「頭突き王」、元プロレスラーの大木金太郎さん死去(朝日新聞) - goo ニュース
齢31にして、実はプロレスファン歴は25年(笑)。
おいらと同年代か上の方々は、金曜夜8時か土曜夕方5時15分、若しくは土曜夜7時にプロレス中継があったから、かなり小さい頃からプロレスに慣れ親しんでいるという方が数多くいらっしゃるのではないだろうか。オヤジの影響で、かなり小さい頃から馬場猪木、鶴田藤波タイガーマスク…という方が多いと思われる。
おいらがプロレスを見だしたのが小学校1年生の1981年、新日にタイガーマスクが華麗にデビューしたのとほぼ同時だから、大木金太郎の日本でのリタイアである1982年までに、大木金太郎のキャリアとぎりぎりかぶっているのだが、生憎と大木金太郎の試合をテレビで直に見た…という記憶はない。見たけれど記憶がないのか、テレビマッチそのものがなかったのか、どちらだろうか。
大木金太郎と言えば、誰もが口を揃えて「原爆頭突き」と答えるだろう。
往年の大木金太郎の「原爆頭突き」の勇姿を、動画でお楽しみ下さい。
You tube - ジャイアント馬場vs大木金太郎
とにかく相手が馬場だろうと猪木だろうとブッチャーだろうと、頭突き一つで試合を成立させてしまうのだから恐れ入る。1975年12月の日本武道館で行われた、力道山13回忌追悼興業での対ブッチャー戦は、今の世とみまがうばかりの、アリーナ全体を使った場外乱闘のど迫力マッチで、テレビ解説の山田隆氏をもって「プロレスは殺し合いじゃないんですから、これ以上やらせたらダメ!」と言わしめたほどであった。ちなみに、この試合で百田義浩リングアナをブッチャーが急襲して大流血させ、プロレスラー百田義浩が生まれるきっかけとなった試合でもある。
単純な頭突きだけでファンを震撼させたレスラーとして、ボボ・ブラジルと並んでプロレス史上に燦然と輝く業績を残したレスラーだった。
晩年は体調を崩しながらも引退試合もできたし、母国では英雄扱いだし、まさにプロレスラーとして人生を全うしたと言っていいだろう。
実は今のプロレス界が見習わなければならない姿こそ、大木金太郎のファイトスタイルなのではないだろうか。頭突きで客を納得させられるのは、今や菊池毅だけであろう。
ご冥福をお祈り致します…。
他方、プロレスは仕込み有りと、法的にも認定されますた。
ZAKZAK - 大仁田敗訴…東京高裁「プロレスはやらせ」認定
あーあ…。
まあ、今の世の中、プロレスを全くのガチと見ているファンなんていないのは間違いないが、それが裁判で証明されるなんて、プロレスの名折れですよ。
プヲタから言わせれば、大仁田もセッド・ジニアスも関わり合いたくはないね。
これだけはガチ。
↑大木金太郎の原爆頭突きに感動した貴方はクリッククリック。
「頭突き王」として60~70年代のリングを沸かせた元プロレスラーの大木金太郎こと金一(キム・イル)さんが26日、ソウル市内の病院で死去した。77歳だった。頭突きの後遺症に加え高血圧、糖尿病などをわずらい、十数年前から療養生活を送っていた。
韓国南部の全羅南道生まれ。朝鮮から日本に渡って成功した同胞のプロレスラーの故力道山にあこがれて、50年代に玄界灘を越えて日本に密航。力道山門下からプロデビューした。
得意技は、相手をわしづかみにして繰り出す強烈な頭突き。「原爆頭突き」と名付けられ、ファンを沸かせた。全盛期にはジャイアント馬場、アントニオ猪木らライバル相手に「名勝負」を繰り広げ、世界タイトルも数々手にした。
後年は韓国で後進の指導に当たったが、頭突きを繰り返した後遺症も重なって体調を崩したままだった。95年に東京ドームで引退式、00年にはソウルでも引退式を行い、ファンの前に往年の雄姿を現した。
韓国では「国民の英雄」とされ、94年と00年に叙勲された。26日に死去が伝えられると、テレビや通信社が一斉に速報を流し、死を悼んだ。
齢31にして、実はプロレスファン歴は25年(笑)。
おいらと同年代か上の方々は、金曜夜8時か土曜夕方5時15分、若しくは土曜夜7時にプロレス中継があったから、かなり小さい頃からプロレスに慣れ親しんでいるという方が数多くいらっしゃるのではないだろうか。オヤジの影響で、かなり小さい頃から馬場猪木、鶴田藤波タイガーマスク…という方が多いと思われる。
おいらがプロレスを見だしたのが小学校1年生の1981年、新日にタイガーマスクが華麗にデビューしたのとほぼ同時だから、大木金太郎の日本でのリタイアである1982年までに、大木金太郎のキャリアとぎりぎりかぶっているのだが、生憎と大木金太郎の試合をテレビで直に見た…という記憶はない。見たけれど記憶がないのか、テレビマッチそのものがなかったのか、どちらだろうか。
