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朝の光(聖書の言葉)

ピリピの手紙 解説 3  重要   2019.6.5

ピリピの手紙 解説 3


喜びと希望のメッセージ

希望こそ復活の喜び


獄中にいたパウロは

自分の様子を知らせるため、

ピリピの教会に勧めの

手紙を書きました。






真実の愛


(ピリピ1:9-11)

「私は祈っています。
あなたがたの愛が
真の知識と
あらゆる識別力によって,
いよいよ豊かになり,
あなたがたが,
真にすぐれたものを
見分けることが
できるようになりますように。
またあなたがたが,
キリストの日には
純真で非難されるところがなく,
イエス・キリストによって
与えられる
義の実に満たされている者となり,
神の御栄えと誉れが
現わされますように。」


パウロのピリピの信徒のための

祈りです。

愛が豊かになるように

祈っています。






イエスは次のように言いました。


(ヨハネ15:17)

「あなたがたが

互いに愛し合うこと,

これが,

わたしのあなたがたに

与える戒めです。」


イエスの言う

「互い愛し合う」とは,

どうすることでしょうか。




パウロは,見事に答えています。

パウロは,

苦悩の中から聖霊に啓示され,

次のように言いました。



(ピリピ1:9,10)

「あなたがたの愛が
真の知識と
あらゆる識別力によって,
いよいよ豊かになり,
あなたがたが,
真にすぐれたものを見分けることが
できるようになりますように。
その愛は,
真実のもので
なければなりません。」


愛には,真の知識が必要です。

それは,

真実のものでなければなりません。

わたしたちの

最終的な目標の一つが,

この愛を求めることです。








生きるとはキリスト


(ピリピ1:21)

「わたしにとって,
生きるとはキリストであり,
死ぬことは利益なのです。」


この世を去ると,

キリストと共に

いることになります。


パウロは,

生きて主にある

働きをしたいといいます。


パウロには,

死に打ち勝った喜びがありました。


パウロの罪状はわからないが,

重大な罪に問われていたに

違いありません。


有罪判決が下れば,

死刑も免れませんでした。



☆彡



(ピリピ1:21-23)

「わたしにとって,
生きるとはキリストであり,
死ぬことは利益なのです。
けれども,
肉において生き続ければ,
実り多い働きができ,
どちらを選ぶべきか,
わたしには分かりません。
この二つのことの間で,
板挟みの状態です。
一方では,この世を去って,
キリストと
共にいたいと熱望しており,
この方がはるかに望ましい。」




「愛の慰め」


(ピリピ2:2)

「あなたがたは一致を保ち,
同じ愛の心を持ち,
心を合わせ,
志を一つにしてください。」


パウロはピリピの信徒に

謙遜になるように勧めます。


私たちが,

人と交わるには「愛の慰め」,

「御霊の交わり」が必要です。


このパウロの言う「愛の慰め」は,

人生の出発点であり,目標です。


人の魂を癒すのは,

福音です。


福音とはイエス御自身とその業,

その言葉です。


私たちが福音を伝えるのは,

わたしたちの二人の交わりに

霊的な一致が必要です。


この一致がそのまま,

解決になります。






キリストを模範とせよ


(ピリピ2:5-11)

「互いにこのことを心がけなさい。
それはキリスト・イエスにも
みられるものです。
キリストは,
神の身分でありながら,
神と等しい者であることに
固執しようとは思わず,
かえって自分を無にして,
僕の身分になり,
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ,
へりくだって,死に至るまで,
それも
十字架の死に至るまで
従順でした。
このため,
神はキリストを高く上げ,
あらゆる名にまさる名を
お与えになりました。
こうして,天上のもの,
地上のもの,地下のものがすべて,
イエスの御名にひざまずき,
すべての舌が,
『イエス・キリストは主である』
と公に宣べて,
父である神をたたえるのです。」


互いに相手を自分よりも

優れたものと

考えなさいと勧めます。


それはキリスト・イエスにも

みられることだといいます。


そして,キリストの受肉,

へりくだり,十字架,

復活の生涯を伝えます。





救いの達成


(ピリピ2:12,13)

「そういうわけですから,
愛する人たち,
いつも従順であったように,
私がいるときだけでなく,
私のいない今はなおさら,
恐れおののいて
自分の救いの達成に努めなさい。
神は,みこころのままに,
あなたがたのうちに働いて
志を立てさせ,
事を行わせてくださるのです。」



キリストは,

父なる神に従順でした。






喜び


(ピリピ2:17)

「たとい私が,
あなたがたの信仰の
供え物と礼拝とともに,
注ぎの供え物となっても,
私は喜びます。
あなたがた
すべてとともに喜びます。」


「喜び」は,

神から信じるものに与えられる

霊的な能力です。


パウロは喜びの体現者です。

パウロはローマの牢に

入れられていました。


いつ処刑されるか

わからない状況でした。


しかし,

パウロは喜んでいました。




イエスも十字架の死の前に

次のように語ります。


(ヨハネ15:11)

「わたしがこれらのことを
あなたがたに話したのは,
わたしの喜びが
あなたがたのうちにあり,
あなたがたの喜びが
満たされるためです。」




イエス・キリストは主


(ピリピ2:10,11)

「イエスの御名によって,
天にあるもの,地にあるもの,
地の下にあるもののすべてが,
ひざをかがめ,
すべての口が,
『イエス・キリストは主である。』
と告白して,
父なる神が
ほめたたえられるためです。』」


イエスが十字架にかかる前,

イエスは弟子の足を洗います。


そして,つぎのように言います。


(ヨハネ13:12-14)

