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朝の光(聖書の言葉)

ピリピ人の手紙 解説 4 重要 2019-08-18

ピリピ人の手紙 解説


使徒のパウロが,ローマの獄中で,

紀元61年に

ピリピ教会の信徒のために

書いています。





パウロの祈り


(ピリピ1:9-11)


「私は祈っています。

あなたがたの愛が

真の知識と

あらゆる識別力によって,

いよいよ豊かになり,

あなたがたが,

真にすぐれたものを見分けることが

できるようになりますように。

またあなたがたが,

キリストの日には

純真で非難されるところがなく,

イエス・キリストによって

与え得られる義の実に

満たされている者となり,

神の御栄えと誉れが

現されますように。」


パウロはピリピの教会の人々が,

愛が豊かになるようにと祈ります。


キリストの愛は,信じる者に,

義,聖化,清め,栄化を

与えてくださいます。


その愛の根拠は,

キリストの降誕,十字架,復活,

再臨の望みであります。


この手紙で説明されます。






獄中でのパウロ


(ピリピ1:21-23)


「私にとっては,

生きることはキリスト,

死ぬことも益です。

しかし,

もしこの肉体のいのちが

続くとしたら,

私の働きが豊かな実を

結ぶことになるので,

どちらを選んだらよいのか,

私にはわかりません。

私は,その二つのものの間に

板ばさみとなっています。

私の願いは,

世を去ってキリストとともに

いることです。

実はそのほうが,

はるかにまさっています。」


パウロの近況の報告をします。

パウロは,

この時監禁されていました。

(ピリピ1:12)



イエス・キリストを信じる者は,

召されると(死ぬると),

キリストと

共にいることになります。


パウロは生きて,

主のために働くことを選びます。


パウロは次のように言います。


(ピリピ1:29)

「あなたがたはキリストのために,

ただ彼を信じることだけではなく,

彼のために苦しむことをも

賜わっている。 」






御霊(聖霊)の交わり
 

(ピリピ2:1,2)


「そこで,あなたがたに,

キリストによる勧め,

愛の励まし,御霊の交わり,

熱愛とあわれみとが,

いくらかでもあるなら, 

どうか同じ思いとなり,

同じ愛の心を持ち,

心を合わせ,一つ思いになって,

わたしの喜びを満たしてほしい。」
 

イエス・キリストを信じる者には,

神と御霊の交わりがあります。


また,信じる者相互に,

御霊の交わりがあります。






キリストを模範とせよ


(ピリピ2:3)


「何事でも自己中心や

虚栄からすることなく,

へりくだって,

互いに人を自分よりも

すぐれた者と思いなさい。」


へりくだることは,

イエスの生涯でした。


イエスは次のように言いました。


(ヨハネ15:12)

「わたしのいましめは,
これである。
わたしが
あなたがたを愛したように,
あなたがたも
互に愛し合いなさい。」




イエス・キリストの従順

降誕・十字架・昇天


ーイエス・キリストをたたえる賛美ー



(ピリピ2:6-11)


「キリストは

神の御姿である方なのに,

神のあり方を

捨てられないとは考えず,

ご自分を無にして,

仕える者の姿をとり,

人間と同じようになられました。

人としての性質をもって現れ,

自分を卑しくし,死にまで従い,

実に十字架の死にまでも

従われました。

それゆえ神は,

この方を高く上げて,

すべての名にまさる名を

お与えになりました。

それは,イエスの御名によって,

天にあるもの,地にあるもの,

地の下にあるもののすべてが,

ひざをかがめ,

すべての口が,

『イエス・キリストは主である』

と告白して,

父なる神が

ほめたたえられるためです。」



イエス・キリストをたたえる

賛美の歌です。


イエス・キリストの救いの業を

見事に要約しています。


イエス・キリストは神の子ですが,

私たちのために

人間と同じ姿になって下さいました。


イエス・キリストは

その生涯は十字架の死まで,

父なる神に従順でした。


従順によって,

救いの業を

成し遂げてくださいました。





イエス・キリストの従順により,

人の罪の贖いの業は全うされ,

信じる者が

神の前に

義とされることになります。

 
(ローマ5:19)

「ひとりの人の不従順によって,
多くの人が
罪人とされたと同じように,
ひとりの従順によって,
多くの人が
義人とされるのである。」




従順


(ピリピ2:12,13)


「そういうわけですから,

愛する人たち,

いつも従順であったように,

私がいるときだけでなく,

私のいない今はなおさら,

恐れおののいて

自分の救いの達成に努めなさい。

神は,みこころのままに,

あなたがたのうちに働いて

志を立てさせ,

事を行わせてくださるのです。」


イエス・キリストは,

父なる神に従順でした。


パウロは,

私たちに

イエス・キリストにならって,

神に従順であるように勧めます。


「従順」は「従う」とも訳せます。

「従順」は,

信仰の積極的な行動です。



イエスは次のように言っています。


(マルコ8:34-38)

