2024/11/04

2024年11月04日 | 心に残った聖書の言葉
 ヨハネ第7章37節は言います、「祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って叫んで言われた、「誰でも渇く者は、私に来て飲むがよい。」
 祭りは何かを記念して開かれるものです。今年の夏、多くの場所で多くの祭りが開かれました。そしてその祭りにはすべて、終わりの日がありました。あるいは祭りの締めくくりの時間が設けられました。その時、楽しかったと感じる人がいれば、なんとなく虚しさを覚える人もいたと思います。主イエスはそのような時にこう言われました、「だれでも渇く者は私に来て飲むがよい」。
 人は満たされている時、「潤っている」と感じます。逆に欠乏している時、「渇いている」と感じます。もし人が渇いたら、主イエスに行くことができます。どのようにしたら主イエスに行って飲むことができるのでしょうか?また何を飲むのでしょうか?
 続く38節はこう言います、「私の中へと信じる者は、聖書が言っているように、その人の最も内なる所から生ける水の川々が流れ出る」。