昨日の夕方、たまたまテレビを見てたら、首相の“談話”とかがリアルタイムで中継されてて見てた。
「ああ、そうか、戦後70年の談話、今日って言ってたなあ」と。
首相が登壇して(あいさつなどもなく)いきなり“談話”を話しだしたのも驚いたけど(笑)、長くても、考えに考えた原稿のようで、首相自身があまり下を向かず、覚えたのか、カンペなどがあるんか、ほとんど前を向いて話してるのが印象的ではあった。
その内容はともかくとしつつ、夜のニュースでその談話についても当然大きく取り上げられてて、それも軽く見た。
今朝は今朝で、他国の反応とかも報じられてて、それに俺個人として思うとこもあり、今日もここに書いてみようかと。
まず、なんか、その談話が、「試験の記述問題の解答かなんか」のように、「このコトバが入ってた、こういう表現が言われていた」と、そこで部分点でももらえるかのような(笑)、そんな指摘が多かったこと。
コメンテーターとか評論家のいろんなダメ出しやら評価やらありつつも、実際に「国のトップ」として世界に発信する談話である以上、内容としては無難なものにしないといけないもので、作った人の苦労も俺はあるとも思う。
そこで、ニュースでは「このコトバが入ってましたね」なんて、ご丁寧にフリップみたいなんも使って、そこだけ赤字にしたりして、詳しく解説もしてたり、彼らもそれが仕事なんだろうけど、俺は見てて「しょーもない」ようにも感じた。
必死に読み込んで解説するのはいいけど、聞いてた国民のどれだけがそこまで興味もったりそこまで深く理解しようと思うだろうか。
そして、よほど乱暴なことを言ってるとかこれまでの国の見解を大きく変えるというならまだしも、そういう、無難でもあり、これまでの国の考え方を踏襲するような内容なら、今さら時間を割いてさらにあれこれ言わんでもいいのではないか、とも感じた。
それだけ、“談話”という位置づけが大きいもので、まして「70年の節目だから」ということもあろうけど、当時のことだけに焦点をあてて謝るとか謝らないとか、表現が足りないとかあれこれ言い出してはキリもないだろう。
・・しかし、70年前のことで、今も、この21世紀、2015年でも、いまだに言及しないといけないというのはつらい立場でもある。
それだけ日本が(理由や経緯はどうであれ)過去に“そういうこと”をしてきたという事実は変えられなくもあり、それを反省しつつ、70年もたった今も“そういうことに触れてこういう機会に言わないといけない”とされるのは、個人的には疑問にも思うけど、それもいたしかたないのかもしれん。
それでも、日本は、ホントに反省してるからこそ、この70年、アジア各国に協力もしカネも出し(笑)、武力を使うようなことをやらずにやってきた。
それをまっとうに認めてくれない、評価してくれないご近所の国がいて普段からあれこれ指摘されたり批判されたりしてるから、どうしてもこういう機会にそういうこともいまだに触れないといけないんだろう。
この戦後70年間で、日本も自身で発展し安定させ、“罪滅ぼし”じゃないけどそれなりに世界に貢献してきた経緯はあると思う。
経済的にはもちろん、戦後20年ほどでオリンピックも開催でき、焼け野原でコテンパンにやられた戦後に一気にすんごい復興をしたと世界から見直された経緯もあると思う。
それでも、ご近所の国で「その70年以上前」のことでずっと固執、というと語弊はあるけど、そこだけのポイントで日本を評価しずーっとそういう国の姿勢、次の世代への教育の仕方、日本への態度としてやってきてるのもどうなんだろうと思わざるをえない。
確かに、「足を踏んだ人は忘れても、踏まれた人は忘れない」ということもあろう、70年前でも100年前でも、あかんことはあかん、ひどいことは繰り返したらあかん、それは変わりない、万国共通でそういうことは避けるべきでもある、時間がたったからもういいやんってことでも当然ない、でも、それでも、平和の方向で実践してきての日本のこの70年、それでもいまだにそういう国からそのポイントだけについて言われたりその時期のそのポイントだけに日本も気を遣っていかないといけないというのは、なんともやりきれん気持ちにもなる。
それよか、今回の談話でも「将来に向けて」という要素もあったみたいだけど、今がどうか、今後がどうか、が大事でもあり、日本も決してその70年前のことを忘れてはいけないけど、再度書くけど、反省もしてるからこれまでの発展し戦争も再発しなかった日本の70年でやってきたはず。
それで今の日本がありもするわけで、それでも、そんな当時の日本を取り上げて今の日本を批判しながら、急に近年になって島の領有を主張してきたり資源の開発でムチャをするような、そんなご近所の国もあるわけで、彼らは彼らでそんな自国がどうなのか、そこも俺個人としては疑問に思う。
「不幸な時代だった」と済んだ話にするわけではない、その談話でも「歴史から学ぶ」とも言われてたけど、ちゃんと学んでそれなりにやってきた日本の方が今のそういう暴論を主張する国々よりよほど“今は”まともでもあろうとも思う。
逆に、そういう日本の周りの国はそんな「歴史から学ぶ」ということはないのか。70年前に日本がやったことと現代の状況は違えど、他国に迷惑をかけるってことは、時代が変わっても自制するなり指摘されたら反省もすべきではないのか。
