東京都及びその周辺は再開発が進み、特に山手線のターミナル駅はコンクリートジャングルになった。古き良きゴチャゴチャ感があった渋谷も開発ラッシュである。恋文横丁は40年前にマルキューが出来た時に潰され、迷路のような東急東横店東館も、いろいろな思い出がある東急プラザもとっくに跡形もなくなっている。コンクリートはもう結構だ。木のぬくもりがほしいと、黒川温泉とか湯布院とか秋保温泉とか山代温泉とか熱海秘宝館とかに行ってきた。が、いつも温泉旅行に行けるわけじゃない。それなら近くの鎌倉だろということになった。
別に鎌倉なら日帰りで十分だが、あまりに近いのでそういえば宿泊をしたのははるか昔だ。大学生の時に、ダッシュボードに小さなヤシの木が立っている大宮ナンバーの愛のアコード(赤のハッチバック)の窓を全開して山下達郎かユーミンか初期のサザンオールスターズとかをカセットテープで大音量でかけながら、隣に乗っている女子大生にシャワーでも浴びていかないかとか、逗子マリーナの方から昇る朝日を君と一緒に見たいんだとかテキトーな事を言って材木座海岸の近くのラブホテルに泊まった以来かもしれません(ってとても長いな)。要はピカピカのものはもういいよと。こんなホテルニューカマクラみたいな築95年の建物に泊まってみたいと思うような歳になったってことだ。
大正時代、ホテルニューカマクラが建つ場所には、京都の料亭「平野屋」の支店があったが営業不振となったため母屋を交ぜた三、四棟を避暑客の貸間として利用していたとされる。関東大震災で平野屋は崩壊し翌年(1924年・大正13年)「山縣(やまがた)ホテル」としてホテルの再スタートを切った。そして平野屋の貸間時代には偶然隣り合った棟を借りた芥川龍之介と岡本かの子(岡本太郎の母)が出会ったなどといったラブロマンスもある。その後戦争を挟み様々な変遷があったようだが、建物自体は改修を重ねたとはいえ大正時代そのもののままだ。重要な建築物ということで鎌倉市重要建築物の指定を受けている。と、このような筋金入りの歴史ある建物なのだ。
玄関の扉を開けると目の前にレッドカーペットの階段が広がる。右側のフロントらしきカウンターでキャッシュオンリー前払いのチェックインを済ませて鍵を受け取る。そして階段を登るのだがこれがすごい。なんか段が沈み込む感じ、柔らかい床材と言ったらいいのかとにかくクッションが効いて沈み見込むのではなくとにかく異様で壊れそうな柔らかさ。そしてギシギシギシギシと登るだけで音が鳴り、ホーンテッドマンション感覚だ。こんな感じどっかであったなと思ったら、円山町のホテル街にある名曲喫茶ライオンを思い出した。あそこもギシギシしていて壊れるのかと思った場所だ。
2階に上がると廊下にソファーがありなぜか背後にステンドグラス。何かと思ったらトイレと洗面所だった。そういえば部屋に風呂もトイレもなしなのだ(重要建築物の旧館のみ、新館はバストイレ付き)。予約した部屋は「小町」。ツインルームだが潰されたドアがもう一つあり、二部屋をぶち抜いた部屋らしい。ただでさえ狭いのに、この面積が昔は二部屋分とは一個がどれだけ狭かったのだという話。窓は下から上に開けるいかにも大正時代の洋館といった趣。外観もそうだが、内装もまさに大正である。いい感じだ、いい感じに古い、ワクワクしてくる。なんだか孤独のグルメのご飯を前にした井之頭五郎のようにニマニマしてくる。
外出時は鍵を預けることもなく、夜中も玄関は開いたまま。フロントに人がいるわけでもないし割と物騒だ。廊下に出ると隣の部屋のテレビの声や会話は丸聞こえだし、1階なら2階の部屋の足音も気になる人は気になりそうだ。1階に2カ所お風呂があるが、全く家の風呂と同じサイズ。入浴中の札を出して中から鍵をかける。空いていれば自由に入れるシステム。朝食付きのプランはなくすべて素泊まり。「小町」はツインで15,000円。他にはもっと狭い部屋や、内装に凝った部屋もあるらしい。
壮大な歴史の裏付けのある大正浪漫なホテルでした。露天風呂付きの離れ個室の温泉宿も良いけれど、重要文化財に泊まるのも気持ちが安らぐ。それはやはりコンクリだらけの街に疲れ切ってしまったからではないだろうか。黒川温泉街は観光カリスマが全体景観をコントロールして、いわば作った木のぬくもりだ。それはそれであまりにも良くできていて良いのだが隙がなさすぎる。ホテルニューカマクラはどうだろう。本当にいい意味で古いのだ。もちろん耐震工事や、見えない部分での補修、当たり前だが清掃関連はしっかり出来ている。しかしそれは隙だらけの木のぬくもりなのだ。本当の昔のものはきっと完璧じゃない。このホテルで本当に心が落ち着けたのは、背景の歴史が本物だからだ。もう一度行ってみたい宿がまた一つ増えた。
←次回はかいひん荘鎌倉の予定ですがいつになるかはわかりません
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