全世界を震撼させ、その傷、遺恨の火種は未だに消えることがない、アメリカ同時多発テロ事件。あれから10年経ちました…。
米各地で追悼式典=大統領、NY跡地に―同時テロから10年 - 時事通信
日本人、日本を拠点として生活している人々にとって、去年までの「9.11」は、アメリカ本土が襲撃の目標にされた日として残っていたが、今年からは「3.11」から半年が経過する区切りの日であり、二重の意味合いを持つことに。
10年前の9月11日。
時というのは非情なもの。
当時中学生だった子供達は、無事に育っていれば今や立派な社会の歯車になっている年齢に。
日本に事件の第一報が伝えられたのは午後10時前後だっただろうか。
皆さんその頃はどちらで、なにをしておいでだっただろうか。
今だから吐露しますが。
私め…。
寝てました。
その日が休みだったかどうかは定かではないけれど、翌日が朝7時から仕事だったということもあって早寝を決めており、事件に気がついたのは、翌日の新聞各紙の大見出しと、テレビがどこのチャンネルを回してもアメリカ・ニューヨークの衛生中継ばかりで、ようやく事の重大さに気づいた次第。
翌日、テレビがある喫煙所で休憩していた最中、職場の同僚がポッと呟いた言葉が今でも耳から離れない。
「小馬さんこれ見た?マジ凄いよねこれ…。生で飛行機がビルに突っ込むなんてマジでありえないっしょ…」
さすがにその時、「寝ていた」だなんて一言も言えず、話をあわせるために専ら相槌だけを打っていたような気がする。
なにせ朝7時から仕事となると、目覚ましをかけるのは4時20分。そこから逆算すると、夜10時頃には眠気が来る生活だったので、この頃は夜10時前後にやってくるクライマックスのシーンは、ことごとく生で見逃しているという苦い経験を持っている。
その際たるものが、この年の近鉄、北川の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」の見逃しにも繋がっていたりして・゜・(つД`)・゜・
…だって、眠りに落ちて気がついたら中継が終わる30秒前だったんだもん。あれだけ近鉄が劣勢という状況で、なんで選手たちがあれだけ喜んでいるのか、眠りから醒めて10分くらいは理解できなかったもんなあ…。
自室には、今でも同時多発テロ事件で緊急発行された「TIME」誌が残っている。もちろん日本語版なんていうヤワなものではなく、ちゃんとした英語版。当時は英会話の勉強もそれなりにしていたので、おそらく会社帰りに日本橋の丸善か、新宿の紀伊国屋へ行って仕入れてきたものだろう。どこで買ったかはさっぱり覚えていないが、表紙の隅に小さく「JAPAN…定価\800」と印刷されていた(^^;)こんな薄っぺらいニュース雑誌が、アメリカからの流通を経ると800円もかかるのかと思う。その後、そうした洋書類の高さには、WWE関連の書籍や雑誌を買うたびに痛感させられることになる(^^;)
表紙は、おそらくワールドトレードセンターに2機目の飛行機が突っ込んだ瞬間を、ビルの下から撮影した写真。
裏表紙は、おそらくはニュージャージー州辺りの対岸から、もうもうたる煙に包まれるニューヨーク市街をバックにうつる自由の女神を撮影したもの。
あれから10年。
同時多発テロの首謀とされるアルカイーダを支援しているとして、イラク戦争が起こり、フセインは逮捕、拘禁の後処刑され、同時多発テロ事件の最高指名手配の一人とされていたウサマ・ビンラーディンは、何度か「死亡した」という報道がなされたが、最終的には今年の春、米海軍特殊部隊の軍事作戦で死亡したと発表された。
その後もアフガンは緊迫した状態が続き、当日にもアフガンで自爆テロが発生したとCNNが報じている。
国と国とのきしみあいは、まだ終わってはいないのだ。
改めて、同時多発テロ事件の全ての犠牲者に哀悼の意を表します。
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米各地で追悼式典=大統領、NY跡地に―同時テロから10年 - 時事通信
【ニューヨーク、ワシントン時事】日本人24人を含む2977人が犠牲になった2001年の米同時テロから11日で10年を迎え、全米各地で追悼式典が開かれた。最も多い死者が出たニューヨークの世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」での式典には、オバマ大統領とブッシュ前大統領が初めて出席した。
ブルームバーグ・ニューヨーク市長は式典の冒頭、「10年がたち、ここで何が起きたかを見ることはできないが、親を亡くしたお子さんは成人し、失われた立派な仕事や公共サービスが根付いてきている」とあいさつ。オバマ大統領は旧約聖書の一節を読み上げ、犠牲者を悼んだ。ビル北棟にハイジャック機が突っ込んだ午前8時46分に最初の黙とうを行い、市内の教会などが一斉に追悼の鐘を鳴らした。
