ピリピ書 解説 まとめ 2023.5.28
○
真実の愛
(ピリピ1:9)
「私は祈っています。
あなたがたの愛が
真の知識とあらゆる識別力によって,
いよいよ豊かになり,
あなたがたが,
真にすぐれたものを見分けることが
できるようになりますように。」
パウロは,ピリピの信徒のために
愛が豊かになるようにと
祈ります。
イエスの言う「互い愛し合う」とは,
何かを答えています。
パウロは,苦悩の中から聖霊に啓示され,
祈りに答えています。
私たちの目標です。
☆彡
真実の愛
(ピリピ1:9-11)
「私は祈っています。
あなたがたの愛が
真の知識とあらゆる識別力によって,
いよいよ豊かになり,
あなたがたが,
真にすぐれたものを見分けることが
できるようになりますように。
またあなたがたが,
キリストの日には
純真で非難されるところがなく,
イエス・キリストによって与えられる
義の実に満たされている者となり,
神の御栄えと誉れが現わされますように。」
「キリストの日」とは
キリストが再び来られる日です。
○
多くの人が愛を語ります。
ビートルズもそうです。
愛を大切にする人どうしでも,
うまくいかないこともあります。
愛はあってもうまくいかないのは,
パウロは,
愛が真の知識によって
いないからだといいます。
愛には,真の知識が必要です。
それは,真実のものでなければなりません。
わたしたちの愛の最終的な目標は,
神の栄光と誉れを讃えることです。
○
イエスは次のように言いました。
(ヨハネ15:17)
「あなたがたが互いに愛し合うこと,
これが,
わたしのあなたがたに与える戒めです。」
○
喜び
(ピリピ2:17)
「たとい私が,
あなたがたの信仰の供え物と
礼拝とともに,
注ぎの供え物となっても,
私は喜びます。
あなたがたすべてとともに喜びます。」
「喜び」は,神から信じる者に与えられる
霊的な贈り物です。
パウロはこの喜びがありました。
この手紙を書いた時,
パウロはローマの牢に
入れられていました。
そして,
いつ処刑されるかわからない状況でした。
しかし,パウロは喜んでいました。
☆
「注ぎの供え物」とは,
旧約聖書における供え物の比喩にして,
パウロの殉教を指しています。
「注ぎの供え物」については,
旧約聖書の民数記に
次のように書いてあります。
☆
(民数記15:10)
「また注ぎのささげ物として
ぶどう酒二分の一ヒンを
ささげなければならない。
これは主へのなだめのかおりの,
火によるささげ物である。」
☆
イエスも十字架の死の前に
次のように語ります。
イエス・キリストには,
喜びがあったのです。
☆
(ヨハネ15:10)
「わたしが
これらのことをあなたがたに話したのは,
わたしの喜びがあなたがたのうちにあり,
あなたがたの喜びが
満たされるためです。」
☆彡
(ピリピ2:12-18)
「そういうわけですから,
愛する人たち,
いつも従順であったように,
私がいるときだけでなく,
私のいない今はなおさら,
恐れおののいて
自分の救いを達成してください。
神は,みこころのままに,
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ,
事を行なわせてくださるのです。
すべてのことを,つぶやかず,
疑わずに行ないなさい。
それは,あなたがたが,
非難されるところのない純真な者となり,
また,曲がった邪悪な世代の中にあって
傷のない神の子どもとなり,
いのちのことばをしっかり握って,
彼らの間で世の光として輝くためです。
そうすれば,私は,
自分の努力したことがむだではなく,
苦労したこともむだでなかったことを,
キリストの日に誇ることができます。
たとい私が,
あなたがたの信仰の供え物と
礼拝とともに,
注ぎの供え物となっても,
私は喜びます。
あなたがたすべてとともに喜びます。
あなたがたも同じように喜んでください。
私といっしょに喜んでください。」
☆
(ガラテヤ5:22,23)
「御霊の実は,
愛,喜び,平和,
寛容,慈愛,善意,
忠実, 柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。」
聖書の話は,喜びで貫かれています。
○
目標
(ピリピ3:13,14)
「兄弟たちよ。
私は,自分はすでに捕えたなどと
考えてはいません。
ただ,この一事に励んでいます。
すなわち,うしろのものを忘れ,
ひたむきに前のものに向かって進み,
キリスト・イエスにおいて
上に召してくださる
神の栄冠を得るために,
目標を目ざして
一心に走っているのです。」
「上への召し」とは,
主の再臨のときのことです。
このとき,
イエス・キリストを信じる者は
「神の栄冠」を得ることが出来るのです。
○
貧しさと豊かさ
(ピリピ4:12,13)
「私は,
貧しさの中にいる道も知っており,
豊かさの中にいる道も知っています。
また,飽くことにも飢えることにも,
富むことにも乏しいことにも,
あらゆる境遇に対処する
秘訣を心得ています。
私は,私を強くしてくださる方によって,
どんなことでもできるのです。」
(2コリント8:9)
「あなたがたは,
私たちの主イエス・キリストの恵みを
知っています。
すなわち,
主は富んでおられたのに,
あなたがたのために貧しくなられました。
それは,あなたがたが,
キリストの貧しさによって
富む者となるためです。」
2つとも使徒パウロの言葉です。
イエス・キリストの富と貧しさは,
神と人,
十字架と復活に通じるものがあるようです。
私たちもこの貧と富の中を
生きているのかも知れません。
貧しいときも主を見上げ,
その中にある真実を見つけたいと思います。
聖霊は,わたしたちが貧しいときも
働いてくださるからです。