「それから群衆を弟子たちと
一緒に呼び寄せて,
彼らに言われた,
『だれでも
わたしについてきたいと思うなら,
自分を捨て,
自分の十字架を負うて,
わたしに従ってきなさい。 
自分の命を救おうと思う者は
それを失い,
わたしのため,
また福音のために,
自分の命を失う者は,
それを救うであろう。 
人が全世界をもうけても,
自分の命を損したら,
なんの得になろうか。 
また,人はどんな代価を払って,
その命を
買いもどすことができようか。 
邪悪で罪深いこの時代にあって,
わたしとわたしの言葉とを
恥じる者に対しては,
人の子もまた,
父の栄光のうちに
聖なる御使たちと共に来るときに,
その者を恥じるであろう』」。




神の霊により礼拝する


(ピリピ3:3)

「神の霊によって礼拝をし,

キリスト・イエスを誇とし,

肉を頼みとしないわたしたちこそ,

割礼の者である。」 


神に霊(聖霊)よって

礼拝すること,

イエス・キリストを誇ることは,

神の民だからです。


イエス・キリストを

信じる者の恵みであり,

特権です。


心の割礼が,神の民の要件です。




キリストを信じる,復活への信仰。

ー 義認の確信 ー


(ピリピ3:9-11)


「キリストの中に

ある者と認められ,

律法による自分の義ではなくて,

キリストを信じる信仰による義,

すなわち,信仰に基づいて,

神から与えられる義を

持つことができる,

という望みがあるからです。

私は,

キリストとその復活の力を知り,

またキリストの苦しみに

あずかることも知って,

キリストの死と同じ状態になり,

どうにかして,

死者の中からの

復活に達したいのです。」


わたしたちは,

イエス・キリストを

信じることによって,

義(正しい者)とされます。


そして,わたしたちは

イエス・キリストの復活に,

あずかる者となるのです。


パウロの義認(信仰義認)の

確信の言葉です。




目標を目指して


(ピリピ3:12-14)


「私は,すでに得たのでもなく,

すでに完全にされているのでも

ありません。

ただ捕らえようとして,

追求しているのです。

そして,

それを得るようにと

キリスト・イエスが

私を捕らえてくださったのです。

兄弟たちよ。

私は,自分はすでに捕らえたなどと

考えてはいません。

ただ,この一事に励んでいます。

すなわち,

うしろのものを忘れ,

ひたむきに

前のものに向かって進み,

キリスト・イエスにおいて

上に召してくださる

神の栄冠を得るために,

目標を目ざして

一心に走っているのです。」


わたしたち信仰によって義とされ,

神への従順によって,

キリストに似る者となります。

その完成は,

イエス・キリストの

再臨によります。





主の再臨,栄光のからだ


(ピリピ3:20,21)


「私たちの国籍は天にあります。

そこから主イエス・キリストが

救い主としておいでになるのを,

私たちは待ち望んでいます。

キリストは,

万物を

ご自身に従わせることのできる

御力によって,

私たちの卑しいからだを,

ご自身の栄光のからだと同じ姿に

変えてくださるのです。」


わたしたちの待っているものは

天国です。


それは,

イエス・キリストが再臨するときに

与えられます。


そのとき,

私たちは新しいからだである

栄光のからだをを与えられます。




いつも喜びなさい


(ピリピ4:4-7)


「いつも主にあって喜びなさい。

もう一度言います。喜びなさい。

あなたがたの寛容な心を,

すべての人に知らせなさい。

主は近いのです。

何も思い煩わないで,

あらゆる場合に,

感謝をもってささげる

祈りと願いによって,

あなたがたの願い事を

神に知っていただきなさい。

そうすれば,

人のすべての考えにまさる

神の平安が,

あなたがたの心と思いを

キリスト・イエスにあって

守ってくれます。」


喜び,祈り,

感謝することによって,

キリスト・イエスは,

わたしたちを守ってくださいます。


私たちが主にあって喜ぶとき,

わたしたちの心の内に

平安が与えられます。




「思いわずらい」については,

イエス・キリストの山上の説教で

次のように言いました。



(マタイ6:25-27)


「それだから,

あなたがたに言っておく。
 
何を食べようか,何を飲もうかと,

自分の命のことで思いわずらい,
 
何を着ようかと

自分のからだのことで

思いわずらうな。
 
命は食物にまさり,

からだは着物にまさるではないか。
 
空の鳥を見るがよい。
 
まくことも,刈ることもせず,

倉に取りいれることもしない。
 
それだのに,

あなたがたの天の父は

彼らを養っていて下さる。
 
あなたがたは彼らよりも,

はるかにすぐれた者ではないか。
 
あなたがたのうち,

だれが思いわずらったからとて,
 
自分の寿命をわずかでも

延ばすことができようか。」




パウロは別の手紙で,

次のように言っています。
 

(1テサロニケ5:16-18)

 口語訳

「いつも喜んでいなさい。 

絶えず祈りなさい。 

すべての事について,

感謝しなさい。

これが,

キリスト・イエスにあって,

神があなたがたに

求めておられることである。」




2019-08-18

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