「イエスは,
彼らの足を洗い終わり,
上着を着けて,再び席に着いて,
彼らに言われた。
『私があなたがたに何をしたか,
わかりますか。
あなたがたはわたしを
先生とも主とも呼んでいます。
あなたがたがそう言うのはよい。
わたしはそのような者だからです。
それで,
主であり師であるこのわたしが,
あなたがたの足を
洗ったのですから,
あなたがたもまた
互いに足を洗い合うべきです。』」


「主」とは,

教会のかしらの主です。

そして,

全世界,全宇宙に君臨する王の王,

主の主としての主のことです。


ワーッシップに

次のようなものがあります。


「わが主 わが主 
よみがえりしイェス わが主
われ ひざまずき 
イェスはキリスト 
わが主と ほめうたう イェスは主
生ける主 死からよみがえられた主
すべてのものは ひざをかがめて
主イェスを あがめます」





キリスト・イエスを知る


(ピリピ3:8)

「私の主であるキリスト・イエスを
知っていることの
すばらしさのゆえに,
いっさいのことを
損と思っています。
私はキリストのために
すべてのものを捨てて,
それらを
ちりあくたと思っています。」


イエスを信じると,

聖霊によってますますイエスを知る

喜びが与えられます。




義認,聖化,栄化



(ピリピ3:8)

「わたしは,更に進んで,
わたしの主キリスト・イエスを知る
知識の絶大な価値のゆえに,
いっさいのものを損と思っている。
キリストのゆえに,
わたしはすべてを失ったが,
それらのものを,
ふん土のように思っている。
それは,
わたしが
キリストを得るためであり,」 



(ピリピ3:9)

「律法による自分の義ではなく,
キリストを信じる信仰による義,
すなわち,
信仰に基く神からの義を受けて,
キリストのうちに自分を
見いだすようになるためである。」 



(ピリピ3:10)

「すなわち,
キリストとその復活の力とを知り,
その苦難にあずかって,
その死のさまとひとしくなり,」 


(ピリピ3:11)

「なんとかして死人のうちからの
復活に達したいのである。」


神学的に言えば,

8‐9節で義認,

10節で聖化,

11節で栄化が描かれています。


8‐9節は今のパウロの姿で,

10節がパウロが地上で

目指しているもの,

11節は終末的希望

ということになります。



☆彡



(ピリピ3:8-11)口語訳

「わたしは,更に進んで,
わたしの主キリスト・イエスを知る
知識の絶大な価値のゆえに,
いっさいのものを損と思っている。
キリストのゆえに,
わたしはすべてを失ったが,
それらのものを,
ふん土のように思っている。
それは,
わたしがキリストを
得るためであり,
律法による自分の義ではなく,
キリストを信じる信仰による義,
すなわち,
信仰に基く神からの義を受けて,
キリストのうちに
自分を見いだすように
なるためである。
すなわち,
キリストとその復活の力とを知り,
その苦難にあずかって,
その死のさまとひとしくなり,
なんとかして死人のうちからの
復活に達したいのである。」






「栄光の体」


(ピリピ3:20,21)

「私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが
救い主としておいでになるのを,
私たちは待ち望んでいます。
キリストは,
万物を
ご自身に従わせることのできる
御力によって,
私たちの卑しいからだを,
ご自身の栄光のからだと
同じ姿に変えてくださるのです。」


イエスが再び来られとき,

わたしたちの救いは完成します。


義ははっきりします,

審判を受けて義とされます。


聖化は完成し,

からだは,

霊の体として完成します。

「栄化」といいます。




喜び


(ピリピ4:4)

「いつも主にあって喜びなさい。
もう一度言います。
喜びなさい。」


思い煩うことをやめて,

「喜び,祈り,感謝すること」を,

パウロは勧めます。


神にある喜びは,

神と人の間に

イエス・キリスト以外の何かを

入れるとなくなるようです。


罪,偶像,肉の喜びを入れると,

神の喜びがなくなります。


神の臨在に接する喜びは,

あまりにも大きく,

この世にある何ものにも,

変えることはできません。


思い煩いは,

この喜びを奪います。



(ピリピ4:4-7)

「いつも主にあって喜びなさい。

もう一度言います。喜びなさい。

あなたがたの寛容な心を,

すべての人に知らせなさい。

主は近いのです。

何も思い煩わないで,

あらゆるばあいに,

感謝をもってささげる

祈りと願いによって,

あなたがたの願い事を

神に知っていただきなさい。

そうすれば,

人のすべての考えに

まさる神の平安が,

あなたがたの心と思いを

キリスト・イエスにあって

守ってくれます。」






富と貧 


(ピリピ4:12,13)

「私は,
貧しさの中にいる道も知っており,
豊かさの中にいる道も
知っています。
また,
飽くことにも飢えることにも,
富むことにも乏しいことにも,
あらゆる境遇に対処する
秘訣を心得ています。
私は,
私を強くしてくださる方によって,
どんなことでもできるのです。」


(2コリント8:9)

「あなたがたは,

私たちの主イエス・キリストの

恵みを知っています。

すなわち,

主は富んでおられたのに,

あなたがたのために

貧しくなられました。

それは,あなたがたが,

キリストの貧しさによって

富む者となるためです。」


イエス・キリストの富と貧しさは,

神と人,十字架と復活に

通じるものがあります。


私たちもこの貧と富の中を

生きているのかも知れません。


貧しいときも主を見上げ。

その中にある

真実を見つけたいと思います。


聖霊は,

わたしたちが

貧しいときも働かれます。





イエスの栄光


(ピリピ4:19)

「私の神は,
キリスト・イエスにある
ご自身の栄光の富をもって,
あなたがたの必要を
すべて満たしてくださいます。」


信仰によって,

すべての祝福が与えられます。


ピリピに示されたことを

まとめています。


イエス・キリストを

信じることによって,

聖霊によって,

主にある祝福が

すべて与えられます。




2019.6.5


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