それはそれで、冷静になって見てみると、「自分はよくて他人はダメ」、「他人は責めるけど、自国がやってることはOKとする」っていう、ちょっと道理が通らんような今のアジアの状況のようにも思える。
人にしても国にしても、そういう「相手を批判、否定する」のは簡単でもある。
でも、少なくとも、日本は、他国への賠償から自国の復興から、戦後やってきたことはまさしく“反省”をふまえたことでもあり、それで70年やってきたことは一応でも事実だと思う。日本が戦後も懲りずに意図的に、挑発的に隣国の領海や領空に入り込むようなことをしてきたわけでもなく、自衛隊という名の武力で他国に迷惑をかけるようなこともなかった。でもそういう周りの国と噛み合わんままできてて、それでいてそんな国々からその談話でも70年前のポイントでもいまだに言われて続けてるのも、なんか理不尽にも感じる。
被害を受けたとされる国々からは日本の賠償やこれまでの貢献が不十分だという評価だから、この70年ずっとそのポイントでいまだに言ってきてもいるんだろう。それこそ、歴史認識の相違か、感覚の違いか、コトバでは言い表せんギャップがあり、それが70年間続いてきてもいる。
「もういいんじゃないか」とは言わないし、言えない。
でも、日本でももう8割の人が戦後生まれとなり、終戦から「次の次の、次の世代」で今後の世の中が動いていく時期になった。当然他国でもそうだろう。
そんななか、そういう国の教育や歴史認識とかからずーっと70年前のポイントだけで「日本」という国のイメージや印象を次の世代にまで持ち続けられるのも、それを教えてる、それで国をリードしてる人でさえもはや戦後生まれなわけで、そこもどうにかならんもんか、あとは日本に何をどう求めたいんだ、そこまで日本にひれ伏せさせるように完膚なきまでに謝罪させたいのか、とも思う。
俺は、戦時中に屈辱や苦労があり、つらいつらい思いをした人のことを軽んじて言うつもりはまったくない。
でも日本人でも同様の人がいたり、「当時の日本は暴走しすぎてた」というのは日本人でさえ思うとこもあると思う。だから日本人でも「もう戦争はやってはいけない」とも言うわけで。
俺個人のことでいうと、俺は学生のころから第二次大戦当時の歴史が興味あって、今もそういう番組があれば見るし、本があれば読んだりもするし、実際に起こったその悲惨さや、日本も他国も甚大な被害が出たことを直視しようと思う。太平洋戦争だけではなく、ヨーロッパでの戦争についてもいろいろ読んだり見たりもした。ただの物語とかフィクションではなく、70年前に実際に世界で、日本であったことで、今の平和な日本からは想像もできんことで、そこまでの極端な(よろしくなかった)日本をやはり“学ぶ、知る”ということも大事だと思う気持ちもある。
それを知らんで今の生活に支障があるかっていうと、ないだろう。原爆が落ちた日がいつか、終戦記念日がいつか、なんて今の若い人らは知らん人も多いそうだ。でもそれでやってける今の日本でもある。無残なこと、ひどいこと、人の命をなんとも思わんようなこと、熱帯の島々で飢えに苦しみながら戦ってたこと、などなど、知らんでもいい、むしろ知りたくないことも多いかもしれん。それでも、俺個人が興味ある、というか、平和が当たり前の日本にいて俺の中で大事だと思うことだから、当時の日本がどうだったか自然と興味も向くし、日本がやってきた戦争というものを知りたい、知っとかなあかんとも思う。
さらに日本の次の世代、今後の平成生まれの人らにとっては、その70年前のそういう戦争というものが、戦国時代とか江戸時代の争いのような遠い昔のイメージにもなるかもしれん。「ホントに日本でやってたの?」って。
今でこそ、まだ戦争を経験した人が存命だからこそ、リアルに当時を経験した人の話も聞ける。でも、俺のおばあちゃんもそうだったけど、時がたって次の世代になっていくごとに戦争を経験した人が亡くなっていってそういう話も聞けなくなると、将来、あの大きな戦争のことが風化されるかもしれん。でも日本は当然風化させてはいけないし、膨大な犠牲もあったからこそ100年たっても200年たってもただの昔話で終わらせてはいけなくもある。
個人的にはそう思うし、だからそういう歴史に興味もある。
よく言われる“先の大戦”という表現のとおり、日本での直近の戦争はその70年前のものであり、それ以来日本は戦争を経験してない。それに懲りたのもあるし日本もつらい思いをしたからこそ、日本は日本でできるだけのこともやってきて、その後他国に迷惑かけんように、むしろ(何度も書くけど)周りの国に貢献できるようやってきたはずでもある。
そのことと戦時中にひどいメにあった人のこととは別かもしれんけど、その後国交も回復させ、そういうご近所の国ともさかんに貿易や観光もしてきてるこの現代、どうもそのポイントだけで固執、執着していまだに日本を評価してこういう機会だけではなく普段からあれこれネガティブに言ってくる国々の姿勢が、聞いてて「そうだよな」とこちらが素直に聞けないホンネもある。
戦後70年たってもこういう東アジアの状況・・日本はそういうご近所の国からいつまでこういう“見られ方、みなされ方”をされていくのか。
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