ツインターボを管理していた、美浦の笹倉調教師が、2月末で勇退だそうで…。
馬房埋まらない…笹倉師定年8年前に勇退 - 日刊スポーツ - Yahoo!ニュース
笹倉厩舎と言えば、やっぱりツインターボ無くして語る事なかれ。
まずは競馬の伝説の「大逃げ」シーンとしても語られることが多い、1993年産経オールカマーの映像からドゾー。
Twinturbo-All Comer - YouTube
当時はいつ行っても競馬場が混んでいて、日曜日なんかはG1レースじゃなくったって、中山や府中でも平気で入場人員が10万人は入っていた時代だから、90年代の大きなレースはほとんど生では観戦したことがないおいらの経歴にあって、唯一誇れるのが、人波に揉まれながらこのレースをゴール前で生で見ていたこと。
おいらは確か、「ツインターボに鈴を付けに行く馬がいないと間違いなくこの馬が勝つ」と思っておきながら、やっぱり実績上位でライスシャワーやシスタートウショウなどで勝負をしていたように思う。
このレースは、20年見続けたおいらの競馬遍歴の中でもとても稀なケースで、後にも先にも、1コーナーで負けを悟ったのはこのレース以外ほとんど記憶がない。
それだけ、スタートしてから1コーナーまでの加速というか逃げ方というか、それが半端ではなかったし、加えてツインターボ自体が当時絶好調、そりゃアレだけの勢いで逃げれば、馬券を一銭も買っていない限り負けを覚悟するってーもので…。
事実その逃げは半端ではなく、2コーナーでもうスタンドはどよめき、向正面ではもうお祭り騒ぎ、加えて連れてきたのが同じ7枠で当時大井所属のハシルショウグン…。・゜・(ノД`)・゜・。
懐かしいねえ…。
それではみなさん、アレをご唱和下さい。
ハシルショウグンと言えば、ハシルショウグン西村選手にスリーコールから、
ハシル、
ショウグン、
にっしむら!!
♪ダイヤモンドの スピードランナー♪
確か7-7で5110円だったかの配当かしら。同枠が地方馬、しかも芝のレースだったのに51倍しかつかないということは、ハシルショウグンもそれなりの芝適性を評価されていたというわけ。
ハシルショウグンもこの頃がピークで、名前も忘れられそうになった3年後の1996年に中央へトレードされたかと思いきや、障害入りさせられて、挙げ句レース中に足を折って死んじゃったっけ…。
ツインターボ自身も、「逃亡者」のあだ名のように、晩年は流転の身。
上山競馬移籍で人気になり、ファンがツインターボ見たさに上山や盛岡まで遠征する姿もよく見られたが、最後は何かから逃亡するかのように、己にもピリオドを打っていった。
さて、笹倉師。
なにせこれまでの最後の勝ち星が、2006年9月17日の4回中山4日目新馬戦のスガノキング。
このレース、2着馬がホクトスルタン…。・゜・(ノД`)・゜・。
かたや翌年の菊花賞で穴人気を担ぐまでになり、かたや一つの厩舎の勝ち星から1年半以上遠ざかる星を生んでしまうとは…。
運命というのは非情なものですなあ…。
「その筋」のマニアからは注目されていた厩舎だったのだが、いかんせん去年の成績が一度も複勝圏内(馬券に絡むともいう、いわゆる3着以内)がないという惨憺たる有り様では、今まで預けていた馬主さんも二の足を踏むのだろうなあ…。
笹倉師にも、せめて最後にもう一花咲かせて貰いたいところではあるけれど…。
「お疲れ様でした」は、勇退の日まで言わないことにしましょうか。
馬房埋まらない…笹倉師定年8年前に勇退 - 日刊スポーツ - Yahoo!ニュース
大逃げでファンを沸かせたツインターボなど個性派を育てた笹倉武久師(62)が2月限りで勇退することが23日、明らかになった。現在18馬房のうち10馬房しか埋まらない苦境に陥り、定年まで8年を残しての決断。同師は「誰が悪いわけでもなく、自分の営業能力が足りなかった。能力がありながら大成させてあげられなかった馬もいるが、ツインターボやグランリーオの名前を残せて良かった」と語った。85年に開業して通算3252戦132勝。重賞はサシオギ(90年タマツバキ記念)、ツインターボ(91年ラジオたんぱ賞G3、93年七夕賞G3、オールカマーG3)、グランリーオ(05年中日新聞杯G3)で5勝。騎手時代には74年ダービーでインターグッドに騎乗し、コーネルランサーと鼻差の死闘(2着)を演じた実績がある。
