2024.1.14
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風と荒波とをお叱りになる
(ルカ8:24)新共同訳
「弟子たちは近寄ってイエスを起こし,
『先生,先生,おぼれそうです』
と言った。
イエスが起き上がって,
風と荒波とをお叱りになると,
静まって凪になった。」
イエスには平安がありました。
私たちもイエスと共にいれば,
平安があります。
○
信仰によって救われた
(エペソ2:8,9)
「あなたがたは,恵みのゆえに,
信仰によって救われたのです。」
救いをイエスの恵みによって与えられ,
十字架につけられた
イエスだけだと思うと
わたしの救いがはっきりします。
「アーメン」です。
何かしないといけないと考えると,
神の国に入れない。
恵みと信仰により救われます。
☆
(エペソ2:8,9)
「あなたがたは,恵みのゆえに,
信仰によって救われたのです。
それは,
自分自身からでたことではなく,
神からの賜物です。
行いによるのではありません。
だれも誇ることのないためです。」
救いは,人間の努力,行いではなく,
信仰によっていただく,
神の無償の賜物,
すなわち恵みによります。
参考
ローマ3:21-5:1
ガラテヤ2:16,3:6-29
ピリピ3:9
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イエスに従う
(マタイ16:24)新共同訳
「それから,弟子たちに言われた。
『わたしについて来たい者は,
自分を捨て,自分の十字架を背負って,
わたしに従いなさい。』」
私がイエスに従わないで,
自分一人で歩むと,しんどくなります。
イエスに従うと神による救いと,
新しい命を得ます。
☆彡
(マタイ16:24,25)新共同訳
「それから,弟子たちに言われた。
『わたしについて来たい者は,
自分を捨て,自分の十字架を背負って,
わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は,
それを失うが,
わたしのために命を失う者は,
それを得る』」
○
世の光
(ヨハネ8:12)新共同訳
「イエスは再び言われた。
『わたしは世の光である。
わたしに従う者は暗闇の中を歩かず,
命の光を持つ。』」
(マタイ5:14a)
「あなたがたは世の光である。」
イエスが「世の光」であり,
わたしたちも「世の光」として,
生きていけます。
「世の光」であるイエスを
見ないといけない,
人を見て
人と比較する生き方になります。
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信じる者の「神の義」
(ローマ3:22)新共同訳
「イエス・キリストを
信じることにより,
信じる者すべてに与えられる
神の義です。
そこには何の差別もありません。」
「信じるだけで救われる」
この事実を受け入れると,
イエスを信じる者は
「神の義」を受けます。
奉仕,礼拝がしたいと
思うようになります。
○
病の女のいやし
(ルカ8:48)新共同訳
「イエスは言われた。
『娘よ,
あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい。』」
この女は信仰によって,
病がいやされました。
神の救いには,魂の救いに,
からだのいやしが含まれます。
☆彡
(ルカ8:43-48)新共同訳
「ときに,
十二年このかた出血が止まらず,
医者に全財産を使い果たしたが,
だれからも治してもらえない女がいた。
この女が近寄って来て,
後ろからイエスの服の房に触れると,
直ちに出血が止まった。
イエスは,
『わたしに触れたのはだれか』
と言われた。
人々は皆,
自分ではないと答えたので,
ペトロが,
『先生,群衆があなたを取り巻いて,
押し合っているのです』と言った。
しかし,イエスは,
『だれかがわたしに触れた。
わたしから力が出て行ったのを
感じたのだ』と言われた。
女は隠しきれないと知って,
震えながら進み出てひれ伏し,
触れた理由とたちまちいやされた
次第とを皆の前で話した。
イエスは言われた。
『娘よ,
あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい。』
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ヤイロの娘を生かす。
(ルカ8:54,55)新共同訳
「イエスは娘の手を取り,
『娘よ,起きなさい』
と呼びかけられた。
すると娘は,その霊が戻って,
すぐに起き上がった。
イエスは,
娘に食べ物を与えるように
指図をされた。」
ヤイロの父の信仰により,
イエスはヤイロの娘を生かします。
☆彡
(ルカ8:40-42)新共同訳
「イエスが帰って来られると,
群衆は喜んで迎えた。
人々は皆,
イエスを待っていたからである。
そこへ,ヤイロという人が来た。
この人は会堂長であった。
彼はイエスの足もとにひれ伏して,
自分の家に
来てくださるようにと願った。
十二歳ぐらいの一人娘がいたが,
死にかけていたのである。
イエスがそこに行かれる途中,
群衆が周りに押し寄せて来た。」
(ルカ8:49-52)新共同訳
「イエスがまだ話しておられるときに,
会堂長の家から人が来て言った。
『お嬢さんは亡くなりました。
この上,
先生を煩わすことはありません。』
イエスは,
これを聞いて会堂長に言われた。
『恐れることはない。ただ信じなさい。
そうすれば,娘は救われる。』」
イエスはその家に着くと,
ペトロ,ヨハネ,ヤコブ,
それに娘の父母のほかには,
だれも一緒に入ることを
お許しにならなかった。
人々は皆,
娘のために泣き悲しんでいた。
そこで,イエスは言われた。
『泣くな。
死んだのではない。
眠っているのだ。』」