遺族の代表がテロ犠牲者全ての名前を一人ひとり読み上げる中、参列者は2機目が南棟に激突した時刻やビルが崩壊した時刻などに合わせ、計6回黙とう、故人をしのんだ。
同時テロでは首都ワシントン郊外の国防総省にもハイジャック機が激突。ペンシルベニア州シャンクスビルにもう1機が墜落した。いずれの場所でも式典が行われた。
日本人、日本を拠点として生活している人々にとって、去年までの「9.11」は、アメリカ本土が襲撃の目標にされた日として残っていたが、今年からは「3.11」から半年が経過する区切りの日であり、二重の意味合いを持つことに。
10年前の9月11日。
時というのは非情なもの。
当時中学生だった子供達は、無事に育っていれば今や立派な社会の歯車になっている年齢に。
日本に事件の第一報が伝えられたのは午後10時前後だっただろうか。
皆さんその頃はどちらで、なにをしておいでだっただろうか。
今だから吐露しますが。
私め…。
寝てました。
その日が休みだったかどうかは定かではないけれど、翌日が朝7時から仕事だったということもあって早寝を決めており、事件に気がついたのは、翌日の新聞各紙の大見出しと、テレビがどこのチャンネルを回してもアメリカ・ニューヨークの衛生中継ばかりで、ようやく事の重大さに気づいた次第。
翌日、テレビがある喫煙所で休憩していた最中、職場の同僚がポッと呟いた言葉が今でも耳から離れない。
「小馬さんこれ見た?マジ凄いよねこれ…。生で飛行機がビルに突っ込むなんてマジでありえないっしょ…」
さすがにその時、「寝ていた」だなんて一言も言えず、話をあわせるために専ら相槌だけを打っていたような気がする。
なにせ朝7時から仕事となると、目覚ましをかけるのは4時20分。そこから逆算すると、夜10時頃には眠気が来る生活だったので、この頃は夜10時前後にやってくるクライマックスのシーンは、ことごとく生で見逃しているという苦い経験を持っている。
その際たるものが、この年の近鉄、北川の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」の見逃しにも繋がっていたりして・゜・(つД`)・゜・
…だって、眠りに落ちて気がついたら中継が終わる30秒前だったんだもん。あれだけ近鉄が劣勢という状況で、なんで選手たちがあれだけ喜んでいるのか、眠りから醒めて10分くらいは理解できなかったもんなあ…。
自室には、今でも同時多発テロ事件で緊急発行された「TIME」誌が残っている。もちろん日本語版なんていうヤワなものではなく、ちゃんとした英語版。当時は英会話の勉強もそれなりにしていたので、おそらく会社帰りに日本橋の丸善か、新宿の紀伊国屋へ行って仕入れてきたものだろう。どこで買ったかはさっぱり覚えていないが、表紙の隅に小さく「JAPAN…定価\800」と印刷されていた(^^;)こんな薄っぺらいニュース雑誌が、アメリカからの流通を経ると800円もかかるのかと思う。その後、そうした洋書類の高さには、WWE関連の書籍や雑誌を買うたびに痛感させられることになる(^^;)
表紙は、おそらくワールドトレードセンターに2機目の飛行機が突っ込んだ瞬間を、ビルの下から撮影した写真。
裏表紙は、おそらくはニュージャージー州辺りの対岸から、もうもうたる煙に包まれるニューヨーク市街をバックにうつる自由の女神を撮影したもの。
あれから10年。
同時多発テロの首謀とされるアルカイーダを支援しているとして、イラク戦争が起こり、フセインは逮捕、拘禁の後処刑され、同時多発テロ事件の最高指名手配の一人とされていたウサマ・ビンラーディンは、何度か「死亡した」という報道がなされたが、最終的には今年の春、米海軍特殊部隊の軍事作戦で死亡したと発表された。
その後もアフガンは緊迫した状態が続き、当日にもアフガンで自爆テロが発生したとCNNが報じている。
国と国とのきしみあいは、まだ終わってはいないのだ。
改めて、同時多発テロ事件の全ての犠牲者に哀悼の意を表します。
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今から10年前の今頃を振り返ってみると、同時多発テロがあった時ですが、実は同時多発テロが起きる直前には新宿歌舞伎町の雑居ビルが火事になるニュースがありました。その報道が繰り返されていたかと思えば、それよりもとてつもない事件がアメリカで起きた為に新宿の火災はそっちのけにされて同時多発テロの報道番組が繰り返される様になってしまった事を今でも覚えています。あの事件以来に飛行機に搭乗する時の持ち物検査が一層に厳しくなってしまったもので、折しも私は10年前の夏にロシアや北欧へ行って来たばかりの時なので、飛行機がこれ程に凶器と化した事に愕然としたものでした。
あの事件の影響で、母親が行く予定だった海外旅行のツアーも中止になりました。あんな事件が起こった直後に、ヨーロッパとはいえ海外に出かけるのも、かなり勇気が必要だったのを思い出しました。