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朝の光(聖書の言葉)

8. 洗礼  (喜びあふれて)

8. 洗礼 

(顕現節第2主日・主の洗礼日)

ルカ3:15-22  

(イエス,洗礼を受ける)



「民衆が皆洗礼を受け,

イエスも洗礼を受けて祈っておられると,

天が開け,

聖霊が鳩のように目に見える姿で

イエスの上に降って来た。

すると,

『あなたはわたしの愛する子,

わたしの心に適う者』という声が,

天から聞こえた。」

(ルカ3:21,22)



1.

わたしたちにとって,

祈りは信仰生活の呼吸として大切なものです。


旧約聖書の詩編は,

まさに祈りの書といえます。


今日は「主の洗礼日」の礼拝をわたしたちは,

守っています。


福音書の箇所も,

イエスさまの洗礼が書かれていますので,

説教題も「洗礼」としました。




(ルカ3:1-20)
(洗礼者ヨハネ,教えを宣べる)

今日の日課のルカによる福音書を

注意して読んでみますと,

「洗礼」には触れていますが,

洗礼よりも

イエスさまがお祈りになっている姿を

際立たせています。


ルカによる福音書は,

出来事を歴史的な視点から書いています。


イエスさまが洗礼を

お受けになった時の状況は,

洗礼者ヨハネが荒れ野で悔い改めの洗礼を

宣べ伝えるところから始まります。

(ルカ3:1-4)


この出来事に

聖書による裏付けがなされます。

(ルカ3:4-6)。


つぎに,

群衆に語りかける洗礼者ヨハネの言葉が

書かれています。

(ルカ3:7-14)


このヨハネの行為が,

いかに大きな反響を呼び起こしたかを,

次の言葉で示しています。


「民衆は

メシヤ(キリスト)を待ち望んでいて,

ヨハネについて,

もしかしたら彼が

メシヤ(キリスト)ではないかと,

皆心の中で考えていた。」

(ルカ3:15) 




(マタイ3:1-12)

(洗礼者ヨハネ,教えを宣べる)

この状況をマタイによる福音書では,

次のように書いています。


「エルサレムとユダヤ全土から,

また,ヨルダン川沿いの地方一帯から,

人々がヨハネのもとに来て,

罪を告白し,

ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」

(マタイ3:5,6)



洗礼者ヨハネの宣教は

大きな反響を引き起こし,

人々はこのヨハネこそ「救い主」

ではないかと考えるようになりました。


このような人々の期待をヨハネは,

自らは「救い主」であることを否定し,

後から来られる方を次のように紹介します。


「わたしの後から来る方は,

わたしよりも優れておられる。」

(マタイ3:11a)


「その方は,

聖霊と火であなたたちに

洗礼をお授けになる。」

(マタイ3:11b)


そして,その方(救い主)は,

裁きを行う方でもあると伝えました。


「そして,手に箕を持って,

脱穀場を隅々まできれいにし,

麦を集めて倉に入れ,

殻を消えることのない火で

焼き払われる。」

(マタイ3:12)


2.

(ヨハネ3:22-30)
(イエスと洗礼者ヨハネ)


洗礼者ヨハネは

「その方」(救い主)が来られるために,

神様から遣わされた人でした。


ですから,洗礼者ヨハネは,

次のように言います。


「花嫁を迎えるのは花婿(はなむこ)だ。

花婿の介添人(かえぞえにん)は

花婿のそばに立って耳を傾け,

花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。

だから,わたしは喜びで満たされている。

あの方は栄え,

わたしは衰えねばならない。」

(ヨハネ3:29,30)


洗礼者ヨハネは,

素晴らしい心根をもった人です。


歴史的な大きな出来事が,

洗礼者ヨハネによって引き起こされています。


洗礼者ヨハネのすることは,

後から来られる方を指し示すというのです。


そのような状況の中で,

イエスさまもまた

ヨハネから洗礼をお受けになります。



3.


(ルカ3:15-22)
(イエス,洗礼を受ける)


ルカによる福音書では,

イエスさまが洗礼をお受けになった出来事を

次のようにと記しています。


「民衆が皆洗礼を受け,

イエスも洗礼を受けた。」

(ルカ3:21)


イエスさまは

民衆の一人として洗礼をお受けになったので,

注目すべきことではないと,

この書き方は伝えているようです。


人々の期待は,

イエスさまにではなく,

洗礼者ヨハネに向いていました。


そして,民衆の一人として,

イエスさまは

洗礼を次のようにお受けになりました。


「イエスも洗礼を受けて

祈っておられると,天が開け」

(ルカ3:21)


イエスさまが

ヨハネの指し示す方であることが

明らかになるのは,

イエスさまが洗礼を

受けて祈っておられる時です。


人々の中に埋没(まいぼつ)

されていたイエスさまが,

神の御子であることが明らかになるのは,

イエスさまが祈っておられる時でした。


イエスさまの洗礼を書いている

ルカによる福音書が焦点を当てているのは,

祈っておられるイエスさまです。


神様は,イエスさまの祈りに

次のように答えてくださいます。


「天が開け,

聖霊が鳩のように見える姿で

イエスさまの上に降(くだ)って来た。」

(ルカ3:22)


すると,次の声が天から聞こえてきました。


「あなたはわたしの愛する子,

わたしの心に適(かな)う者。」

(ルカ3:22)


洗礼を受けて祈っておられるイエスさまに,

神様は天を開き,御霊を降され,

「わたしの愛する子」

と声をかけてくださいました。


人々の中に埋没し,

歴史の中に埋没されていた

イエスさまの祈りに答えて,

神様は人々にイエスさまこそ

神様から選ばれた方であることを,

明らかにしてくださいました。


この神様による,

イエスさまこそ

「神様の愛する御子,神様の御心に適う方」

との証言の後に,

ルカはイエスさまの系図を書きます。


民衆の一人として洗礼を

受けられたイエスさまが,

キリスト(救い主)であると言うことが

明らかになったのは祈りの時でした。


わたしたちの祈りに対しても,

神様は天を開き,御霊を下して,

「わたしの愛する子」

と答えてくださいます。


こうして,

ルカによる福音書は

歴史としての出来事として,

イエスさまの洗礼を記すとともに,

祈りに答えられる神様の答えの確かさを

目に見える形で,

またその御声を通して

示してくださっています。



人となりし主イエスの洗礼寒の水


(2007年1月13日 F教会)

( 松隈 貞雄牧師)



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