ケイの闘病や介護録

病気の記録や家族の介護の記録など

兄は美味しい人? 8

2022年03月06日 | 兄の介護

兄が週2回の生活介護を再開した頃

私が出勤前に準備を整えていても

お迎えの車が来た時、兄がまた寝てしまっていたり

着ていた上着を脱いでしまっていたり

トイレに長時間入っていたり

突然「行かない」と言ったりして

お迎えの職員さんを困らせていました。

 

そこで、居宅介護(ヘルパーさん)での送り出しの支援を

担当の相談支援専門員さんに提案しました。

送り出しの支援とは

生活介護のお迎えが来る前に

ヘルパーさんが自宅に訪問し

本人の排泄を済ませたり身支度を整えたりし

荷物の確認も行います。

また、本人が利用をためらっている場合は

上手に利用への促しをして

スムーズに外出できるように支援するサービスです。

介護保険でもこの様な支援を行い

デイサービスの利用に合わせてプランを組む事があります。

 

私の提案に相談支援専門員さんの返答は

「居宅介護は使えません」と一刀両断。

何故???

お迎えの車が来る頃の時間帯は

夫は仕事が忙しくて手が離せない。

不在になる事もあります。

私はすでに出勤して不在。二人とも兄に関われないのです。

例えば、普通の家庭で家族が家にいても

この支援は受ける事ができます。

なのに理由も言わず拒否です。

 

結果的には相談支援専門員さんの事業所を変更し担当者が替わりました。

もちろん、居宅介護の利用はでき、

生活介護のお迎えの問題はなくなり

スムーズな利用が出来るようになりました。

 

後で思った事ですが、あくまでも私の想像ですが

あの相談支援専門員さんは、家族が兄の介護に手を焼いて

入所の決断を早くすればいいと思ったのでしょう。

 

実は、兄が退院した事を報告に行った時

「お兄さん、入所しませんか?今なら空きがありますよ」と言って来ました。

そんなに簡単に入所できるのかと不思議に思っていると

「お兄さんは美味しい人ですからねぇ施設としてもありがたいのです」と

 

この相談支援専門員さんの言葉の意味、わかりますか?

兄の支援区分認定は重い、だけどその割には体も動くし理解力もある

手が掛からない割に施設の収入が多い・・・と言う事です。

 

母が急死して夫も兄も気持ちが沈んだまま

日常生活をやっとの思いで過ごしてる。

そんな時に入所の提案、しかも「美味しい人」発言。

当時、私は何に対する涙だったのか分かりませんが泣きながら

「今、夫や兄に入所の話しなんて出来ません」

「母が亡くなって悲しんでいるのに、夫も兄を施設に送り出す事なんて

おそらく2~3年は出来ないと思います」とお断りしました。

 

この相談支援専門員さんにとっては美味しい兄ですから

家族が在宅介護をさっさと諦めて

早く施設に入れればいいのにとでも考えたのでしょう。

後に兄は美味しくない人になるのですが・・・


障がい福祉・介護保険の利用開始は余裕を持って 7

2022年03月06日 | 兄の介護

兄の介護の話はまだ途中ですが

今までの記事の中で私がお伝えしたい大切な事を記載します。

 

それは障がい福祉サービス・介護保険サービスのどちらにも言える事ですが

本人・家族共に余裕がある時に利用開始をしていただく事が大切です。

 

1、申請から認定結果が出るまでに時間がかかります。

 およそ1か月~1か月半。

 サービスの利用開始は認定後になります。

 介護保険の場合、まれに結果が出るまでに緊急で利用開始する場合がありますが

 見なし介護度でプランを立てるので決定した介護度が違って

 金銭的問題が発生する恐れがありますし 

 見なしではショートステイの利用は出来ません。

 

2、サービス利用開始時は、本人に大きな不安が伴いますが

  家族に何かが起きて急に利用開始すると

  家族の気持ちの不安定さが本人に伝わり

  本人の不安はさらに大きくなり

  新しい環境に馴染みにくくなる恐れがあります。

  家族も本人に対して精神状態を推し量る余裕も失っている可能性もあります。

  なので、家族や本人の生活や精神状態が安定している時にこそ

  利用を開始する事が望ましいと思います。

 

