合気道 真風会のブログ

「水」から学ぶ事。

中国の宗教「道教」の開祖と言われる「老子」は、「最上の善は水のようなもの(上善如水”じょうぜんじょすい”)」と説いています。

”上善如水(じょうぜんみずのごとし)”と言う銘柄のお酒もありますので、お酒を飲む方は、この言葉をご存知の方も多いかと思いますが、今回はお酒の話ではありません。
私も、お酒は好きですが、お酒の話は忘年会で致しますね。(笑)

上善如水とは、
”水は万物の為に役立ちながら、決して何ものとも争わない。
何ものとも争わないと言うのは、丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角くなる。
しかも水は、高い所に止まっている事はせずに、低い所、低い所へと、自らを、人の嫌がる一番低い所に身を置く。”
という様な意味です。

”何ものとも争わない”とは、まるで、”合気道”そのもののような気がします。

”高い所に止まらない”とは、”井の中の蛙のように、天狗にならず(偉ぶらず)に、常に謙虚で学ぶ姿勢を持て”と、自分に言い聞かせて、勝手に解釈しています。


私は、現在”合気道真風会”の代表であり、会員のみなさんへ合気道を教えている立場ですが、合わせて、私自身は、生涯、合気道の道を追求して行く求道者であると思っています。

やむを得ない事情により、組織から離れて、どこの流派、会派にも所属せずに”京築合気道研究会”として独立し、その後”合気道真風会”を立ち上げましたが、私は、まだまだ未熟です。

しかし、不思議な事に、組織を離れたとたん、合気道各流派の、そうそうたる先生達とのご縁が出来て、定期的にご指導を頂いております。


そんな中、私は、”水”のようにありたいと思っています。


”水”は色んな事を教えてくれます。

”流れる水は腐らない”とも言います。

だから流れ続けて行こうと思います。

”流れを止める事”とは、自分の合気道に慢心してしまい、学ぶ姿勢を無くす事だと思います。
それは、停滞ではなく、後退でしかないと思います。

常に、流れを止めずに、合気道を学ぶ姿勢を持ち続けていたいと思います。

そして、”水”が流れ続けて行けば、何もなかった土地にも、溝ができ、やがては大きな川になるかも知れません。

その川はひとすじの道となります。

”僕の前に道はない。
僕の後ろに道は出来る。”

この高村光太郎の「道程(どうてい)」の詩のように、”合気道真風会”の道が出来ていったらいいなぁと思います。

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コメント一覧

上土井
>Re 西田さん
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
いつも謙虚な姿勢でいたいものですね。
西田
ご無沙汰しております
http://hotshark.exblog.jp/
“上善如水”のお話、たいへん感銘を受けました。
おっしゃるとおりだと思います。
私もそのようにありたいと、この言葉を座右に置きたいと思います。
ありがとうございました。
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