今回は敗戦直後の沖縄の医療を支えた女性たちの物語だ。彼女たちの身を粉にしてという表現などもどかしく感じられるくらい、全身全霊を尽くして奮闘した様がわが心の琴線を強く強く揺さぶってきた。
敗戦から日本がいち早く立ち直れたのは、歴史学的には朝鮮戦争特需があったからだとか言われる。それに加えて、日本人の勤勉さもあったと思う。例えば、子供の目にも、母の凄まじいまでの忙しさが分かった。6人の子育て、住居難から、一時職場の数人は同居させていたし、父の父母、兄弟の家族まで同居していたのに、母がほとんど一人で切り盛りしていた。だから、当時使われだした10Wの蛍光灯がパカパカしだしているのにも気付いてもらえず、ド近眼になってしまったことも一つの証左。この母の姿こそ最良の教育でもあった、と思う。6人兄弟姉妹のうち2人まで、トップ級大進学や大新聞の記者などそれぞれ・・・
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