あ~~~ぁ・・・寒い~~
いやいや、この雪の中、足が冷たくて・・・ けど、此処まで来たのだから、何か撮って帰らないとね
大正ロマン館を出まして、ほんの数百メートルで、篠山城跡なんですが、足元が悪いので、じわりじわりと。・・・
せっかくなんで雪のある風情でも楽しみながら・・・顔に雪が・・・なのでジャンバーの風土を被って歩くのだ。
何か、風情ある門が見えてきました。
何か分からずでした。(笑) お城目当てなんで!
此処は、東北地方ではありません。兵庫県ですから!
これだけ降れば、逆に情緒豊かな感じがしますね。
前方に見えてきたのが、篠山城跡です。足が冷たいです。
どうです?このシーンは? 手前にあった池です。
お城の前に着きました。雪化粧が何気なくいい感じです。
その右手を撮って見ました。
お城から向かって反対正面。真白。マラソン準備に取り掛かる作業されてる方が2人おられました。ご苦労様です。
面積が5万坪もあったんですね。
左右の城壁を背景に角度を変えて撮影です。
これは、お堀。その周りは、こんな雪化粧。かなり積もってますよ。カラオケのワンシーンに出てきそうな風景です。
そんなに深くなさそうな、お堀ですね。
城壁を撮ってるんですが・・・雪の中なんでわかりづらいですね。
石垣は、滋賀・近江の穴太衆によるものだそうです。自然石をあまり加工しないで積む「野面積み」と、出角は「算木積み」の工法を用いている。
入ってみましょうね。足元は滑りますよ。気持ちいいくらいに!(笑)
入ってすぐ、右にカーブしてます。なんかこんなのが好きですね。
枡形と言うそうで、大手門と鉄門との間にある侵入した敵軍の動きを妨げるための方形の広場だそうです。
雪が風情を醸し出してくれてますね。城壁に積る白い雪。いいですね。
篠山城大書院が見えてきました。入ります。
<篠山城の歴史>
頂いた資料によりますと、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、慶長14年(1609)豊臣氏の居城である大阪城の包囲と、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を迎える拠点とするために篠山盆地に築いた城だそうです。
築城工事は西日本の15ヵ国20諸侯の大名に夫役を命じた天下普請で行われ、縄張り奉行の藤堂高虎(三重県津城主)、普請総奉行の池田輝政(兵庫県姫路城主)らが指揮をとり、突貫工事により、わずか1年足らずで完成しました。ただし、天守閣は家康の命令で築かれていません。
初代城主として家康の実子である松平家重が八上城から移り、松平三家8代と青山6代といずれも徳川譜代の有力大名に引き継がれ260年余の幕藩体制のもと、篠山藩5万石の政治・経済・文化の拠点としてその役割を果たして来ました。<文政10年1827より、6万石>明治維新以後、大書院だけを残し場内の殆どの建物が取り壊されましたが、石垣と堀、馬出しなどの遺構がほとんど、その原形を残していることから昭和31年(1956)に国の史跡に指定されました。また、平成18年(2006)には財団法人日本城郭協会が選定した「日本100名城」にも選ばれています。 資料より。
てな、事で次は、この資料館の中身を御紹介しましょうね。最近、三脚は夜だけ使い、日中は持ち歩いていません。全部、手撮りです。夜間は三脚を使ってますが、今までの分、すべて手撮りです。
今日も訪問有難うございます。
*このブログ「情熱親父の心晴天Part2」の写真・文章・記事全ての無断転載・コピーは、一切、固く禁じます。ブログのサブタイトルにもありますように著作権は管理人にすべてあります。御理解、ご了承くださいませ。
にほんブログ村 元気の源。ランキングに参加してます。応援ポチ3つ押して頂けますと更新の励みになります。宜しくお願い致します。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