笹倉厩舎と言えば、やっぱりツインターボ無くして語る事なかれ。
まずは競馬の伝説の「大逃げ」シーンとしても語られることが多い、1993年産経オールカマーの映像からドゾー。
Twinturbo-All Comer - YouTube
当時はいつ行っても競馬場が混んでいて、日曜日なんかはG1レースじゃなくったって、中山や府中でも平気で入場人員が10万人は入っていた時代だから、90年代の大きなレースはほとんど生では観戦したことがないおいらの経歴にあって、唯一誇れるのが、人波に揉まれながらこのレースをゴール前で生で見ていたこと。
おいらは確か、「ツインターボに鈴を付けに行く馬がいないと間違いなくこの馬が勝つ」と思っておきながら、やっぱり実績上位でライスシャワーやシスタートウショウなどで勝負をしていたように思う。
このレースは、20年見続けたおいらの競馬遍歴の中でもとても稀なケースで、後にも先にも、1コーナーで負けを悟ったのはこのレース以外ほとんど記憶がない。
それだけ、スタートしてから1コーナーまでの加速というか逃げ方というか、それが半端ではなかったし、加えてツインターボ自体が当時絶好調、そりゃアレだけの勢いで逃げれば、馬券を一銭も買っていない限り負けを覚悟するってーもので…。
事実その逃げは半端ではなく、2コーナーでもうスタンドはどよめき、向正面ではもうお祭り騒ぎ、加えて連れてきたのが同じ7枠で当時大井所属のハシルショウグン…。・゜・(ノД`)・゜・。
懐かしいねえ…。
それではみなさん、アレをご唱和下さい。
ハシルショウグンと言えば、ハシルショウグン西村選手にスリーコールから、
ハシル、
ショウグン、
にっしむら!!
♪ダイヤモンドの スピードランナー♪
確か7-7で5110円だったかの配当かしら。同枠が地方馬、しかも芝のレースだったのに51倍しかつかないということは、ハシルショウグンもそれなりの芝適性を評価されていたというわけ。
ハシルショウグンもこの頃がピークで、名前も忘れられそうになった3年後の1996年に中央へトレードされたかと思いきや、障害入りさせられて、挙げ句レース中に足を折って死んじゃったっけ…。
ツインターボ自身も、「逃亡者」のあだ名のように、晩年は流転の身。
上山競馬移籍で人気になり、ファンがツインターボ見たさに上山や盛岡まで遠征する姿もよく見られたが、最後は何かから逃亡するかのように、己にもピリオドを打っていった。
さて、笹倉師。
なにせこれまでの最後の勝ち星が、2006年9月17日の4回中山4日目新馬戦のスガノキング。
このレース、2着馬がホクトスルタン…。・゜・(ノД`)・゜・。
かたや翌年の菊花賞で穴人気を担ぐまでになり、かたや一つの厩舎の勝ち星から1年半以上遠ざかる星を生んでしまうとは…。
運命というのは非情なものですなあ…。
「その筋」のマニアからは注目されていた厩舎だったのだが、いかんせん去年の成績が一度も複勝圏内(馬券に絡むともいう、いわゆる3着以内)がないという惨憺たる有り様では、今まで預けていた馬主さんも二の足を踏むのだろうなあ…。
笹倉師にも、せめて最後にもう一花咲かせて貰いたいところではあるけれど…。
「お疲れ様でした」は、勇退の日まで言わないことにしましょうか。
名前から入ってしまったのは事実。
貴殿カキコの重賞全部、単勝取りました(笑)
ツインターボは幼少時に牧場が火災にあって、その時に『逃げる』ことを会得したと記憶してます。
ツインターボは2回『有馬記念』に出ました。
初体験の時は、ハナを切って、鼻出血。
2回目はあのナリタブライアンにやられました…。
小柄でしたが、そこから繰り出す『逃げ』は最高でした。
最近、オレを泣かせてくれる馬がいない…。
ツインターボとトウカイテイオーからだね…。
こうしたドラマ性のある馬が、最近少なくなりましたね。
いや、それなりにいるんでしょうけどね。