日頃、企業のサイトをみると社会的責任を果たすとどこでも謳われている。世界のトップ10をみても、例外はウォーレン・バフェットのバークシャーハサウェイだけである。
規制も無いのに、企業が例えばクリーンエネルギーの促進(もちろん割高)に協力しようというのは一体何故なんだろう、
「株主を考えるならそんなことはすべきでない」と正面から述べるバフェットの方が本音で話しているようにも思うが、繰り返し宣言するj.p.morganのジェイミー・ダイモンは本気で言っているようにも思う。
規制と企業の社会的責任についてのこの問題は、規制の進むべき方向がここに秘められていると感じるからだ…コリン・パウエルの自伝からは、かつては黒人差別をすることも企業の自由だったアメリカの様子が窺われる。
もしも企業の社会的責任(SDGsやらESGやら)が本当に政治的支持を得て、社会がそれを規制として取り入れる用意ができるなら、それは規制になるはずだ。
ということで、理念が規制化されるプロセスとその進捗をざっと調べたので以下に記す。
(規制化プロセス)
①あるべき原則として政治的に支持を広く受ける
②国内で規制化の気運が高まる
③企業の現実がその受入に経済的にできるようになる
(進捗)
・日本国内ではパワハラが法的規制を受けるようになった。(
記事)
・日本国内では性的差別は既に男女雇用機会均等法によって規制されている。
・ESG投資はそれほど厳しくない。元締めの組織であるPRI(責任ある投資)では、投資の半分超で意識されていれば良いルールである。(
サイト)
・先に出たバークシャーでも、大株主にはPRIに署名しているバンガードやブラックロックが名を連ねている。
現在、金融機関が引き締めてESGを促進することはまだ困難かと思われる。利益が出る企業であれば、原則として資金は集まるだろう。再生エネルギーや省エネなど、ほとんどすべての企業が努力をアピールできるものだ。(なるべく飛行機を使わなくして二酸化炭素の抑制に努めている、など)
パワハラはなぜ公法上の規制になったのか考えると、これは民事判例の推移をみて、豊かさの裏返しだと考えるのが妥当だ。
戦後の判例には貧しさ故の食物等を巡る争いもあったが、今はより精神的な事由によっているという仮説だ。体育会系のしごきが否定される時代にあって、しっかり調べたら仮説は立証可能と思う。
以上から、規制は金融のグローバルな取り組みによらず、国内の判例の地道な蓄積によって次第に発展していく、とみるのが妥当だと思われる。
今回の法律の話ではなくより一般的かつ広範なプロセス改善を述べた本