今から10年以上前になりますが、茨城県東海村でのJCO原子力臨界事故を覚えている方はいらっしゃるでしょうか。
あのとき、我が家は屋内退避区域内でした。幼い子どもたちを抱えて、怖くて怖くて。
当時、我が家のネット環境は、パソコン通信(Nifty Serve)からインターネットに移行するかしないか、そんな頃でした。
家から出られずネットに頼るしかなかったけれど、当時のインターネットは今からは想像ができないほど、限られた割合の人にしか利用されていませんでした。ニュースも遅かったし、有効な情報よりも、デマやおもしろ半分の、不謹慎という言葉で済まないような書き込みがほとんどで、人間不信になりそうでした。(そのとき初めて2ちゃんねるを知ったのだったな)
それを思うと、今、こうして地球の裏側からでも、日本と同じ、いや、被災地よりもはるかに多くの情報を得ることができているのは幸いです。でも、やっぱり肝心の被災地に情報が届くのは最後なんですよね。それは変わりようがない。
当時ありがたかったのは、情報を持っている外の誰かがemailで連絡をくれることでした。今回は、被災地でかろうじてケイタイが使える知人に、こちらで得た、道路状況や水の配給開始の情報を伝えることができました。どんなに微力でも、少しでも。
自分が被災者の立場のとき、中には、事故のニュースの地名で私を思い出してemailをくれても、最初に「大変だね、大丈夫?」とお見舞いで始まるものの、すぐ「この前○○に会ってさぁ~」…と明るい雑談になってしまっている人もいて、被災地にいる当事者と外の人間との温度差に愕然としたものです。
海外にいて、難を逃れた部外者の私、せめて、そうならないように。気を付けようと思います。
そんな中ですが、Twitterにつぶやかれたいい話。ネットの自浄作用もあの頃とは雲泥の差です。
あのとき、我が家は屋内退避区域内でした。幼い子どもたちを抱えて、怖くて怖くて。
当時、我が家のネット環境は、パソコン通信(Nifty Serve)からインターネットに移行するかしないか、そんな頃でした。
家から出られずネットに頼るしかなかったけれど、当時のインターネットは今からは想像ができないほど、限られた割合の人にしか利用されていませんでした。ニュースも遅かったし、有効な情報よりも、デマやおもしろ半分の、不謹慎という言葉で済まないような書き込みがほとんどで、人間不信になりそうでした。(そのとき初めて2ちゃんねるを知ったのだったな)
それを思うと、今、こうして地球の裏側からでも、日本と同じ、いや、被災地よりもはるかに多くの情報を得ることができているのは幸いです。でも、やっぱり肝心の被災地に情報が届くのは最後なんですよね。それは変わりようがない。
当時ありがたかったのは、情報を持っている外の誰かがemailで連絡をくれることでした。今回は、被災地でかろうじてケイタイが使える知人に、こちらで得た、道路状況や水の配給開始の情報を伝えることができました。どんなに微力でも、少しでも。
自分が被災者の立場のとき、中には、事故のニュースの地名で私を思い出してemailをくれても、最初に「大変だね、大丈夫?」とお見舞いで始まるものの、すぐ「この前○○に会ってさぁ~」…と明るい雑談になってしまっている人もいて、被災地にいる当事者と外の人間との温度差に愕然としたものです。
海外にいて、難を逃れた部外者の私、せめて、そうならないように。気を付けようと思います。
そんな中ですが、Twitterにつぶやかれたいい話。ネットの自浄作用もあの頃とは雲泥の差です。
こういうときだからこそ、「日本のいいところ」がいっぱい発揮できるといいね。
メールも電話も、送っていいのかどうか、今回すっごく迷いました。
先々月、被災した側だったけど、メールも電話も受け取ってすごくうれしかったし、心強かった。
そして復旧した後に、「メールしたかったけど、返事も大変だと思って敢えて我慢していた」って連絡をもらったのもとっても嬉しかった。
それにしても今考えると、あの時の私の「被災」は笑っちゃうレベルでした(※真っ最中にも、まったく「被災している」という意識はありませんでしたが)。
洪水→サイクロン→ニュージーランドの地震→そして今回と、私の周りで絶え間なく災害が発生して、規模もどんどん大きくなることにやりきれなさを感じています。
自分にはいったい何ができるのかなぁ?とそればかり考えています。
Twitterの日本人は宗教心は薄いけど道徳心があるって、大きく頷いちゃいました。
さっきボイスにも張りましたがこれ役に立つかな、、
土浦は先ほど水道復旧しました。
電車はまだ取手~いわき間は止まっています。水郡線もとまっています。
いい話、泣けますね。
この災害で地元の近所の人たちの結びつきが強くなったように感じます。
つくば市のライフラインは復旧したそうです。
私も大勢の人達と青梅街道を歩き続けてる最中に、ふと「夜のピクニック」というタイトルが頭に浮かびました。そんな場合じゃないし、明らかに場違いなのに。
でもみんな粛々と歩き続けていて、道を教えあったり道中知り合った人と情報交換してたりしてました。
パニックになりそうな雰囲気は欠片もなかったです。
逆に言えば、あれだけ揺れたにもかかわらず、東京は幸運にも冷静さを残せる程度で済んだんですね。
東北の激甚被災された方々に少しでも早く安堵と笑顔が戻りますように。
ああ、よかったです。良かった~~~~~~(涙)
今も同じ日本で起こっている事象とは未だに信じられません。
我が家は横浜で、最初が横揺れから来たので、大きいけど震源地は遠いと思いました。
以前にも一度あったような気がしますが、震度5かと思ったのはほぼ正解でした。
被害は花瓶2つと、植木鉢3個。
家具の支え棒は大変有効で、あれがあると中の物にも被害はありませんでした、テレビの下につけてあったスベラーゼなるものも有効で、近頃の薄型テレビには必需品です。
ただ子供達は帰宅困難者になりまして、長女は停電となった社内でお泊り、次女は社用で出ていて、結局新橋の地下街で夜を明かすはめになりましたが、携帯メールの遣り取りができたので、不安はありませんでした。
地元(離れてはいますが)の話ですし
不安になった事を覚えています。
今回はどうなるのでしょうか?
地震、津波で被災し、更にに原発問題。
便利な世の中も、蓋を開けてみれば安心しきれない
不安定な上に成り立っているのですね。
正しい情報と、暖かい環境を、
そして一刻も早い解決を願ってやみません。