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朝の光(聖書の言葉)

信仰による義(ローマ3:24)ほか  2018.1.1

信仰による義(ローマ3:24)ほか 

2018.1.1

H.K





信仰による義


(ローマ3:24)

「ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」


イエス・キリストは

「贖い」の業をなされました。


旧約では「贖い」とは,

身代金を払って自由にすることです。


新約では,キリストの死によって,

人間の罪が赦され,

神との正しい関係に入ることです。




(ローマ3:26b)

「今の時に
ご自身の義を現すためであり,
こうして神ご自身が義であり,
また,イエスを信じる者を
義とお認めになるためなのです。」


イエスを信じる者を

義としてくださいました。


☆彡


(ローマ3:21-26)

「しかし,今は,律法とは別に,
しかも律法と預言者によって
あかしされて,
神の義が示されました。
すなわち,
イエス・キリストを
信じる信仰による神の義であって,
それはすべての信じる人に与えられ,
何の差別もありません。
すべての人は,
罪を犯したので,
神からの栄誉を受けることができず,
ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。
神は,キリスト・イエスを,
その血による,
また信仰による,
なだめの供え物として,
公にお示しになりました。
それは,ご自身の義を現すためです。
というのは,
今までに犯されて来た罪を
神の忍耐をもって
見のがして来られたからです。
それは,
今の時にご自身の義を現すためであり,
こうして神ご自身が義であり,
また,
イエスを信じる者を
義とお認めになるためなのです。」




贖いの代価


(1ペテロ1:18,19)

「ご承知のように,
あなたがたが
父祖伝来のむなしい生き方から
贖い出されたのは,
銀や金のような朽ちる物にはよらず,
傷もなく汚れもない
小羊のようなキリストの,
尊い血によったのです。」


「贖い出され」るとは,

銀や金という物でなく,

キリストの血という代価を払って,

世と世にあるものの

縄目から解き放たれ,

新しい神の民とされたことです。


「傷もなく汚れもない小羊」とは,

身体的にも道徳的にも

完全ないけにえです。


(レビ22:17ー25)






信仰の創始者,完成者であるイエス


(へブル12:2)

「信仰の創始者であり,
完成者であるイエスから
目を離さないでいなさい。
イエスは,
ご自分の前に置かれた喜びのゆえに,
はずかしめをものともせずに
十字架を忍び,
神の御座の右に着座されました。」


イエスは,

ご自身がキリストであることを,

常に自覚していました。


十字架の後に復活し,

神の右の座に着座することを

信じていました。


その意味で,イエスは,

「信仰の創始者であり,

完成者である」のです。





「完了した」


(ヨハネ19:28)新改訳

「この後,イエスは,
すべてのことが完了したのを知って,
聖書が成就するために,
『わたしは渇く』
と言われた。」


(ヨハネ19:30)新改訳

「イエスは,
酸いぶどう酒を受けられると,
『完了した』と言われた。
そして,頭をたれて,
霊をお渡しになった。」


イエスが十字架にかけられることで,

贖いの業は,完成しました。

贖いの代価である命である,

血を神にささげたからです。


あとは,

私たちがイエスを信じることによって,

私たちは罪が赦され,

義とされ救われるのです。


☆彡


(ヨハネ19:28-30新改訳)

「この後,イエスは,
すべてのことが完了したのを知って,
聖書が成就するために,
『わたしは渇く』と言われた。
そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った
入れ物が置いてあった。
そこで彼らは,
酸いぶどう酒を含んだ海綿を
ヒソプの枝につけて,
それをイエスの口もとに差し出した。
イエスは,
酸いぶどう酒を受けられると,
『完了した』と言われた。
そして,頭をたれて,
霊をお渡しになった。」




からし種一粒ほどの信仰


(マタイ17:20)口語訳

するとイエスは言われた,
「あなたがたの信仰が
足りないからである。
よく言い聞かせておくが,
もし,
からし種一粒ほどの信仰があるなら,
この山にむかって
『ここからあそこに移れ』と言えば,
移るであろう。
このように,
あなたがたにできない事は,
何もないであろう。」


からし種ほどの信仰があったら,

この山に,

『ここからあそこに移れ』

と言えば移るのです。


どんなことでも,

わたしたちに

できないことはありません。



信仰によって,何でもできます。

反対に,信仰がなければ,

どんな主の業もできません。




(ルカ17:6)口語訳 

そこで主が言われた,
「もし,
からし種一粒ほどの信仰があるなら,
この桑の木に,
『抜け出して海に植われ』
と言ったとしても,
その言葉どおりになるであろう。





ピラトから尋問される


(ヨハネ18:37)

「そこでピラトはイエスに言った。
『それでは,あなたは王なのですか。』
イエスは答えられた。
『わたしが王であることは,
あなたが言うとおりです。
わたしは,
真理のあかしをするために生まれ,
このことのために世に来たのです。
真理に属する者はみな,
わたしの声に聞き従います。』」


この裁判で,

イエス・キリストは

ご自身が「王である」こと,

「真理のあかしをするために生まれた」

と言います。


イエス・キリストご自身を

あかしする機会となりました。







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