「眉毛剃ってるから」負け 鹿児島の中学総体 - asahi.com
待 て や コ ラ 。
おまいらはどれくらい眉毛を剃り落としていたのかと。
いくら婦女子とはいえ、完璧に眉毛を剃りとしていれば、そりゃもうそのへんの団塊の世代のおっちゃんが酔いに任せて駅員に食ってかかる勢いよりはるかに恐ろしいもんで…。
確かに、身だしなみ云々の問題はあるだろうし、その点に関しては後述するけれど、これっていわゆる事後法じゃないの? 試合前や試合中は誰もお咎めなかったのに、試合後に「あいつらの顔が怖くて試合どころじゃなかったよママン。・゜・(ノД`)・゜・。」なんて訴えて、それを認めて試合結果も覆す…っていうのは、いくらなんでもおかしくないかい? おかしいと思うならその場でアピールプレーをすべきだし(それはそれで大いに問題ありだが)、プレーが終わってからではアピールプレーができない…というのは、スポーツ全般をとってしても、ごく当たり前の基本だと思うのだが。
じゃんけんで負けて、「バカヤロー、じゃんけんは『最初はグー、いかりや長介頭がパー、正義は勝つ、じゃんけんぽん!』って言うのが当たり前だろ。もう一回仕切り直しさせろや<(´エカ`)」といって駄々をこねるのと、あんまり本質的には変わらないような気がする。
しかしながら、いくらなんでも身だしなみとスポーツは全く関係のない話という識者の意見には賛成しかねる。
部活動は教育の一環の場なのだから、守られるべきルールを守るのは当たり前の話である。
しかも、昔一世を風靡した「管理教育」の学校の如き、「前髪は眉毛から○センチ以内、肩口に髪が触れたら校則違反…」云々の、あまりにも理不尽なルールを課しているわけでもないのだから、最低限の身だしなみというルールは守られて然るべきである。
ここでよく見られる、「生徒の服装、身だしなみなどは個人の自由ではないか」という意見こそが、現代のゆとり教育の弊害を如実に表している…と断言してもよろしかろう。言っておくが、社会に出たら頭髪検査など当たり前に存在する。例えば、どことは言わないが、千葉にある某外資系遊園地に付随する各施設の従業員に課せられる身だしなみ規定など、学校の校則の方がはるかに生やさしく感じられるくらい厳しい。それでも誰一人として文句が出ないのは、ひとえにその遊園地で働くこと自体がステータスになっているからで、身だしなみに文句がある奴は働いてもらわなくて結構…という立場だから、守って当たり前、守られて当たり前…という世界。これはなにも例に挙げた遊園地に限らず、社会に出たら、そのようなルールはどこにでも存在するのである。そうしたルールを教える場所が、学校であり、家庭ではないのか。そこでルールを教えられなければ、果たしてどこでルールを教わるというのか。だから、他人の家をパブリックスペースと考えられない輩が、人の家も自分の部屋もいっしょくたにして、とんでもない所業を働くという事案が後を絶たないのだ。
ちょっと話は脱線するが、ある女子プロレスラーが、自らが所属する団体が崩壊の危機に陥った時(その団体は既に崩壊済み)、自ら食い扶持を稼がなければならぬと、近所の100円ショップの店員のバイトの面接に出掛けたら、モロに茶髪で、ましてやタトゥーを入れている奴など、うちでは採用できませんと言われたのに腹を立てた…というのを、雑誌のインタビューで読んだことがあるのだが、そんなのは当たり前かと。リング上ではそれらは演出として必要かもしれないが、こと接客業と考えたら、そんな格好で出掛ければ断られるのは当たり前ではないか。
守るべきものは、守られて然るべきであると考える。話はそれからだ。
鹿児島県中学校総合体育大会バドミントン競技女子団体戦の準々決勝で、眉毛をそっていたことを理由に、試合に勝った生徒を負けたことにしていたことが28日、わかった。その結果、団体戦の勝敗も覆ったという。教育関係者からは「スポーツと生活指導を一緒にしている」と疑問の声があがっている。
同県中学校体育連盟によると、25日に開かれた大会の女子団体戦準々決勝で、鹿児島市内の伊敷台中と伊敷中が対戦した。
団体戦はダブルス、シングルス、ダブルスの計3回対戦し、先に2勝した方が勝ち進む。伊敷中が2―0で勝ったが、試合後、伊敷台中の選手が「眉毛をそっている生徒がいる」と県中体連側に訴えたという。
県中体連は大会前に、髪を染めたり、眉をそったりするなど「周りに不快感を与える服装」をした場合は、出場を認めない場合もあると、各校に知らせていた。
