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朝の光(聖書の言葉)

生きることはキリスト(ピリピ1:21)

生きることはキリスト


(ピリピ1:21)口語訳


「わたしにとっては,

生きることはキリストであり,

死ぬことは益である。」



キリストと共にいることの

幸いをのべています。


死の淵から生き返った人

(臨死体験)の中には,

光の中にいて,

あまりの幸いに,

生き返ったことを

嘆いた人がいました。


それに似た体験を

パウロはしたのでしょうか。


パウロの体験は,

神が与えたものです。


パウロの幸いは,

イエス・キリストが

いつもともにいることから

来ています。






☆彡


生きることはキリスト

(ピリピ1;17-23口語訳)

「前者は,わたしの入獄の苦しみに
更に患難を加えようと思って,
純真な心からではなく,
党派心からそうしている。
すると,どうなのか。
見えからであるにしても,
真実からであるにしても,
要するに,
伝えられているのは
キリストなのだから,
わたしはそれを喜んでいるし,
また喜ぶであろう。
なぜなら,あなたがたの祈と,
イエス・キリストの
霊の助けとによって,
この事がついには,
わたしの救となることを
知っているからである。
そこで,
わたしが切実な思いで
待ち望むことは,
わたしが,
どんなことがあっても
恥じることなく,
かえって,いつものように今も,
大胆に語ることによって,
生きるにも死ぬにも,
わたしの身によって
キリストが
あがめられることである。
わたしにとっては,
生きることはキリストであり,
死ぬことは益である。
しかし,
肉体において生きていることが,
わたしにとっては
実り多い働きになるのだとすれば,
どちらを選んだらよいか,
わたしにはわからない。
わたしは,
これら二つのものの間に
板ばさみになっている。
わたしの願いを言えば,
この世を去って
キリストと共にいることであり,
実は,
その方がはるかに望ましい。」









パウロの体験

 
(2コリント12:1-4口語訳)

「わたしは誇らざるを得ないので,
無益ではあろうが,
主のまぼろしと
啓示とについて語ろう。 
わたしはキリストにある
ひとりの人を知っている。
この人は十四年前に第三の天にまで
引き上げられた―それが,
からだのままであったか,
わたしは知らない。
からだを離れてであったか,
それも知らない。
神がご存じである。 
この人が―それが,
からだのままであったか,
からだを離れてであったか,
わたしは知らない。
神がご存じである― 
パラダイスに引き上げられ,
そして口に言い表わせない,
人間が語ってはならない
言葉を聞いたのを,
わたしは知っている。」
 
 
パウロはこの体験を

他人のこととして書いていますが,

パウロ自身の体験のようです。



2019-04-11

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