大木金太郎と言えば、誰もが口を揃えて「原爆頭突き」と答えるだろう。
往年の大木金太郎の「原爆頭突き」の勇姿を、動画でお楽しみ下さい。
You tube - ジャイアント馬場vs大木金太郎
とにかく相手が馬場だろうと猪木だろうとブッチャーだろうと、頭突き一つで試合を成立させてしまうのだから恐れ入る。1975年12月の日本武道館で行われた、力道山13回忌追悼興業での対ブッチャー戦は、今の世とみまがうばかりの、アリーナ全体を使った場外乱闘のど迫力マッチで、テレビ解説の山田隆氏をもって「プロレスは殺し合いじゃないんですから、これ以上やらせたらダメ!」と言わしめたほどであった。ちなみに、この試合で百田義浩リングアナをブッチャーが急襲して大流血させ、プロレスラー百田義浩が生まれるきっかけとなった試合でもある。
単純な頭突きだけでファンを震撼させたレスラーとして、ボボ・ブラジルと並んでプロレス史上に燦然と輝く業績を残したレスラーだった。
晩年は体調を崩しながらも引退試合もできたし、母国では英雄扱いだし、まさにプロレスラーとして人生を全うしたと言っていいだろう。
実は今のプロレス界が見習わなければならない姿こそ、大木金太郎のファイトスタイルなのではないだろうか。頭突きで客を納得させられるのは、今や菊池毅だけであろう。
ご冥福をお祈り致します…。
他方、プロレスは仕込み有りと、法的にも認定されますた。
ZAKZAK - 大仁田敗訴…東京高裁「プロレスはやらせ」認定
プロレスはやっぱりやらせ? 事前の打ち合わせにない場外乱闘で顔面を蹴られケガしたプロレスラーのセッド・ジニアスさん(40)=本名・渡辺幸正=が、参院議員でプロレスラーの大仁田厚さん(49)と元プロレスラーで秘書の中牧昭二さん(50)に損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は25日、中牧さんの違法行為と大仁田さんの使用者責任を認定。78万円の支払いを命じた1審・東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した。
1審判決によると、渡辺さんは平成15年4月の興業で、試合後に大仁田さんを後ろから蹴ろうとしたところで、セコンドの中牧さんに靴で顔面をけられた。
1審は「試合に至るまでには複雑な事情」があり、試合後の襲撃は「想定外の場面であったということはできない」として、プロレスに「事前の打ち合わせ」があることを認定。控訴棄却で「プロレスには事前の打ち合わせがある」という判例ができる可能性もある。
判決を受けて渡辺さんは、「圧力により証人が出廷できなかったこともあり、公正な裁判が行われたか、たいへん大きな疑問が残る。治療費が認められなかった点も残念」と述べ、最高裁への上告を検討している。
あーあ…。
まあ、今の世の中、プロレスを全くのガチと見ているファンなんていないのは間違いないが、それが裁判で証明されるなんて、プロレスの名折れですよ。
プヲタから言わせれば、大仁田もセッド・ジニアスも関わり合いたくはないね。
これだけはガチ。
↑大木金太郎の原爆頭突きに感動した貴方はクリッククリック。
で、失恋はしてねえってことは、恋愛はしているんだな?
誰としているのか、こっそり誰にもばれないように、ここで発表しなさい。
あの時も YOUとだったよね?
あの時も 餌食は 三沢だったよね?
失礼しました。
失恋は最近してません。
あれは「対人間同士の最終兵器」だろうなあ。
あの技より戦慄を覚えた技は、後にも先にも出会ったことがないですよ。
でも、そのうちいんでーではつなぎ技になっちゃうんだろうね…。
大仁田さんのは どうでもいいや。 そういえば ZENって懐かしいよね。 マイク・アッサムもいたものね。
そういえば YOUと観に行った全日後楽園。
小橋のバーニングハンマー 初披露の時は 鳥肌たったね。 三沢が取られたもんね。
「まさか、後楽園で・・・。」って話したような。
やらせ問題とは 全くもって無縁の団体でした。
永源の唾? エンタメ。エンタメ。
大仁田と渡辺ねえ…。
新木場でも満員になるかしら…?
ここまでやったら、最高裁で争う前に、
『裁判なんか関係ない、リングで決着をつけろ』
とかやってくれ。
今、大仁田vsジニアスやれば大田区くらいなら満員になるかも。
駄菓子屋の土地権利書を掛けた試合、なんてやっていたんだからさぁ。
…って、ダメか?