生徒指導を担当する「専門部」が協議し、眉をそっていた最初のダブルス戦の選手を「負け」とし、1―1としたうえで、3試合目をさせることにしたという。その結果、伊敷台中が勝ち、準決勝に進んだ。
県中体連の吉ケ島隆良会長(59)は「眉をそった生徒には、守るべきものがあるということを確認してほしかった。本人も認めており、人権侵害ではない」と話した。
教育評論家の尾木直樹・法政大学教授の話 スポーツの大会では考えられない話。身だしなみは試合と全く関係がなく、生活指導が先行しすぎている。あいまいな規定を根拠に、主催者が権限を乱用したと言わざるを得ない。指導は大会の外でやるべきだ。
待 て や コ ラ 。
おまいらはどれくらい眉毛を剃り落としていたのかと。
いくら婦女子とはいえ、完璧に眉毛を剃りとしていれば、そりゃもうそのへんの団塊の世代のおっちゃんが酔いに任せて駅員に食ってかかる勢いよりはるかに恐ろしいもんで…。
確かに、身だしなみ云々の問題はあるだろうし、その点に関しては後述するけれど、これっていわゆる事後法じゃないの? 試合前や試合中は誰もお咎めなかったのに、試合後に「あいつらの顔が怖くて試合どころじゃなかったよママン。・゜・(ノД`)・゜・。」なんて訴えて、それを認めて試合結果も覆す…っていうのは、いくらなんでもおかしくないかい? おかしいと思うならその場でアピールプレーをすべきだし(それはそれで大いに問題ありだが)、プレーが終わってからではアピールプレーができない…というのは、スポーツ全般をとってしても、ごく当たり前の基本だと思うのだが。
じゃんけんで負けて、「バカヤロー、じゃんけんは『最初はグー、いかりや長介頭がパー、正義は勝つ、じゃんけんぽん!』って言うのが当たり前だろ。もう一回仕切り直しさせろや<(´エカ`)」といって駄々をこねるのと、あんまり本質的には変わらないような気がする。
しかしながら、いくらなんでも身だしなみとスポーツは全く関係のない話という識者の意見には賛成しかねる。
部活動は教育の一環の場なのだから、守られるべきルールを守るのは当たり前の話である。
しかも、昔一世を風靡した「管理教育」の学校の如き、「前髪は眉毛から○センチ以内、肩口に髪が触れたら校則違反…」云々の、あまりにも理不尽なルールを課しているわけでもないのだから、最低限の身だしなみというルールは守られて然るべきである。
ここでよく見られる、「生徒の服装、身だしなみなどは個人の自由ではないか」という意見こそが、現代のゆとり教育の弊害を如実に表している…と断言してもよろしかろう。言っておくが、社会に出たら頭髪検査など当たり前に存在する。例えば、どことは言わないが、千葉にある某外資系遊園地に付随する各施設の従業員に課せられる身だしなみ規定など、学校の校則の方がはるかに生やさしく感じられるくらい厳しい。それでも誰一人として文句が出ないのは、ひとえにその遊園地で働くこと自体がステータスになっているからで、身だしなみに文句がある奴は働いてもらわなくて結構…という立場だから、守って当たり前、守られて当たり前…という世界。これはなにも例に挙げた遊園地に限らず、社会に出たら、そのようなルールはどこにでも存在するのである。そうしたルールを教える場所が、学校であり、家庭ではないのか。そこでルールを教えられなければ、果たしてどこでルールを教わるというのか。だから、他人の家をパブリックスペースと考えられない輩が、人の家も自分の部屋もいっしょくたにして、とんでもない所業を働くという事案が後を絶たないのだ。
ちょっと話は脱線するが、ある女子プロレスラーが、自らが所属する団体が崩壊の危機に陥った時(その団体は既に崩壊済み)、自ら食い扶持を稼がなければならぬと、近所の100円ショップの店員のバイトの面接に出掛けたら、モロに茶髪で、ましてやタトゥーを入れている奴など、うちでは採用できませんと言われたのに腹を立てた…というのを、雑誌のインタビューで読んだことがあるのだが、そんなのは当たり前かと。リング上ではそれらは演出として必要かもしれないが、こと接客業と考えたら、そんな格好で出掛ければ断られるのは当たり前ではないか。
守るべきものは、守られて然るべきであると考える。話はそれからだ。
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