情熱親父の心晴天!Part2

風景・イベント・ポートレイト・花・・・etc 何でも好きに撮ります。気ままな中年オヤジです。

2015 沖縄一人旅シリーズ その1

2015-02-23 00:00:00 | 沖縄関連記事

ハイサイ~

行って来ました「沖縄県」 今回は3泊4日の旅。

いや~ぁ、暑かったね。

 

19日から行ったんだけど、「旧正月」だったんですよ。

「謹賀新年」とか、普通に見たよ。なんか・・・変な感覚になったね。

 

良い時に来たね。写真もたくさん撮ったので、2ヵ月ぐらいかけて毎日少しずつ、投稿して行きますね。

南部、北部と、島唄ライブと・・・充実した沖縄旅行をご紹介しましょうね。

では、初日目のフライトから、「ひめゆりの塔」へ行った模様からね。

                                 那覇空港に到着間近。綺麗な海だね。

空港へは、ブログ友達の「ノリーダヨさん」ご夫妻が、迎えに来てくれました。

「ノリーのスローライフ」 ブログURL http://noriislow.blog.fc2.com/ 覗いてみてね。

で、早速、ひめゆりの塔へ27年ぶりに向かいます。

             すっかり変わっていて、驚きました。昔は、ここに無縁仏が並んでいて、衝撃を受けた記憶があります。

 

看護要員として戦場に動員され、亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔です。ひめゆり平和祈念資料館には、ひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品や、ガス弾によって多くの犠牲者がでた伊原第三外科壕が実物大で再現されており、ひめゆり学徒隊について学べる場となっています。

ひめゆりの名の由来

平和祈念資料館によると、沖縄県立第一高等女学校を「乙姫」沖縄模範学校女子部を「白百合」と名付けられていたそうです。その両方の名前を合わせて「姫百合」と名付けられ、ひらがなで「ひめゆり」と使うようになったそうです。

 

 

                             今でも、こうして戦没者への祈りを千羽鶴に・・・・

 

沖縄陸軍病院第三外科壕跡

慰霊塔の前に穴があいている洞窟が沖縄陸軍病院第三外科壕跡。
洞窟や壕のことを沖縄の方言で「ガマ」と呼ばれています。ひめゆりの塔が建っているガマ(写真中央の穴)には当時、ひめゆり学徒を含む病院関係者や住人などおよそ100名がいたそうです。解散命令後の6月19日に米軍のガス弾攻撃を受けて80人余りが亡くなられたそうです。

当時、薄暗い狭い壕の中で大勢の負傷した兵隊のうめき声が響く中、必死に看病するひめゆり学徒、そして必死に生き延びようとする住人がこの壕の中で共存していたのです。もし、自分が当時の兵隊だったら、ひめゆり学徒隊だったら、住人だったらと考えるとどう思うでしょうか。

こちらが、資料館になります。撮影は禁止されれます。見学しましたが・・・当時の戦跡が展示されてました。印象は・・・う~ん・・・「ぬちどう宝」が一番大切だと、改めて感じたことと、平和ボケしてはいけない。この事実を、何時までも伝えて行くことが大事だと感じました。

 

さぁ~沖縄シリーズこれから毎日続くんで、ゆたしくうにげえさびら~。

今日も訪問有難うございます。

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