3、余裕のある利用開始ができれば

 サービス事業所や施設等を選択する時間が取れます。

 見学をしたり話を聞いたりして

 本人に合った事業所や施設を探す事ができます。

 

4、サービスの利用では事業所や施設等に

 本人の状態を理解してもらうのに時間がかかります。

 例えば病状・体調の変化・好きな事・嫌いな事等

 それらを理解してもらえる事で適切な介護を受ける事ができ

 本人も安心して過ごせるのだと思います。

 

兄の場合、障害者支援区分の認定だけでも受けていたので

母の入院前に素早く生活介護の利用を開始する事が出来ましたが

もし申請の手続きから初めていたら手術までに間に合いませんでした。

 

兄は家族に見守られながら利用開始ができ、

母も兄が機嫌よく生活介護に通う姿を見ていたので

安心して入院できた事は幸いでした。

ただ、母の容体が急変し一度しか利用していない

ショートステイがロングでの利用になり

てんかんの発作が増えて兄も入院となった事は

ショートステイの利用に慣れていれば防げた事かもしれないと思いました。

 


母の他界から退院直後の兄 6

2022年03月05日 | 兄の介護

兄の入院中に母が他界しましたが

精神科の主治医が兄の精神的ショックを考慮し体調が回復してから

先生も同席の上、入院中に伝えようと提案して下さいました。

主治医・兄・夫・私の4人が面談室に集まり夫から兄に伝えました。

「死んだんかぁ・・写真になっちゃったんか・・」と言いながら

少し涙を流しましたが取り乱すことなく落ち着いて聞いていました。

兄に伝えたのは母が亡くなってから一ヶ月たってからだったので

その間に「母ちゃんはどうなんだ?心配だよ」と言っていましたから

兄なりにおかしいと気付いていたのかと思います。

 

その後も兄は入院中に体調や精神状態が悪化する事なく

母の四十九日を終えてから退院し家に戻りました。

仏壇の前で兄は母のいない現実を目の当たりにし

かなりショックを受けた様子でした。

三人の生活が始まり兄は日中、週2回の生活介護の利用から再開しました。

 

入院中に服薬調整をされていたようで、かなりの向精神薬が減っており

夫が「ドカンと来るぞ」と言っていました。

昔、病院を替わった時、1から薬の調整をする為に飲んでいた薬を

一気に減らしたそうですが

兄の感情の起伏がかなり激しくなって大変だったとの事。

 

そして夫が恐れていた事が起こりました。

寝ないで深夜も部屋中をウロウロする。

(眠剤を飲んでも丸三日間、一睡もしなくても目がランランとしていた)

常にイライラして怒り出す。

(この時は人相まで変わって別人の様に怖い顔をしていました)

普段はしないのに、お風呂に入ろうして時間帯をかまわず沸かしだす。

(お湯の調整が自分では出来ないので火傷の恐れがある)

通所介護にも行かないと言って着替えようともせず動かない。

(休みがちになり、行ってもコップを手で払って落としたりして不機嫌)

 

精神科の受診同行は母から私に替わっていたので

主治医に状況説明しながら徐々に薬を戻してもらいました。

完全に前の薬に戻るまで三か月はかかりました。

薬の必要性を伝える為に、カレンダーを作成し睡眠状態や

感情の起伏を色塗りして一目でわかるように工夫しました。

 

兄は若い頃からかなり強い薬を飲んでいました。

だから常にボーっとした感じです。

でもそれが兄には必要だったのです。

入院中体調が安定して来ると兄が日に日にシャキッとして

動作もキビキビ、受け答えも早くなり

まるで別人の様になって行きましたが

それは薬が少なくなっていたからだったのです。

退院時の処方箋を見て初めて知りました。

眠れないし常にイライラする。それは

介護者が困ると言う問題だけではなく

兄自身が辛い状態なのです。

 

