菅が「辞任」を口にした、しないの議論は面白い。鳩山に至っては、「ウソはよくない」と憤慨する。全く幼稚な茶番劇、いやそれ以下である。菅が「嵌め」、鳩山が「嵌められた」のは誰の目にも明らかである。だから我々国民は警告したのだ、「菅には天性の悪の才能があり、用心せよ」と。
しかし、悔しがるのはまだ早い。「毒には毒」で対抗しよう。「一国の最高責任者が辞任をほのめかした以上、その地位にどどまり、責任を全う出来るはずがない」という論理を押し進めれば良いのである。辞任を事実口にしたかしないかは問題ではない。重要なのはそれを全世界に向けてほのめかした、という事実で十分である。注意してほしい。総理の職にとどまるか否かは本人が決めるのではなく、周囲が決めるものだということである。周囲に背を向けられて長く権力にとどまれるわけがない。周囲の閣僚達の「権力欲」をうまく利用する事だ。表面上、菅の忠犬のように見えても本来政治家は面従背反である。辞任コールが国民的におこれば、連中はみなその気になる。その方が彼らにとって利益になるからだ。
嵌められたのなら、嵌め返そう。何も気づかない振りをして、「菅は終わった」という態度をとろう。大衆の力をうまく利用することだ。悔しがり「俺たちは嵌められた」などと口にするのは愚の骨頂である。
しかし、悔しがるのはまだ早い。「毒には毒」で対抗しよう。「一国の最高責任者が辞任をほのめかした以上、その地位にどどまり、責任を全う出来るはずがない」という論理を押し進めれば良いのである。辞任を事実口にしたかしないかは問題ではない。重要なのはそれを全世界に向けてほのめかした、という事実で十分である。注意してほしい。総理の職にとどまるか否かは本人が決めるのではなく、周囲が決めるものだということである。周囲に背を向けられて長く権力にとどまれるわけがない。周囲の閣僚達の「権力欲」をうまく利用する事だ。表面上、菅の忠犬のように見えても本来政治家は面従背反である。辞任コールが国民的におこれば、連中はみなその気になる。その方が彼らにとって利益になるからだ。
嵌められたのなら、嵌め返そう。何も気づかない振りをして、「菅は終わった」という態度をとろう。大衆の力をうまく利用することだ。悔しがり「俺たちは嵌められた」などと口にするのは愚の骨頂である。
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