小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

消えゆく国鉄型車両

2006-03-09 22:12:23 | 鉄ネタなんてどうよ?
さらば国電103系、湘南電車113系も引退…Yomiuri on Line
 今月18日のJRのダイヤ改正に伴い、高度成長期のサラリーマン通勤を支えた「103系」の車両が首都圏から姿を消す。

 オレンジと緑のツートンカラーが特徴の通称「湘南電車」も引退。惜しむファンに向け、JRでは「ありがとう」のヘッドマークを付けた電車を運転するなど、さよならイベントを企画している。

 103系は、駅間が短い都市型の通勤用電車として開発され、国鉄時代の1963年から山手線を走り始めた。

 モーターの出力を高めて頻繁な加減速に対応できるようにしたのが特徴で、他の「国電」にも次々と導入された。

 生産数は、単一車両としては国内最多の約3500両に上る。電車はあずき色というそれまでの概念を変え、山手線はうぐいす色、京浜東北線は青、中央線快速はオレンジといった路線ごとの色分けを定着させたのも、この103系だった。

 しかし新型車両の登場で次々と引退し、現在は常磐線に1編成が走るだけ。その常磐線でも17日にラストランを迎える。JRでは引退後の4月、北千住―取手間での臨時列車の運転や、千葉県松戸市での車両展示会を予定している。

 一方、オレンジと緑の「湘南カラー」を塗装した東海道線の車両は、「湘南電車」の愛称で50年以上も親しまれてきた。しかし、この配色も、1964年にデビューした113系が東海道線から引退することで姿を消し、今後の同線は、ステンレスの銀色の車両にオレンジと緑の帯が入った電車だけになる。

 JRでは7日からラストランの17日まで、「ありがとう113系」と刻まれたヘッドマークを付けた車両を走らせる。

国鉄からJRに転換直後の1987年4月には、首都圏にあれだけの量を闊歩していた国鉄型103系と113系。
103系は鶴見線に一編成残っているものの、予備車なのでほとんど動く機会がなく、首都圏でお目にかかることができるのは、常磐線に残った一編成だけになった。
東海道線を行く湘南電車も残りわずか…となると、感慨もひとしお。
とはいえ、113系を見たければ幕張本郷に行けば腐るほど見られますがなにか?
103系と113系を両方見たければ京都に行くと、奈良線を走る103系と、嵯峨野線や湖西線を走る113系を見ることができる。同じ線で走っているのが見たいんだという人は、広島近辺に行けば両方とも嫌というほど見ることができる。昨年7月末のエントリで、武蔵野線を走っていた103系が西日本に渡った話を書いたと思うが、あれは編成がばらされて、一つは大阪に、運転台がついた先頭車両は広島に飛ばされたとさ。

いまや広島が、国鉄型車両の墓場と呼ばれているが、一昔前までは、房総ローカル線が113系の墓場と呼ばれ、墓場っぷりはなにも今も変わったことではない。
昔の房総各線は、1990年代初めまでは、特急と快速列車を除いたほとんどの列車に冷房がついておらず、いかにも千葉を境にして近代化から取り残されていた路線だった。車両も初期車中心のおんぼろ、真夏なんてそりゃもう、窓なんか閉めていられなかったけれど、開けっ放しにしておけば夜は虫が飛び込んでくるし、車なんかカーエアコンが当たり前のご時世に電車が非冷房だなんて、よくもまあ房総各線の人たちは苦情を上に上げなかったものだと思う。平成の御代に、安房鴨川まで高校演劇の講習会に出掛けた時、往復とも非冷房のおんぼろ電車に当たり、窓にお菓子を置いていたら運悪くトンネルに入ってしまい、電車の中にお菓子がぶちまけられたってこともあったねえ。
房総各線が113系の墓場というのは今でも変わっておらず、東海道線から転入してきた、比較的状態のよい113系が次々に房総各線に入ってきて、房総各線に残っている、房総電化(1968年~1972年)当時に投入された、113系1000番台初期車を置き換えている。結局入ってくるクルマは変わらないというわけで。

103系で思いだすのは…これも非冷房車。103系だと、山手線や京浜東北線では、編成によって全車冷房車とか前後3両が冷房車とか、両端だけ冷房車なんてのもあって、真ん中の非冷房車に乗ると人口密度が低かったからよく座れて、景色なんか見ていたっけなあ。多分車内は暑かったと思うのだが、小さい頃はそういうものだと思って親や祖父に連れられていたのではなかっただろうか。
ちなみに、103系で国鉄時代よく見られた両端だけ冷房車というのは、クーラー電源は中間電動車に積まれているので、これでは全く意味がないという代物。1990年代初めの房総各線でも冷房改造時によく見られた。せっかくクーラーを積んでいるのに、肝心の電源を積んでいないので、クーラーを積んだクルマも窓を開け放つという光景が、平成の御代に繰り広げられるとは…。まあ、古き良き思い出ですかな。

その103系。一部は遠くミャンマーに輸出されて使われている。

鉄ヲタ的には、「むさしのドリーム 東所沢」という方向幕を出したまま使われているところがミソですな。っていうか、この方向幕の意味をわかって出していたらすごいぞ現地人!!
この写真をよく見ると、電車の各ドアのあたりにステップが設けられていて、福井鉄道の逆バリアフリー電車みたい。

ああ、国鉄型オンリーの旅もしてみたいなあ…。
房総半島に行けば嫌でも成立するな。
和歌山から天王寺まで103系に乗ったしね、この前。
そんな彼らに、心の中で拍手を送ってやっておくんなまし。


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (アリ)
2006-03-09 22:55:04
ケント。鉄ネタ分かんない。

鉄ネタ禁止!!
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Unknown (安城マリーンズ)
2006-03-09 23:13:11
103系も113系も寝心地が悪いので嫌いでしたが、なくなると寂しいですな。

って言っても房総には嫌っ!ちゅうほどありますよね。

関係ないけど俺は165系が房総からなくなったときが一番寂しかったっす。
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アリ (小馬太郎兵衛)
2006-03-09 23:13:22
まあそう言わんといてくれ。
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113系 (小馬太郎兵衛)
2006-03-10 09:22:22
>安城マリーンズ様

房総から165が消えたのって、いつでしたっけ…?

1990年代初めに、冷房改造で編成が足りなくなって、余っていた165を一時的に借りてきた記憶ならあるんですが…。
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湘南カラー (はたやん)
2006-03-10 14:21:13
京阪神圏でも見なくなりました。

後継車両として、207が主流です。



ちなみに私のお気に入りは、221です。

これも、徐々に223に置き換わりそうな勢いです。



今となっては、113が快速として走っていた時代が懐かしい。
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関西の113 (小馬太郎兵衛)
2006-03-10 21:03:08
おんぼろばかりでしたねえ。

今となっては懐かしい直流モーターのうなり…。

阪和線に行けばいくらでも聞けますけどね。
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すいません正しくは… (安城マリーンズ)
2006-03-11 00:48:55
165系が消えた時、ではなく、房総急行がなくなった時、です。

俺が小学校低学年か幼稚園くらいだったと記憶しています。

165系ってより、あのヘッドマークが好きだったもんで。

『外房』とか『犬吠』とか『水郷』とか。

チビのくせに渋すぎ?
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