天にあるもの地にあるものは
みなそうです。
主よ。王国もあなたのものです。
あなたはすべてのものの上に,
かしらとしてあがむべき方です。
富と誉れは御前から出ます。
あなたはすべてのものの支配者であられ,
御手には勢いと力があり,
あなたの御手によって,
すべてが偉大にされ,
力づけられるのです。」
○
(エペソ1:8)
「神はこの恵みを
私たちの上にあふれさせ,
あらゆる知恵と思慮深さをもって,
みこころの奥義を私たちに
知らせてくださいました。」
子なる神として,
われわれの前にあります。
(エペソ1:4)
「すなわち,
神は私たちを
世界の基の置かれる前から
キリストのうちに選び,
御前で聖く,
傷のない者にしようとされました。」
○
(マタイ28:20)
「見よ。
わたしは,世の終わりまで,
いつも,あなたがたとともにいます。」
聖霊なる神としてわれわれのうちに住み,
神御自身との交わりに
わたしたちを生かして下さいます。
(ヨハネ14:17)
「その方は,真理の御霊です。
世はその方を受け入れることができません。
世はその方を見もせず,
知りもしないからです。
しかし,
あなたがたはその方を知っています。
その方はあなたがたとともに住み,
あなたがたのうちにおられるからです。」
聖霊は,私たちの心の中で,
神の愛を満たします。
(ローマ5:5)
「この希望は
失望に終わることがありません。
なぜなら,
私たちに与えられた聖霊によって,
神の愛が
私たちの心に注がれているからです。」
私たちが信じる神は,唯一ですが,
私たちは父なる神,子なる神,
聖霊なる神として交わります。
2022.12.2