別の機会に記事にしますが

私の母は認知症で薬の調整が整うまで

かなり怒りっぽくて大変でした。

母の主治医から「怒ると言のは、かなりのエネルギーを使うし

 本人にとっては辛い事なんですよ」

そう言われて、はっとした経験があります。

本人の為にもイライラせず穏やかに過ごせる事は大切なのです。

けして、介護者の都合だけの問題ではありません。


障がい福祉サービス利用開始 5

2022年03月04日 | 兄の介護

私が夫の家に嫁いだ時は

兄は障がい福祉サービスを何も利用していませんでした。

それどころか申請して良い物も全くしていない状態。

夫も母も知らなかったそうです。

1、障がい者本人の通院等で必要とする車の税金免除

  その車を買い替える場合の税金も免除

  これは夫の車が対象になります

2、介護者家族に対して支給される介護手当

 

障がい福祉も介護保険もそうですが

申請主義と言って、自ら申請しないと何もしてくれません。

必要な人に情報が届いていないのが現実です。

当時対象となった 1・2 をすぐに申請し受理されました。

そして、家族とだけしか関わりのない兄を

生活介護(介護保険で言うデイサービス)に通う事を私から提案しましたが

「家族で介護が出来ているのに・・・」と却下

しかし、必要になった時にすぐに利用開始できるようにと

障害支援区分の認定だけは受けてもらいました。

これが後に役立つのですが。(^^;

 

何もサービスを利用せず6年が過ぎた時

母の大腸がんが発覚。手術が必要になりました。

私は日中、勤めに出ているし夫も自営だけど手が離せない時間帯があり

兄の生活介護の利用が急遽必要になりました。

母の入院までにサービス利用が開始され

兄は家族の心配をよそに楽しそうに通うようになりました。

 

母の手術の日、兄は一泊のショートステイを利用しました。

生活介護と同じ施設でしたので問題なく泊まる事ができました。

 

母の入院は2週間の予定でした。

術後、経過もよく体力回復の為に廊下を歩いたりしていましたが

状態が急変し他界しました。

大きな脳動脈瘤があり、それが破れて出血していたのです。

動脈瘤があった事は本人も家族も全く知りませんでした。

先生曰く「これだけ大きな動脈瘤は普通、どこかの神経を圧迫し異常が出て来てわかるのだけど、

何も影響しない場所だったから大きく育っていたみたいだ」との事。

今まで無症状だった事や破裂しないで元気でいた事が不思議なくらいだったのです。

母が突然意識混濁状態になり、この先どうなるのか分からない状況になり

兄にはまたショートステイを利用してもらいました。

今度はいつ帰れるか分からないロングでの利用です。

兄には「お母さんの具合が悪いから」とだけ伝えましたが

本人も不安だったのでしょう

てんかんの発作を繰り返すようになり兄も入院となりました。

兄の病院と母の病院が同じだったことは唯一の救いでした。


私が同居時の兄 4

2022年03月03日 | 兄の介護

私と夫は再婚同士です。

17年前、母71才・兄49才・夫45才の家族に、私47才が加わりました。

私が嫁いだ時、兄はトイレ・食事・更衣動作等は見守ればほぼ自分で行えていました。

しかし、正しい判断ができず危険が伴う為

介助や誘導が必要で、一人にしておけない状態でした。

母は常に兄のそばにいました。月に一度の兄の受診も母が付き添っていました。

薬が良くなったのか、その頃はてんかんの発作が起こっても短時間横になるくらいで

ドタンと倒れることもその頃にはなくなっていました。

家族4人で日曜日には近場ですがよく車で出かけました。

公園に花を見に行ったり、買い物やラーメンを食べに行ったり

兄はラーメンが大好きでしたから (*^_^*)

時々、攻撃的になる事はありましたが

母も私も即、夫にSOSを出して収まりました。

兄は夫には絶対に手を出しませんし大人しくなります。(^^;

後からわかった事ですが兄のてんかんは「側頭葉てんかん」で

突然イライラし攻撃的になり人格や人相まで変わったようになるのは

結局てんかんが原因だったのです。